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使命とは自分らしさ


使命ってなんだろうって考えていました。


INFJの私は、これまでもよく使命について、考えてきました。
noteに投稿した最初の記事も、
「INFJの使命」というものでした。


よく、いろんなところで、
「使命のない人はいない」
「一人一人に使命がある」
と言います。
私もそう思っているし、実際そうであろうと思います。

私はこの「使命」を、例えば
『~を良くすること』
『~の問題を解決すること』
『~の人たちを救うこと』
のように、
その人の使命は『○○である』という特定の物事が、生まれた時から決まっていて、それを人生の中で見つけていくこと、気づくこと、そしてその使命に生きることが大切なんだ、と考えていました。


ですが、ここ最近、自分自身の使命や、人生について、家族の抱える問題、トラウマについて、潜在意識と顕在意識について、など、いろんなことを考えるうちに、考えが少し変化していきました。


「使命」とは、
『○○である』という特定の物事が決まっていることを指すのではなく、

『その人がその人らしく生きること』
なのではないか。

「その人がその人らしく生きた」結果、社会の問題を解決できたり、何かを生み出せたり、誰かが救われたり、誰かを笑顔にできたりする。
でもそれらはただの“結果“で、
その人がその人らしく生きた“結果“、勝手についてくるものなんじゃないか。

大事なのは、
その人がその人らしく、のびのびと、軽やかに、自分の人生を生きることであって、それがそのままその人の使命なのではないかと考えました。


そもそも「何か」になる必要はない。
頑張って「何か」を達成しようとする必要もない。
自分が心地好く自分であること。
心のトラウマや他人の価値観や社会のルールなどに縛られない、本来の自分で人生を生きること。
それこそが一人一人の「使命」なのではないか。
だから、
『使命のない人はいない』し、
『一人一人に使命がある』んです。本来の自分であることだけでいいからです。


もちろん、
「○○が私の使命だ!」と感じる物事があり、それを感じてそれに向かっている自分が、無理がなく、苦しくなく、ワクワクした気持ちでそれに向かえているのならば、
それはその人本来の姿であるから、その使命を掲げることは素晴らしいことだと思います。

そこで生み出された結果は、副次的なものであり、
その人が自分らしく人生を生きること自体が、「使命」であり、
自分らしく生きる時、その人は使命を果たしていると言えるのではないか。


そんな風に、私の中で使命に対する考えが変化しました。
一人一人が自分であること。その為には自分を整えることが必要で、心の傷を癒すこと、不要な価値観を手放すこと、自分の心の声をよく聞くこと。
それらがとても大切なんだと思います。

一人一人が「自分」を生きる、素晴らしい世界になったら素敵だなと思います。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


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