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抽象的な切迫感

別に変な話をするわけじゃないのだけど、今の自分からは確実に変な気が出ている気がする。

多分、切迫感がそうさせている。

自分でその変な気を断つことが出来るのであればそれが一番いいし、ぼく自身、変な気を出してしまうことがままあるという風に自覚している。

だからある意味、今の自分の状態というのは慣れっこではあるし、今までも自然と解消されてきたと思う。
ただものすごく嫌な感じだ。今の自分が好きじゃない。苦しいし、悔しい。

そして誰にも相談しようがない感じが本当にやるせない。

原因は分かってる。
ぼく自身が長い目で物事を見るということがとんでもなく苦手だということに起因していると思う。

結果をすぐに欲しがってしまう。
信じたものを疑わなくなってしまう。
所有欲がすごい。我ながらびっくりする。

その一方で、所有した途端に心がスーッと引いていく自分を激しく恐れている。

どうしてもっとラフに生きることが出来ないのだろう。
誰のせいでもない。自分のせいだと思う。

でも自分のせいにしてしまうことで逃げている感じもするし、自分のせいにしない方が楽だったりもする。

そしてこの文章を書くこと自体が“被害者”の席に座っている気がして、本当にたまらない気持ちになる。
結局、愛されたいのだなと思ってしまう。

切迫感の正体は愛されたいという欲求でしかない。
なんて情けないのだろう。どうして愛されたいではなく、愛するということを選択できないのだろう。

自分に似たようなひとはよく見かける。
そういうひとって外から見るととても怖い。事件を起こしそうな感じがする。
何かのきっかけとかボタンの掛け違いが起きた瞬間に事件が起こる気がする。

そういうひとって外側から見ている限り、自分をものすごく責めたりすることで、ひとの気を惹こうとする。
やっていることは今の自分と何も変わらない。

具体的なことは何も書かず、あたかも自分を責めるかのような文章でひとの気を惹こうとしている。のかもしれない。

ある種、自傷行為にも近いのかもしれない。
そういうひとは危うい。確かに思わず見てしまう。

別に自傷行為をしようとは思わないけど、気持ちは分かる。

多分、自分を信じることでしか保つ道は無いのだろうなと思う。

文章を書いて、少し楽になる。
ひとに期待しない。自分を信じる。捨てる捨てる捨てる。執着を手放す。

何も決めつけない。ただそこにいてみる。

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