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『ミニマリストになりたい』のハードルを上げすぎて不幸になる話をします。

僕は21歳の時に、京都府の宇治市から京都市山科区に単身引っ越しをして一人暮らしをはじめました。
山科区椥辻駅の近くでアパートに住んでいましたが、学生アルバイトで仕送りはなしでたまにご飯を助けてもらうという微妙な身分で2.9万円の家賃で食費を削りながら結構ジリ貧な生活に四苦八苦してました。

約一年ほど経ったかな。ある夏の日、朝のバイトを終えて帰宅してきたまま部屋で (暑いなぁと思いながら) クーラーガンガンで寝ていたんですね。そして、起きたら目眩がして天井が回り始めます。急いで電話して夕方のバイトを断りました。

「やべぇ、これ死ぬかも」
っえ思いながらなんとか親に連絡して病院に行きました。点滴を打ってもらって事なきを得たのですが多分脱水状態になってたのかもしれません。
「食費を無理に削ったのが大きな栄養不足を招いたんだろう」
と思いました。
スナックパンを朝昼で分けて食べるみたいな食生活をして食費を外食含めて月1.5万円まで落とすというつもりで生活していましたからそりゃそうですよね。馬鹿な学生です。(笑)

スイミングコーチをしていて体は動かしていたので健康だと慢心していたのでしょう。当時の体重は今よりも3〜4キロも軽くて58kgでした。身長が172cmなのですが、体は筋肉質にバキバキですが、ある意味ガリガリとも言える体型になっていました。よくないよくない。
そんなこんなで一人暮らしの洗礼を受けてから今は28歳。一人暮らしベテランになりました。

いきなり本題です。

人は必ず死にます。絶対になにがあっても死にます。わかりきったことですよね。すみません。それでも、いつかは死ぬのにも関わらず『何も自分のためのことができてない』と思うことがありませんか。なんで、できないのでしょうか。
僕はそこから感じているのは、沢山やることを詰め込み過ぎているパンク状態が原因なのではないかと思っています。

つまり、ここからミニマリズムの話をします。
ミニマリズムとは最小限主義とか、必要最低限主義とかって言われたりしている考え方です。モノをなるべく減らして無駄をなくして削ぎ落としていきながら大切なモノにちゃんとフォーカスして生きるという考え方。
これは、僕がちょうど一人暮らしをしようと思ったきっかけの1つでもあるし、大学の建築インテリア専攻の卒業制作では『最小限主義的哲学の住まい』みたいなのを作っちゃってね。ゼミのみんなから『(変わり者だけど)すごい』と言われながら卒業しました。(笑)

一人暮らしベテランに足を踏み入れつつ、ミニマリズム志向ベテランにも足を踏み入れつつある僕の生きることへの思考を共有してみたいなぁと思っています。
実際にリアルな暮らしの中にあるミニマリズムですね。非現実的な削ぎ落とし行為ではなくて無駄を考慮したミニマリズムといったところでしょうか。つまり、不要物を捨てる前提ではなく。不要物が増えること前提の話です。

なんかとあるきっかけでミニマリストに憧れてるという方がこれを読んでると思って書いていますから、そのあなたにも一緒に考えてほしいのですけど。
ミニマリストってやたら削ぎ落としませんか。僕らの生活の中にあるすべてのモノが無駄であゆかのように捨てる。つまり、無駄は許さないという生き方だと思うんですね。フォーカスすることの方が大切でよっぽど必要。その中の無駄はなるべくモノとして捨てておきたいという感じじゃないですか。それを見てるからそこまでできない自分を責めたり『あー、なんて捨てれない奴なんだ』というダメ認定をしてしまう感じありませんか。(笑)

元も子もないんです。それだと。
だって、どうせ死ぬから不要物を捨てて必要物に焦点を当てて生活改善をしようと思ってたわけですよね。だから、頑張って捨てれるモノは捨ててるわけですよね。なのに、苦しくなっちゃってるじゃんっていう感じなんです。
一言でいうなら、ミニマリズムのハードル上げすぎ問題ですよね、これ。

