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家庭崩壊危機からスタートアップ経営者になった話(後編)

仕事も家事育児も休日の過ごし方も精一杯やっている
正直限界に近いけれど家族のために頑張る、
夫的にはそう思っている中でも起きるのが育児家庭の不和でした。

ほぼ毎日だった会食(飲み会)を週3に絞ってるだけでも大分セーブしてるつもりだったので、自分の肌感や基準も、色んなところで笑っちゃうくらいおかしかったのですが、そんなことすら中々受け入れられなかったりしたものです。

でも、理解できた後は、四苦八苦しつつ、頑張る以外の異次元の打ち手を、それこそ妻にもリスクを背負ってもらいながら共にできた気がします。

割と思い切ったこともしたけれど、
今思えば冒険しているようで楽しく、二人でたまに振り返って話をして、今後のことを話すことも楽しいなと感じます。


育児家事と仕事に挟まれての家庭の限界を感じてからどんなことをしてきたかを書き残しておきたいと思います。


育休中note8本目
人生を全力で進んできた結果、家庭の危機に至るまでは昨日の前編にて。

当時の我が家のバランス

妻からのシングルマザーか!発言の頃の我が家のバランスについて
育児家事バランスの図解記事で書いた、コミュニティ・リングのモデルで表すとこんな感じ。

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かなり赤い領域が多い。
どうしても共働きで仕事を抱えているので、家事も育児も、二人でやるというよりはどちらか一方がやることが多くなりがち。

だって二人でやっても時間がもったいないんだもん、という感じ。
自分がこれやってる間に、あれやっておいてよ、になる。

ワンオペの家事も育児も、時間や労働力の大変さよりも、
過ごす時間のつまらなさや心の救いのなさが深刻だ。

妻との時間、子と3人で過ごす時間は楽しくやれたが、かなり限られた。

夫婦それぞれのリラックスタイムはほぼ無く、不定期で、
たまの土日は僕がワンオペ日を作って妻に自由時間をつくったりしたし、
平日は僕が飲み会に行くことも許容してもらうことがあった、
互いの犠牲の上に、互いの余暇をつくるような、状況だった。

やったこと

主なイベントをシンプルに書いていきたい。

夫が休みをとった

育休なんて格好いいものではない。
妻からの言葉以降、ずっと悩みながら仕事にあたっていた。
飲み会は極力いかず、仕事も自己満足度で諦める部分をつくり騙し騙しやっていたので体調を大きく崩した

休暇を貰ったことで、本来自分が休む期間ではあるが、強制的に仕事のことを考えず規則正しく育児と家事をする期間をつくれた。
騙し騙しの対策ではどうにもバランスがとれないことが分かった

サスティナビリティのある生活モデルに向けて発想を広げるきっかけ。

家(マンション)を売った

前回noteに書いた通り、
20代半ば頃、購入した2LDKのマンションがあった。DINKS用で55平米くらい、一人の子供なら十分暮らせたが売った。

手当ての類は後から入ってくるし、収入は減るので現金が大きく目減りしていくのを見るのが正直怖かった
動かせる資産がないと、やれることの選択肢が限られる。
変化を志向する家庭と固定資産は相性が悪かった

保育園の近くに引っ越した

復職したら家事と育児はいつもどおり続く。
家事も育児も、どちらか一方が、妻の方がより多くワンオペしていた。
互いに、仕事の前後の家事育児は辛い。

子供は自分で歩き出した頃で、保育園の行き帰り道に目の前に立ちふさがっては抱っこをねだったり、ベビーカーを嫌がったりした。

雨の日で買い物袋があると詰む。
辛いし、どちらかが頑張って解決できるものでもない共通の課題だったので
ストレスを小さくするため、保育園の目の前のマンションに引っ越した。

転職した

自分の人生を賭けてといっていいぐらいコミットしていた会社を辞めることにした。
背負っているつもりでも、出来ることは社員としてであり、会社はみんなのものであって、僕の人生のために存在してる訳ではない。
通すべきスジは通して、自分の人生のために、会社は選択するもの、と位置づけた。

また、年収についての考えも変わった
当たり前のことだが、100万あがっても、向こう1年働いて初めて100万円が増える。10年続けてやっと1000万だ。手取りはもっと少ない。
会社の仕組み上、先に成果、報酬はあとからゆっくりついてくる。

20%昇給して、仕事ぶりも20%増えるのであれば継続性に欠ける。

であれば、続けられる仕事の方が大事だし、
成果に比例して報酬を期待するならその会社のビジネスモデルが重要だ。

既にあるストック/プロダクトが効いたビジネスモデルの中で、
価値提供を加速する役割で自分のスキルを使う方が雇用主にとってもROIが高い(=自分もより報酬分配が受けやすい)と考えた。

縁あって労働集約性が低いビジネスモデルで成功していて、一部成果報酬のある外資系企業に務めることになった。

妻が専業主婦になった&保育士資格取得

妻も仕事には悩んでいた。
家族という心を向けたい大事な存在がいる中で貴重な時間を使うのだから、感情移入できる仕事でなければ。

自分の人生経験上共感できる仕事で、いくつか未経験の職種を考えてみていたが、仕事への情熱よりは今は家庭に集中できないストレスが一番だったようだ。

幸い、僕の転職では収入面のオーダーも譲らなかったので当面1馬力で問題ないと思えた。

ただ、育児が落ち着いたら自分の辛かった経験を活かして仕事も出来るようにと、約半年ほど独学して保育士の資格をとっていた。
生きやすさを考えて、会社を選択する生き方はリスクも伴うので、とっても心強く感じ、支えられた。

そして、経営者になった

転職先はすこぶる働きやすく、報酬も成長も得られる素晴らしい環境だったが中小企業の経営を経て自分で会社を創業するまでになった。

外資系/ジョブ型の組織で、責任と成果がはっきりとしており、仕事の状況に応じて休みをとったり、重要な仕事のタイミングを非常にコントロールがしやすかった。
外資は怖いと思っていたが、不条理もストレスも少ない組織で感度した。

それでも、人の期待に応えたいと思ってしまいがちな性分から
横の関係も含めた、ピープルマネージの側面や人からマネジメントを受けること自体が、家庭との板挟みを回避する働き方として向いていないことが分かった。

もっと自分のコントロールを最大化しようと、個人事業のようなことをして語りまわっていたら、一緒にやろうという仲間が出来て会社をすることになっていた。(大分端折る)

あとがき

仕事を諦めるでも、夫婦で苦労を分担して気合で乗り切るでもなく、

お金で解決したり、
とある側面でリスクのあがる選択をしてみたり、
一般的ではない選択肢も手札にいれてみたり、

リスクはあるけれどその時々でちょっといい感じのする方へ
思い切って舵を切るというのは割と夫婦の意思決定を合わせるのが難しい部分な気がします。

一緒に意思決定を背負ってくれた妻や変化についてきてくれる子供達にも改めて感謝です。

これからも家族で変化しながら生きていきたい。

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