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あの頃必死に「古典」を勉強したのにナゼ全く何も覚えていないのか、生かされていないのか。

2020.7.8.水. #353日目

この日、久々に仕事終わりの実家で結構酔っぱらうくらいに飲んだのですが、その時に弟がテスト勉強「古典」をしていて。

今の自分に「古典」がどう生かされているのかを考えてみたのです。


皆さんにとって「古典」ってなんですか。

苦手分野ですか、
得意分野ですか、
記憶にも残っていないチリでしょうか。

例えば、ボクにとっての「古典」って、別にそこまで生かされていないのです。

「古典」の物語も忘れてしまったし、古語の単語もすっかり抜けてしまったのです。

これって、あれと似てませんか?

「英語」です。

習って習って、
覚えて覚えて、
発音して発音して、
書いて書いて。
めちゃくちゃ勉強したのに。

話せないし、あんまり覚えていないのです。
繰り返し単語帳を見ていたはずで、それが生かされるのは、どこなのでしょうか。


だけど、よく考えてみたら「古典」や「英語」がボクたちの人生に生かされていないのは、それって当たり前のことだったんではないでしょうか。

だって、生かす目的がわからないんだもん。

英語なら、外国人と話すことが目的なのか、英語を話せた方がいいという目的なのかで、
生かし方が違います。

なんなら、外国人と話すのが目的ならば、もっと外国人の発音を聞き取れるようにリスニングの勉強をすべきだし。

日本人でも英語を話せた方がいいよね。
ってくらいの目的で大した成果が出ないのはあたりまえじゃないでしょうか。

だって、大したやる気がないんだもん。

そう、「古典」も同じく。

「古典」を通して、日本の過去の歴史的な作品を読み解き、学びを得たいことが目的なのか。

それとも「古典」の成績を取ることが目的なのか。

後者は当然、その日暮らしですから。
その後何にも活用できなくて当たり前です。


勉強ってなんの意味があるの?
という疑問に対しては、みんなそれぞれの回答があっていいと思うのです。


ボクは、過去に費やした時間の割に頭に残っていない勉強のことを「砂遊び」と例えてみるのは面白いと思っています。

学問にとって、大切なのは、その中にある「砂金」を少しずつ自分のものにしていくことだと思うのです。

「砂遊び」自体が何を得るためのものだったか。それをを決めるのは自分しか無理です。

ある日のあの時の砂遊びの砂の中に「砂金があったのではないか」というヒントを得ることになります。

それが学問をすることの意味だと思うし、目的だと思うのです。


ボクの好きな言葉に、
「人生はブレンド」
という言葉があります。

少しずつ配分を考えて、少しずつ要素を組み替えて、一番美味しいブレンドを作っていくのが人生だということです。

あの日の「古典」や「英語」に目的がなかったのならば、当然得たものは少なかったはずです。

だからこそ、もう一度、自分が捨ててきた「砂金」を取り戻していくために勉強するのは面白いかもしれません。


では、作業にもどります。
ばいばーい!


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