死ぬのは絶対に死ぬのだけど、そこにある無駄をすべて排除することに時間を当てすぎたらそれこそ死ぬんです。(笑)
つまり、不要物を捨てることに頭を悩ませて不幸になってる間に死ぬんです。元も子もないでしょ。これ。(笑)

だから、僕なりのミニマリズムは無駄を許容するしフォーカスしたいもの以外も許容する。でも、気分が優れる程度まではモノを捨てていいっていうルールにしています。モノに囲まれること自体を責めてはいけないと思うのです。だって、生きるために必要なモノだけにフォーカスするなら布とお椀だけで犬樽に住んで生きた哲学者ディオゲネスには勝てませんよ。
水さえ飲めればいいと思っていたそのお椀すら叩き割ったと言われていますから、それはそれで究極だったと思いますが…。

話がズレそうになりましたが、ミニマリズムは究極な話、『裸体で路上生活』まで行くんですよね。それって幸せですか。違いますよね。自分のためでもない。だから、みんな必要なモノは何かをちゃんともう一度見直すためにミニマリストになりたいと思ったんだと思います。

でも、お薬手帳とか交通系ICカードとかスマホに入れれるものでも手元に形として残しておく方が管理しやすいモノもあるじゃないですか。僕はポイントカードは捨ててますが、ポイントカードを持たないといちいち聞かれて変な紙を渡してくる店が便利ならそのポイントカードだけはスマホの奥底に入れておいたりします。無駄だけど必要なんですよね。

不要物を捨てることに専念したあとはその部屋に必要なモノを見直してあげることも大切です。必要だったのに捨ててしまったならそれは買い戻してでも幸せになる方を取ったほうがいいです。

スーツ不要なのはスーツ不要な生活をしている人だけです。必要な人もいます。ミニマリズムでスーツを捨てる人に憧れようがスーツが必要な生活をしている自分を責めるのは違います。
エプロンは不要です。でも、僕はエプロンをYou Tubeで絵を描くときの制服として持っています。ユニフォームです。明らかに機能上では不要ですが、僕にとってユニフォームは気分の切り替えに必要です。だから、要ります。
でも、服は少ないです。ハンガーにかかる分と収納に入る分しか持ちません。Tシャツもズボンも把握できてる分しかありません。あれどこだっけとなるようなモノはすべて捨ててます。でも、スーツはホテルで働いていたから2着あります。そんな感じで自分の最適なミニマリズムがそこにあればそれでいいのだと思います。

住居もそう。
大きな部屋は要りません。でも、本当は風呂トイレ別が良いなぁと思うし、冷蔵庫のスペースはキッチンに、洗濯機置き場は家の中にあったらいいなぁと思いながら許容しています。これは、無駄を許容しているといったところですが家賃が安くてインターネットは無料で高速のものを使えたりしているので等価交換って感じですかね。

僕の好きなぬいぐるみは3つだけ家にあります。大好きなバックスバニーと一目惚れしたカメと地元のキャラクターちはや姫です。把握できていていずれはお別れするかもしれませんが今は愛でていますから不要物ですが必要なモノです。

本はある程度時期が過ぎたら売ります。前までは家に本を連ねていることが幸福でしたが移動コストと掃除の面倒さから売ることにしています。そして、電子書籍も活用しつつ好きな作家の本だけは紙の本で買って読み込んでたりもします。ここはバランスですね。
とにかく許せるなら置いとくし、置いてあって目障りでも必要なら仕方ないと思ってます。
例えば、調味料とかね。(笑)
僕からしたら目障りなんだけど自炊で使うから仕方ないねと諦めてます…。

皆さんは無駄が多すぎて困っているのではないですか。お金も自分のために使うはずがいつの間にか他人の目線で購入していたりしてませんか。自分のために使いたい分はちゃんと自分に向けて使いましょう。そうじゃないと辛いしお金も失ってしまった気分になるしなんか働くのもきついじゃないですか。だから、ミニマリズムは自由になるためだとちゃんと割り切ってミニマリストになりたいと目指してみてください。

すると、ちょっと楽にモノを捨てれるし、ちょっとだけ罪悪感なくモノを持てます。

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