見出し画像

労したら労る。

最近、重労働を強いられている。
無限に届くオーダー、それに対して料理を提供し続けなければならない。

周りでは鍋を振る音、ボウルで混ぜる音、罵詈雑言の雨嵐。

ここまでが(俳優としての)フィクション。
ここからがノンフィクション。

身体と心が想像以上に疲れている。
寝ても疲れが取れなくなってきている。

舞台上で生きることが自分自身のリアルな世界に及ぼす影響はかなり大きい。
大量の騒音と罵詈雑言が飛び交う中で、集中力を持って生き続けることの苦しさは舞台上のぼくだけではなく、日々を生きるぼくにもずっしりとのしかかってくる。

先日のオフ、あまりにも疲労が凄かったので地元のスーパー銭湯に行ってきた。
天然温泉に入って、サウナに入って、水風呂に入って、整って、リクライニングシートでスラムダンクを読む。

十分にリラックスできた。でも、リラックスできたのは身体だけだったらしい。

今、心がひとりになりたがっている。
無の空間をひたすらに欲している。

それもあって、ぼくは最近、稽古前にゆっくりと本を読む時間をとっている。
その時間をとってから稽古場に向かうと、俳優として状態よく稽古に臨むことができる。

しかしそれも限界を迎えてしまった。

稽古場のある上野で、本当にひとりになれる、ぼくが好んでいられる場所が本当に見つからないのだ。
今までは上野公園のベンチで耐え忍んでいたのだが、正直、その雑多感はぼくの好みではない。

限界を迎えた日、ぼくは2時間近く上野周辺を歩き回った。
(今後も上野には来ることがあるし、その中でお気に入りな場所は見つけておきたいと思ったので)

見つからない。それに加え、選挙カーがぼくの歩き回っている地域を巡り巡りまくっている。
ぼくのことを追いかけてくるかのように選挙カーと出会ってしまう。

「もうぼくは期日前投票しています。放っておいてください。」という感じだ。

そこで最終手段。ぼくが上野で唯一知っている観葉植物がたくさん置かれたブックカフェに行ってみることにした。

ひとで溢れている。
きっとぼくのような【上野難民】が集っているのだと思った。
お店に入って、すぐに出てしまった。

最終手段すら潰えた。

そんなとき、ぼくの目の前をコミュニティバスが通過した。

そしてひらめく。

「コミュニティバスで目的もなく旅をしよう」

バスに乗ると、そこには穏やかそうなご老人が数名。
上野でようやく心を落ち着ける場所に出会えた。
ものすごく呼吸がしやすい。

毎回こんなことをするわけにもいかないから、次のオフ、本当に何もないところに行きたい。

【現代の蟹工船】で働いているひと達の肉体的疲労と心労はぼくが今体験している遥か上なのだと思う。
どうか、どうか皆さま、自分を労ってほしい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?