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線路から外れて別の線路に乗り換える旅で裁量権のある仕事を探す

信号待ち、電車待ち、遅延待ち、集合待ち。
これらはすべてイライラの対象ともなりやすいけれど自分が使える時間になるならそうでもないことがある。

そんなことを考えながら駅のホームのベンチに居る。世界を眺めていると声がする。子どもたちが電車に乗る前にテンションがあがっているみたい。わかる。お出かけの前はテンションが少し上がる。ウキウキするよね。

電車がくる。
ボクはこれからお出かけというよりは用事がある。とある施設の見学へ向かう。ウキウキする気持ちと緊張が両方あってつまりは高揚感がある感じだ。仕事に向かうときもこうありたいと思うことが何度もあった。つまり、仕事が楽しくないというか気分良くできていない時はそんなことになるのだろうと思う。

補助椅子に座った。
始めていく駅に向かうからかドキドキする。

ふと思い出す。
最近しばらくは近場に務めているから電車で仕事に行くことはなかったのだけれど、満員電車なんてものは二度と乗りたくないという気持ちすらある。時間帯によって変わるだろうけれど、ボクは8:00に勤務するために渋滞とか満員電車を避けて6:30とかに駅に到着してもいいとすら思うタイプだ。つまり、5:00起きみたいな感じ。新入社員の頃なんかは特にそうやって勤務していたことが多かった。着いた駅の待合室でしばらくコーヒーを飲んだり朝食を食べつつ国家資格の試験の勉強をしたりするのだ。

そうやって自分でコントロールした時間は苦にならない。つまり、人の指示でがんじがらめになった仕事は飽き飽きするし、現場で見て聞いて学べという主義なのに聞いたら「いちいち聞くな」と怒号を飛ばされたりする。その瞬間になんのために働いているのかわからなくなる。何故、誰かのために働いているはずなのにこの人に怒号を飛ばされているのかわからなくなる。つまり、感情が乗った言葉を投げられると心が揺さぶられるから仕事が手につかなくなる。

子どものころ感受性が豊かだと成績表なんかでも書かれていたり、きちんとモノを整理整頓しているなどと書かれたりしていた。怒られることはあまりしなかった。たまに、めちゃめちゃ怒られたときは泣いた。そして、思ったことが言えないと苦しくなって泣いた。コミュニケーションが下手なのかもしれない。でも、楽しいときはずっとこのままで居たい。鬼ごっこで走っていても疲れていても楽しかったらずっとそのままでいたいと思っていた。

鬼に捕まると悔しさと自分への怒りがふつふつと湧いてきて腕を振りまくって誰かを追いかけた。足が速くても追いかけられると思った瞬間に狙いを定めるように追いかけるようにしていた。

話が変な方向に来てしまった。
もうすぐ乗り換えの時間だ。

つまり、今回のこの思考整理で伝えたいのは自分でコントロールできる裁量権のあることは苦しくても頑張れるのだ。それを誰か個人の評価に委ねたり怒号を飛ばされながら進めるようなストレスフルな仕事は裁量権を奪われてしまうから続かないのだ。だったら、もう少し現場での研修期間をつくったり落ち着いて話す時間がほしい。研修期間を無駄にさせる上司が居る職場ではボクは長続きしないのかもしれない。

むしろ覚悟を決めて一人で裁量権を持ってできることをやっていくしかないのかもしれない。
そういう意味で仕事にならなくてもアートをやったり創作をすることは素晴らしい世界だ。本を読んでノートにまとめる時間も同じく誰かの創作を自分に落とし込む再編集・再構築のようなアートに近いものを感じる。

きっと、ボクはこっちに舵を取る必要がある。
この線路の先に向かうのではなく。どこかで下車して別の線路に乗ったり、歩いて線路を探してみる必要があるのかもしれない。 

乗り換えの時間だ。
それではまた。

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