夏休みの宿題って必要?〜宿題代行の記事から小学校教員が考えたこと〜
今日はネットニュースの記事から考えたことシリーズ第一弾。
毎日の投稿を続けていく上で、ネタ切れになりそうな気配しかしないので、自分の中でいろんなレパートリーを増やしていければと考えています。
今日の記事はタイトルにもあるように「夏休みの宿題代行」について。
小学校教員である私にとっては、とても身近でかつ、ちょっと考えなければならない問題だと思い、記事にしています。
「9割の親が手伝う」と聞くと、「そんなに!」となるかもしれませんが、「手伝う」と言っても、程度はそれぞれ。(下は記事の一部を引用)
確かに自由研究や読書感想文については、学校で手取り足取り指導をする時間がなく、ほぼ丸投げ状態になってしまっているのも現状です…(私の勤務校では自由研究は本当に自由、読書感想文も出していない学年が多いですが)
さて、この記事の論点は「宿題を手伝う」ということよりも、「宿題の代行」(いわゆる代行サービスや自由研究用の作品を買うなど様々)が行われてしまっていることです。
子どもが時間的なコストパフォーマンスを考えて、外注した方が効率がよいと判断しているのであれば、「いや〜。君は将来有望な経営者になると思うよ〜。」なんて、笑って言えると思うのですが…笑
基本的にフリマサイトなどで購入するのは保護者ですよね。
記事にもあるように、「どうしても時間がなくて…」、「受験だから宿題をやっている暇なんてない」という理由があるとはいえ、それを子どもと一緒に堂々とやっていることが問題だと感じてしまいます。(あんなに宿題出しておいてよく言うよ。という保護者の皆様、すみません…)
しかしながら、そういった家庭を責めていても問題は解決しませんよね。
そもそも、「何のために宿題があるのか」という問いと、我々教員は向き合う必要があると思います。これは夏休みの宿題に限りません。
宿題の必要性についての議論を書くと相当長くなりそうなので、今回の記事はここで終わりにしますが、「学習においても個別最適化が求められる時代に、みんなが同じ宿題をしなければならない」という考え方の転換期であると感じています。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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