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人生において安定を選ぶ?自由を選ぶ?from [良識派:安部公房]

こんにちは!文転高校生です。
現代文の授業はこれからも続きますが、ここまで力を入れてやるのはこの1学年が最後かと思うので大事に授業を受けています。

題名の問いは現代文の授業で投げかけられたものです。私はどちらかを選んだとして意見を書いたところで考えが深まらないだろうと思いました。それはただ、自分の価値観を意見として述べているだけだからです。私は両方の立場になって考えたとき考えが深まり、本当に自分が選びたい人生を知ることが出来ると考え、あえて自分が選ばないであろう方から選んで意見を書いてみました。是非、一緒に考えてみてください!

題材は阿部工房の“良識派”

簡単なあらすじ

ニワトリたちが当たり前に自由に生活しているところへ人間がやってきて金網付きの家であるニワトリ小屋を立てた。

カギのかかったドアを見て住むか決断を渋ったニワトリに人間は理屈ばかり言って説得する。

ニワトリは皆、少しは感じているだろう不安を口に出したニワトリが1羽いた。すると人間がそのニワトリの考えがまるでおかしいかのように誘導した。

ニワトリたちはどちらの言い分も分かる。この問題を考えることは難しく面倒くさいから、考えることを先延ばしにし放棄した。人間に誘導されたまま1羽のニワトリを仲間はずれにした。仲間はずれにされてしまった1羽のニワトリは皆がそう思っていないのにそこまでして人間を疑う必要もないと判断し、皆に続いた。

「その後のことは、もうだれもが知っている通りのことだ。」と言う1文で締めくくられている。結果的にニワトリは人間の家畜になったということではなかろうか。

現代社会の風刺のようだ

これを読んでどう感じましたか?人それぞれだと思うけれど、私は現代社会に重ね合わせました。人間は政府、ニワトリたちは大衆。1羽のニワトリは活動家だとしたら、今の私たちに似ていると思いませんか?簡単に言いくるめられて自分の生活に関わっている、自分の国で起こっていることを明確に説明することすらできない日本国民が大半ですよね。政府は考えるのが難しい言い方をわざとしており、私たちは難しいからと考えることを先延ばしにしたままです。そうして、よく知らないうちに自分の生活が苦しくなっているのがまさに今の若者だと思います。

若者は特に選挙へ行け。と言われる理由はここにあると思います。本質を見抜ける人ならそんなこと言われなくても理解しようとすることでしょう。自分や、守りたい誰かのために。

あなたは‘人生において安定を選ぶ?自由を選ぶ?’

さて、少しこの作品の理解を深めたところで本題へ移ります。
この質問が投げかけられたのは第二段落の人間のセリフ。「エサは私が毎日エサ箱いっぱいに運んでこよう。」を読み取ったあとでした。

(出入りが自由にできない不自由=安全)と人間は誘導します。
その後、(エサ不足の解消=安定)と結びつけたのです。
人間がどちらを大切にしろと誘導していたかというと、

自由<安定

と、明確に解ります。

これは個人の価値観で大いに逆転してくることでもありますよね。ここから、本題である質問が投げかけられました。
それでは実際に考えてみましょう。

安定を選ぶ派の意見

私は安定を選ぶ。
自由=挑戦だと私は考えている。
例えば、私がいつも各ハンバーガーチェーン店で頼むメニューは既に決めている。これはれっきとした安定派だろう。沢山選択肢はあるが挑戦した結果、いつも食べるメニューにすればよかったと後悔することが多いからだ。
だから人生においても今までの経験の中で1番幸せだったことをし続ければ、それ以上の幸せを知ることはない。そんな人生も、私の中では幸せな人生だったと思うことができるだろうと考える。

まずは私は選ばないであろう安定派になりきって書いてみました。例にとって考えることでより分かりやすくなるかなと思い例を入れました。きっとみなさんの中にも新作が出ても決まったセットしか食べない方と新作は絶対1度は食べる方がいらっしゃると思います。私は前者です。絶対に失敗がないのでいつも最高に美味しく食べられます。しかし、新作の中にはこれよりももっと美味しいものがあるかも知れないけれどそれは知りません。もちろん食べたことがないので知ることができません。
人生もそのように考えることができるんじゃないかと思いました。

自由を選ぶ派の意見

私は自由を選ぶ。
自由=挑戦(または挑戦できる環境)だと私は考えている。
私の人生を振り返ったとき、いつも挑戦していたように感じる。挑戦して失敗したときに、人生のどん底を味わったとしても、得たものはとても多かった。それに安パイの人生なんて生きた心地がしない。何のために生きているのか分からない。安定なら機械とまるで同じだ。挑戦することは思考力や想像力のある人間にしかできない。せっかく人間なのにそれをしないのは勿体無い。
そう考えたとき、私はそんな人間味に溢れる人生を選びたいと思った。

これは私が振り返るといつも挑戦していたということを入れているんですが、いつも挑戦を選んでいるということは私自身がそちらの方が満足できる人生になると考えているからだと感じました。自由だから挑戦することができました。これは実体験であり、自分の成長に繋がりいつも向上心や情熱を持って生きている要因であると考えます。せっかく生きているからには常に向上していたいという、私の信念の現れだと思います。(凄く個人的な意見になってしまいましたが。)

どちらの立場にもなって考えたことで分かったこと

どちらもありだと、私は思いました。幸せであるためには知らないことも大事だなと。例えば、北朝鮮の国民は外の世界を知ることを禁じられているから、みんな同じような生活をしていると思うだろうし、その中でも幸せを見つけているでしょう。外の世界を知った人は、こんなにも恵まれていないことに気がつき外に出ようとする、実際それで亡くなった人も沢山います。

でも私は今、日本人として生きています。学ぶことも知ることも自由なのになぜそれをしない?なぜその程度で良いと諦める?こんなに沢山の人がそれを許されない環境下にあるのに、せっかくここに生きているのだからやりたいことを追求していく人生の方がどっちに転んだとしても幸せだと思いませんか?確かに安定しない職に就くのは勇気がいることかもしれないけど、生きていればどうにかなると私は思います。だから私は、自分のやりたいことを追求して、日々向上していきたいと思いました。

私のようにもっと追求していきたいと思う人はきっと自由を、安パイな人生が1番な人は安定を選ぶんじゃないかと思いました。

自分の周りにも自分がやりたいこととか、学びたいことのために一生懸命になっている人がたまにいます。そんな人たちはとてもとても輝いて見えるし、とてもカッコいいです!私はそんな人たちに追随して頑張りたいと思います。

○安定と自由の私なりの考え方

私は受験に重ねました。(またです…)
安定は安パイの学校を第一志望として確実に入学すること。
自由は挑戦校を第一志望して受験すること。
どちらの受験がしたいですか?と聞かれたら私は食い気味で後者を選ぶはずです。せっかく挑戦する権利があるのに挑戦しない理由はないと思うからです。挑戦しているときの自分はとてもカッコいいと思えたからです。そのときの自分だけは全て認めることができたからです。

だから私は常に挑戦していきたい。

おわりに

みなさんはどっち派でしたか?
私のような考え方をするひとは少ないんじゃないですかね。こんな極端に考える人は中々少なそうだと勝手に思っています。授業でまだそこまで沢山の人の意見は聞けてないので、もっと知りたいです。どんな意見があるのか。
挑戦できる環境なら積極的に挑戦すべき!だと思います。特に学生のうちは失うものなんてほぼないですから。

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました!ついに学年末試験2週間前となったのでここから2週間は試験勉強に集中することにします。
学年末、頑張ってきまーす👋🏻

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