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夏の終わりでもなんとか生きてるよ日記

日傘の似合う女の子になりたいと思っていたら夏が終わる音がした。焦る。
ていうか23ってもう女の子って言っちゃだめ?昨日料理酒買ったらレジで年確されたんだけどそれってそういうことじゃないの?だめか。
酒も飲めるし煙草も吸います。女の子じゃないかも。

母が三途の川を渡りかけたので急遽実家に帰省している。二階の自室の窓を開けると田舎の匂いがする。草、土、風、なにかを燃した匂い。虫の声も聞こえる。春だったらそこに発情期の猫の鳴き声が加わるし、お盆やお彼岸の時期ならお線香の匂いが漂ってくる。お坊さんがお経を唱える声が聴こえる日もある。実家の目の前がお寺(お墓)なの。毎日誰かの命日なんだな~と思うと、和風メルヘンチックというか不思議な気分になる。和風メルヘンチックってなに。ちなみに霊や火の玉は見たことない。あれって見える見えないは天賦の才の有無で決まるんでしょ、知らないけど。

『希望は売り切れですか』って里子が言ってた(映画『ストロベリーショートケイクス』)。私は基本青色のhiなliteなんだけど、たまに緑色しか置かれてない場所あるから困る。好きなひとは今、仮でラクダをお供にしているらしい。「夏が傾いてる、秋の中に隠れようとしてる」って言ってた。

のどが渇いたのでコップに手を伸ばしたら空っぽだった。仕方なくキーボードを打つ手を止めて浄水器に向かう。いつもそう、いつも詰めが甘い。欲しいときに欲しいものが手元にない。どうでもいいときは潤沢にあるくせに。
アンキパンやどこでもドア、タイムふろしきを欲しいと思わなくなったのはいつからかな。昔はテレビの前でそれなりに心躍ったよ。アンキパンがあったらテスト無双できるな。どこでもドアがあったらクソ暑いなか下級生連れて登校班で登校する必要ないし、信号待ちで止まって無風になった瞬間じわじわ湧いてくる汗に殺意を抱かずに済むな。タイムふろしきがあったらママにぶん殴られる前に戻って自分の愚行をなかったことにできるな。四次元ポケットなんて無いことも、そもそもドラえもんがこの世に存在しないことも頭ではちゃんと分かってた。分かってたけど、事実よりも理想を信じたい気持ちの比重が重かったから、あり得ない希望に目を奪われたふりをしていた。
でもいつからかその比重が逆転して、事実しか目に入らなくなっちゃった。ひみつ道具があったら~じゃなくて、いやそもそも存在しないし云々かんぬん……まったく、つまらない大人になっちまった。汚れつちまつた悲しみに。なにを望むことも願うこともなく、倦怠のうちに死を夢見るような大人になっちまった。結局怖気づいてなんにも成せぬまま日が暮れるんだよ。イヤだねえ、あたしゃキライだよそんな大人、って心の中のちびまる子ちゃんが言ってる。
でも、月末締め翌月27日支払いの給料日を指くわえて待つような大人になった今、切実に欲しいよ、アンキパンもどこでもドアもタイムふろしきも全部。一周回って純粋に欲しいと思えるようになった。存在しないのは勿論分かってるんだけど、それでもやっぱり欲しいんだ。だってあまりに魅力的すぎる。きせかえカメラも超よくない?したい格好がなんでもできるんだよ。似合わないからって諦めてたロリータとか着てみちゃったりなんだりできるんだよ。あと単純にアンキパンとかほんやくこんにゃくとか食べ物系のひみつ道具がおいしいのかどうかを確かめたい。四次元ポケットの中の衛生管理どうなってんの?冷凍機能とかある感じ?

先日、好きなひとが妹さんの高校の文化祭に行ってきたらしい。
high teenのあまりの眩さに当てられて憔悴しきっていた。あいつらは生気を奪う化け物だ…とか言ってた。校門から入って二秒でもうやられたって。雑魚すぎる。「え~~○○のお兄さんですか~!一緒に写真撮りましょ~~!」って近付かれて、思わず脳裏に”犯罪”の二文字が浮かんだって。でも気持ちはよく分かる。16から見た我々が大人なように、我々から見る16は子供で危なっかしくて尊くて輝いている。私が16のときに関わってた23、24の人たちも凄く大人に見えた。実際年齢からして彼らは大人だったんだけど、そうじゃなくて、なんか言動から滲み出る余裕みたいなものを感じ取っていた。じゃあ逆も然りなわけで。23、24から見た16の私たちなんてお子ちゃま以外の何者でもなかったはずだ。部活の関係で一時期そんな大人たちと一緒に過ごしていたけれど、本当「クソガキが調子乗ってご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」って土下座したい。打ち上げで奢ってもらったドミノピザめちゃくちゃ美味しかったです。車でライブハウスまで送迎してくれてありがとうございました。「ベースラインが気持ちいいおすすめのバンド教えてください」って言った私に相対性理論の『シンクロニシティーン』『シフォン主義』のCDを貸してくれてありがとうございました。当時ウォークマンに入れて聴きまくってました。

大人とか子供の明確な定義を示すのは法律の仕事であって、私たちの仕事じゃない。人間みんなこころの中に大人も子供も飼ってるんじゃないかな。私は飼ってる。大人の私にしか頼めないときは「私さーん、出番でーす」ってお願いするし、子供の私じゃないとやってらんない!ってときは「私~!後片付けは大人がやるから、今はとりあえずめちゃくちゃに暴れちゃってくれ~~!!」ってお願いして全力ではしゃいでもらう。
最初の『日傘の似合う~女の子じゃないかも。』をX(Twitter)で呟いたらフォロワーさんから『女の子です💐』ってリプが来た。うれし~~愛(らぶ)です!

こんな感じで毎日なんとなく、なんだかんだ生きている。
最近はちょっと疎遠気味なだけで相変わらず希死念慮とは親友だし、昼間は在宅で労力に対して割に合わない給与の採点バイトをちまちまやってるし、明日は記事編集・校閲の在宅バイトのWEB面接控えてるし、土曜日は母の退院日で忙しくなるだろうし、今から(15時過ぎ)洗濯物を取り込んで夕飯を準備しなきゃいけない。今日はきのことベーコンのクリームパスタです!副菜はなにがいいかな、頭が回らん。とりあえず水飲も……また空っぽだ……。

えゝい儘よ!
あ、好きなひとから電話かかってきた。

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