【小説】吾輩は猫だった(3)
「おいちゃん、おいちゃん処の犬は、よいよぉ、人のオツベを嗅ぐねぇ」
あれっ? 吾輩の話だ。
「おぅおぅ、よいよぉ、あいつ、オツベ嗅ぐだろ? あいつはオツベの匂いを嗅いだら、ええモンか、悪モンかが、分かるみたいなぞぃ……」
「ほうなん?」
これはケンくんの声だな?
「おう、ほんで君等、吠えられたん?」
「おい、ヒロ、お前吠えられた?」
「いや、吠えられんかったよ」
「俺も、匂われたけど吠えられんかった」
ヒロ君もケン君も、若い血潮と云うのか、うん、臭かった。
「ほうか、吠えられんかったんなら、君等は悪いヤツじゃない云う事っちゃ。あいつ、悪いヤツじゃ思うたらワンワン云いよるけんのぉ……。君等、一見は悪モンの顔しとるけど、自信持って生きてもえぞね」
「一見、悪モンの顔しとるてて……」
「自信もって生きても、てて……」
本当に、今日来ている二人は、揃いも揃って悪人面であった。
「ハハハ、気にせられん。男は顔じゃないけんね! 昔から云うだろがね? 『男前にろくな者なし!』って」
「へーっ、ほなな格言あるん? ケン、聞いた事あるか?」
「いや、初めて聞いたわ」
「ほうか、君等、もっと勉強せぃ! 『男前で金持ちはズバリ悪人!』云うのもあるぞね!」
「おいちゃん、嘘だろ?」
「ふふふ……、まぁ、でも、世間一般、大体はそんなもんじゃわい」
……無言絶句。房之助も、髭なんぞ付けて大概に悪役面である。
「ほんでおいちゃん、なんで、オツベのスやか云うて云うん?」
「おぅ、そうそう、この辺はオツベって云うけど、普通はお尻じゃわいねぇ? おいちゃん、何で?」
そうそう、吾輩もとても不思議であった。
「あのね、オツベを漢字に直したら分かるぞぃ。漢字で書いとぉみん」
「えっ、オツベに漢字があるん?」
「ふふふ……、ケン君、だって、この辺りじゃ、昔っから、このオツベ云う言葉、使われよろがね。おいちゃんはのぉ、その昔は東京でも何処ででも、お尻の事をオツベって云いよったんじゃないかと、考えるんよ。昔からある言葉なんじゃけん、漢字もあるわいね……」」
「えっ、何処ででもオツベ?」
「そうそう、昔はのぉ、関東だったら『今オイラ、オツベのスが痒いのさ、じゃーん』とか、九州だったら『ばってん、オツベのスが痒い、くさ』とか、北の方だったら『なしてけろ? オツベのスが痒いっぺ』とかと云いよったと思うんよ」
「おいちゃん、九州の『くさ』と東北弁の『っぺ』はオツベにかかっとんじゃろ?」
「おっと、ヒロ君。解った? ふふふ……、な・が・れ・い・し!」
何が『ながれいし(流石)』だ。くだらない。
「へへへ……、おいちゃんとの付き合いも長いけん、わかるよ……」
「ほんで、どんな漢字を書くん?」
「ケン君、どんな字じゃと思う?」
「う~ん……、思い浮かばんわ……」
「ヒロ君はどんなで? どんな漢字じゃ思う?」
「う~ん……、いやぁ、おいちゃん、解らんねぇ……」
「よしゃ、教えたげる。教えてあげよわい。そこの紙とエンペツ持って来とぉみん……」
吾輩の耳は、鉄壁をも貫通する聴力を持って確かではあるが、どう動作しているかなんて見える訳ではない。なにやらスススス……と云う紙を滑らす音だけが吾輩に届いた。
「へぇ、こんな字を書くん?」
んっ、どんな字? ヒロ君、どんな字書いたんだい?
「ほほう、ほんまなん? おいちゃん?」
「これで解ったろ? オツベの意味が……」
「うん、解った。えぇ、ほんまなん?」
おーい、ケンくーん! 何がほんまなのかなぁ?
「いや、ケン、この字だったら、オツベにも意味があるわ……」
「一つ賢ぉなったのぉ」
おいおい、教えてくれ。吾輩にも教えてくれ。吾輩は見えないんだゾ!
「おいおい、おーい! 守太。出てこい! おい守太、聞こえるか? おい、おい、守太ぁー!」
吾輩は思い切り叫んだ。どんな字を書いたのか知りたくて、知りたくて、今直ぐに知りたくて、スタジオに居る『ヤモリの守太』を呼んだ……。
「ガハハハ……、でも、おいちゃん、本当なん? その字?」
「ケン、お前の携帯で調べてみぃや。お前のん、辞書機能あったろげや」
「おぉ、ほうか、よっしゃ……」
おい、何をしている。も、守太、は、早く出てこい! どんな字を書いたんだ。オツベと云う漢字はどんな字なんだ!
「ほいほい、ワンワン、ワンワン、煩いなぁ……、何だよ、何か用か?」
(ほっ……)守太はドアーの隙間からやっと顔を出した。
「おい、守太、どんな字だ?」
「な、何がだよ。何を云ってんだい?」
「だから、どんな字を書いた?」
「アール、落ち着け、落ち着けよ……」
「お、おぉ、ちょっと先走った……、すまん、すまん……」
「で、何の事?」
「えっつと、あの馬鹿のことさ、房之介が何かを書いただろ?」
吾輩は一度大きく深呼吸をして、守太に訊ねた。
「だから、何が?」
「オツベだよ、あのさ、『オツベ』って云う漢字さ。房之介が中に居るガキ共に教えただろ? どう云う漢字を書いたんだい?」
「あぁ、ガハハハ……、あれな、あいつは馬鹿だな。そして、あのガキ共も馬鹿だわ」
つづく
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