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遠回りしたあの時の自分へ

実は今日で毎日ブログを書き始めて60日目だ。
すぐに止めてしまう自分にしてはよく続いている方だと思う。

僕は考えることが好きというか、もはや癖のようで常にぐるぐると何かしらを考えている。

今回は『なんでこんなに続いているんだろう』といったところだろうか。


僕の見てくれは赤ヒゲのおじさんだが、何気に大学院の修士課程を出ている。
肩書が仕事で役に立ったことは一度もないが事実としてはそういうことだ。

こうなっていったのはおそらく幼少期の生活が関係している。

幼少期の日常の話

僕は愛知県瀬戸市で4人家族の次男として生まれた。
4つ離れた兄がいたが、こいつが問題で事実上家庭は崩壊した。

当時僕が小学生・中学生の頃、兄が家で暴れ親がそれを制止する。
それが僕の日常だった。

子供の成長は早いもので、兄の身体がでかくなれば止めることもだんだん難しくなってくる。
窓ガラスは割れるので年中雨戸で光は入らず、階段の壁に空いたたくさんのこぶし大の穴を隠すために母が色々な飾りを施していて、今思うと少しファンシーな世界観になっていた。

テーブルも椅子も壊され、冷蔵庫や炊飯器なんかはもう何代目か分からない。徳川家康が気づいたら徳川義経になっていたら民は驚くだろう。でも僕にはそれが当たり前だった。

高校2年の秋?冬?まで実家で暮らしていたが、それまでの僕はやっぱりガキだったし、選択をすることから逃げていた。僕が争いに参加すると話が面倒なことになるので自室に引きこもりなるべく自分の存在を消した。

よくよく原因を探っていると兄はとにかくウサを晴らしたがっていた。そしてその要因の1つは僕と兄自身との比較からきていることが分かってきた。
兄の基準の中で僕の方が優遇されていると感じる点にイライラして、怒りの矛先を両親に向ける。

家がぐちゃぐちゃになる要因は僕にあったのである。

原因が分かれば対策は打てる。
対策は簡単で、僕がこの家から居なくなればいいのだ。
兄の視界に入るとスイッチが入ってしまう可能性があるので家から出て戻ってはいけない。それが一番確実で簡単な方法だろう。

その後、20年以上経ったが1度しか実家に足を踏み入れたことはない。

ちゃんとしなきゃいけない病

思うのはいつも「あぁなってはいけない」ということだった。

兄を反面教師とすればするほどしっかりしなきゃいけないという意識が根付いてくる。
当時はまだインターネットも黎明期。SNSも流行っておらず多様性のある生き方なんて言葉をお目にかかったこともない。

自分にとって一番分かりやすかったのは『学力』や『肩書』だった。

周りがタバコをふかしていてもタバコを吸わずに勉強して、人の道から外れず進学する、みたいな古い固定概念そのままをなぞるのがとても分かりやすかった。

それが『ちゃんとしていること』でしっかりしていれば良い方に進むと思い込んでいた。

結果、肩書が役に立ったことは今のところまだない。

しかし無駄だったとは思わない。
少なくとも1つ役に立ったことは『苦しさへの耐性がついたこと』。
これは大きな財産になっている。

やっと本題に戻ってきた

なんでこんな話をしているのか既に見失っているが、多分頑張って続けてみる、というところに繋がるんだろう。

そういうことにしよう。

「あぁなってはいけない」という思いが今もしっかり根付いており、それを回避するために頭が勝手に思考をぐるぐるとしてしまう。
回避するための策を講じる。そういう癖がついている。
だから僕は1つの文章を書くのにとても時間がかかる
あぁなりたくないから。

別に良い文章を書けないと『あぁなる』わけではないことは理解しているつもりだが、多分『ちゃんとしていない自分』になることに嫌悪感があったり、もっと言えば怖さがあるのだろう。

そういう自分にとって毎日ブログを書くことはかなりしんどい。
あろうことか、最近では時間制限を設け、達成できなければペナルティ(500円)までつけている。

無限に時間があればクオリティを上げていくことはできるが時間制限があるとそうもいかない。
これは僕の中の『ちゃんとしていない自分』へのすり合わせ作業でもある。
ちなみに数分前にペナルティが確定している。

続けることで見えてくることがあるんだ

『苦しさへの耐性』と『ちゃんとしないと病』を両脇に抱えながらとにかく60日間ブログを書いてみた。

すると一個一個の記事では見えなかったが、並べてみると『やり方の説明』や『ツールの紹介』などが多いなと感じた。
言ってみたら『もっと便利になる方法』を伝えることが多かった。

傾向が見えてきたのである。

しかし日々書いていると分かるのだが、使い方や解説系の記事は労力がハンパない。
手順ごとにスクリーンショットを撮って、画像をアップロードして、説明をつけてを1つの記事の中で繰り返す。時には画像を分かりやすくするために加工することもあるのだから当然だ。

しかし、そっち系の記事が多いのである。

これだけ苦しい想いをしてるのに書きたくなる理由。
それは純粋に好きなんだというのが僕の結論である。

これまで上手く言語化できなかったが『便利になること』や『効率がいいこと』がどうやら純粋に好きなようなのだ。

すごく遠回りをしたがようやく自分のコンパスを見つけた。

この遠回りにはきっと意味があったのだと思う。
むしろ意味づけをするのはいつも後になってからだ。だから今からいくらでも意味づけすることはできる。

僕はこの遠回りに人としての幅・余白をもらえたと意味づけをする。
その余白が人生の豊かさを作るのだと思う。
贅沢な経験も理不尽に潰されそうな経験も、違う誰かの気持ちを想像することの助けにはなる。

そうやって他人の人生を見聞きし、寄り添い寄り添ってもらえるということは、ただ独りだけの世界と比べてとても豊かな世界に思える。

あの時の自分を思い返す度に、これからもその余白を大切にしようと僕は誓うのである。

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