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誰かのnoteを読み漁る日々も悪くない

noteの世界に足を踏み入れたのは去年に9月のことでした。あれから半年以上が経った今、私はようやく他の方が書くnoteを読むようになります。

今までは書く専門でした。

正直、自分以外の誰かが書く文章にあまり興味はありませんでした。私はただ発信がしたかった。書いて書いて書いて書きまくって、できるだけ多くの人に読んで欲しかったのです。

読むとしたら、プロが書く文章だけ。執筆媒体『珈琲時間』の先輩ライターの文章や大手出版社が発行する雑誌の文章しか読んでいませんでした。

おそらく、その頃の私は大した成長もなかったと思います。ただの現状維持。ひたすら自己流で書き連ねた文章を生み出す日々でした。

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当時の私は間違っていたのかもしれません。

余裕ができた今だからこそ気づけましたが、どんな文章であれ、誰かが書いた文章に触れることで、自分の改善点や伸ばしたいところが見えてくるのです。つまり、プロの文章か素人の文章かなんて関係ない。全部糧にしようと思えばきちんと糧になります。

そのことに気づいてからは、意識しながら文章を読むようになりました。

「この人の文章、好きだな」から入り、「どうして好きなんだろう」と考えると見えてくるのです。「柔らかい雰囲気が好きなんだな」「柔らかいと感じるのは、ひらがなが多いから」「余韻の残し方がいいのか」などといったように。

その逆もしかり。読み進めるのにエネルギーを要する文章もあります。そのような文章は、反面教師にぴったり。「どうして読みづらいのか」「どう改善したらいいのか」と知らず知らずのうちに考えるようになりました。

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どのような文章にも、自分の糧になる粒が散りばめられていると思うようになりました。そう思うことで、noteでいろんな方々の文章を読むことが習慣に。

得られるものは文章力だけではありません。

経験値です。

文章には、疑似体験をさせてくれる魔法のような力があります。読んでいるだけで、あたかも書き手の体験をしたかのような気持ちになれるのです。

私はその体験がしたくて読んでいる、と言っても過言ではありません。

noteはブログや紙媒体の読み物と比べると、個人的な文章が非常に多いです。赤裸々にエッセイタッチで書く人をごろごろ見かけます。赤裸々であればあるほど、私は疑似体験ができる。私がnoteを読む理由はそこにあります。

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書いてアウトプットすることも必要。同じくらい、読んでイントプットすることも必要でしょう。クリエイターなら、なおさらです。何かを生み出すためには、何かを取り入れなければいけません。

時間に余裕ができた今だからこそ気づけました。忙しくなってからも、私は誰かが書いたnoteを読み続けます。

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