トラブル対応の「型」について

はじめに

 いわゆる「不適切保育」や利用者からのクレーム、各種ハラスメントなどのトラブル発生時に対応方法はケースバイケースの要素が強く、即断即決かつ臨機応変な対応が求められるため、これといった一般的な手法を示したり研修を実施することは難しいと考えてきました。しかしながらこの間、弁護士としてまた保育園経営者として検討を続けてきて、組織団体の経営者や監理者が取るべき大まかな基本的構え、武道や格闘技における「型」のようなものはある程度示せるんじゃないかと考え始めています。以下、その試論です。

1 まずは決めつけないこと、そして双方ヒアリング

 利用者等からクレーム等の情報発信があったとき、まず大事なことは決めつけないことです。乱暴に2つに分けるなら、①そのクレームに理由が無いケースと②理由があり職員に非があるケースの2パターンがあり得ます。まずは①もしくは②だと決めつけないことが、最初の「型」となります。当たり前のようですが、弁護士としての経験上、この基本の構えができていない組織や団体が日本では少なくありません。初動で権限ある人が①もしくは②だと決めつけてしまうという場面を数多く見てきました。まずはこれが基本の「型」、構えです。

 ①もしくは②或いはその中間であったりどちらでもないことが判明していない時点での初動は、多くの場合は関係当事者双方の言い分を聴いてみること、ヒアリングの実施でしょう。前述の決めつけない構えができていないと、ヒアリングはどちらかの当事者を問い質す「尋問」となり、まさに火に油を注ぐ結果となります。だから「型」がちゃんとできていることが大事なのです。ここまでの「型」ができていると、双方当事者の言い分を聴いたなら、次はそれぞれについて根拠となる客観的資料や第三者の探索へと、自然につながっている印象があります。

2 当事者職員を矢面に立たせない

 次に、ヒアリング含む調査の結果、上記①もしくは②であると判別したときでもしなかったときでも、組織団体の経営者や監理権限を持つ立場にある人が取るべき構え、第2の「型」は当事者職員を矢面に立たせないことです。第2の「型」と書きましたが、事実関係にかかわらず当事者職員は矢面に立たせるべきではないので、実は初動段階で第1の「型」と同時に用いる構えです。

 上記①のパターン、クレームに理由がないとき、職員を矢面に立たせるとそのストレスであっという間に潰れます。今まで弁護士として何度も見てきました。というか、職員が潰れるところまで至ってからようやく弁護士に相談に来るケースを幾つも見てきました。法的に言えば経営者は職員に対し労働安全衛生保持義務を負っているので、職員を過剰なストレスから守る義務を負っています。また経営的観点から言っても、稼働能力あるスタッフを失うわけにはいきません。当事者職員の上位者が出ていけば、当事者性が薄まるので、それだけでも受けるストレスは低減するし、こちらの判断の適切さと冷静さも確保することができます。

 上記②のパターン、クレームに理由がある、つまり職員側に非がある場合はどうでしょうか。それでもやはり当事者職員を矢面に立たせるのは適切ではありません。非があればなおさら当事者職員に掛かるストレスも大きくなるし、自力で挽回する能力や条件に欠けることも多く、利用者サイドの不満や怒りも増幅するだけで何一つ良いことがありません。法的に見れば組織団体や経営者が責任を負うべき場面であるし、実利的に考えても上位者が引き取らねば解決に向けて一歩も前に進まないので、初動段階から上位者が引き取ることが必須です。

 難しいのは、初動段階でどの程度までの上位者が表に出て行くかの判断だと思います。基本は可能な限り、中間管理職から出ていくことかなと今のところ考えています。その人で対応しきれなかった場合、次の人が出ていくという手段を残しておくことができるからです。ただ、その中間管理職も守るべき職員であるし、最初から最終権限者が出ていった方が判断も早く、相手の納得も得られやすい場合もあり、ここは相当難しい判断です。

3 職員スタッフに非がある場合

 民間企業でも直接的クレームに加えて内部通報や公益通報がなされることは企業内部の不正不適切を是正するために重要な機能を果たしますが、保育園その他社会福祉法人は行政に対する苦情申し立ても近時はよく活用されており、経営サイドが自らの問題点を把握する契機となっています。

 さて、そうしたプロセスを経て「不適切保育」等の課題問題が発覚したときのために、経営者・監理者サイドが備えておくべき構え、「型」はどのようなものでしょうか。

 やはりまずは当人の言い分を、頭ごなしに否定せず聴くことでしょう。それに対して、当該組織団体のあるべき行為規範を対置させることになります。保育園であれば、それぞれの園ごとにあるべき保育の行為規範があるはずです。ただしここでは、その保育がなぜあるべきなのか、監理者サイドが言語化して説得的に語れることが必要です。そのためには常日頃からの検証が不可欠で、よく考えたら実は経験的な思い込みに基づくドグマで、実は合理的根拠はなかったと気付くこともあるでしょう。

 昨年うちの園の運動会に参加した際に、保育士が子どもをやや強引に競技に参加させようとしている姿が散見され、園長にはそれとなく伝えました。他方、保育士たち自身も気になっていたらしく、後日の総括会議でなぜ自分がそのような行動をしてしまったのか自問自答し、同僚たちと議論する姿が見られました。保育実践を集団的に検証する議論を行うためには、検討の軸となるあるべき保育観、学問的にも経験的にも合理的に裏付けられた保育方針が必要です。そういった保育観や保育方針は法律家である弁護士が関知しうるところではないので、各園で保育士たちによって形成していってもらうほかありません。
 これもひとつの「型」ですね。トラブル対処のための「型」ではなく、そもそも保育園運営上持っていなければならない「型」をトラブル対応の場面でも使うのだということです。

4 クレームに合理的理由がない場面

 実はこの保育観、保育指針という「型」は、保護者・利用者の言い分に合理的理由がない場面でも使います。保護者・利用者の言い分や要望を受け入れるべきでない場面の多くは、各園の保育観や保育指針と整合しない場面です。うちの園の保育はこうだからと明確に説明できなければなりません。各園の保育と整合しない要望を受容してしまうと、園の運営と保育そのものが崩れてしまいます。他方、その従来の方針が今なお合理性を保っているかどうか、普段に検証しなければならないことは前述のとおりです。

以上


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