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センチメートルな恋

 最終列車の発車アナウンスが流れ、二人を別つ。
名残惜しそうな背中に小さく「またね」と声が零れ、はるかを見送った。
まばらな人波をたびに、とおるの目からは涙があふれた。駅から遠ざかっていくほど、愛してきた今日までの全てが過去になっていくのをまざまざと感じて、あふれてくる涙は止まらない。最後には、むせび泣きながら走り出していた。

 写真が趣味のとおると絵を描くことが好きなはるかは、逢うべくして逢ったのか、偶然よりも必然に近い形で出逢った。そして、そうなるべくして恋に落ちていき、それほど時間は必要じゃなかった。
お互いの好きなものについて語り合い、同じ時間を共有し合って、ゆっくりと二人になっていく。そんな時間のひとつひとつをとおるは、愛おしく思い、大切にしていた。
ただ、似たようで違う二人が少しずつ掛け違えてきたボタンは、確実に二人の終わりに向かっていく。持て余したボタンホールを埋め合わせる必要があるからだ。

 「なんでなんだよ!」

思えば、この一言が始まりだった。
見知った顔の男とはるかが、仲睦なかむつまじく腕を組み歩く姿を見かけたとおるが発したこの言葉で、二人は終わりを迎えた。
その時のはるかの困ったような顔が脳裏のうりにこびり付いて忘れられない。

 「とおるが私を置いていったんじゃん」

少し震えた声ではるかは言う。
何のことかと逡巡するとおるを横目に続けて話す。

 「連絡しても返ってくるの遅いし、もう好きかどうかわかなくなっちゃったんだよ」

とおるはそこでハッとした。
確かに撮影の為に遠方へ出かけていくことが多く、返信が遅れてしまうことは多かった。しかし、とおるには夢があったし、その話ははるかにも何度も話して聞かせてきたはず……。

 「……寂しい思いばかりさせてごめん」

とおるが絞り出した声で言った。
精一杯の強がりと、精一杯の謝罪だった。

 「もういい、じゃあね」

うつむくしか出来ない自分が情けなくて仕方がなかった。
強引に腕を引いて、連れ戻すことも出来たはずなのに、それをしなかったのは、とおるにも終わりが分かったからだった。

 「最後に会って、ちゃんと話がしたい」

はるかの一言に正直、気乗りはしなかったが、このまま終わってしまうのも後味が悪いと思い、会うことにした。

 会ってみると何も変わらず、今までのようにお互いの好きなものの話で盛り上がり、笑い合うことが出来た。そのことが余計に痛々しく思えた。
それでも楽しい気持ちを終わりには出来なくて、ずるずると最終列車の時間まで話し込んでしまったのだ。

 はるかの背中に小さく「またね」と声が零し、むせび泣きながら走り出したとおるは今、屋上のフェンスに手をかけて、立ち尽くしている。この手を放してしまえば、この苦しみから解放される。
今まで愛した全てが嘘のようになってしまうことが耐えられないのだ。
誰かのせいじゃない。自分のせいだからこそ辛く苦しいのだ。
あと数センチの恋を終わりにしよう。

――あと数センチが手放せないまま、声を上げて泣いた。


                        可惜 夜-Atarai Yoru-

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