「子どものために怒る」と自分を正当化する大人全員に向けて伝えたいこと【スイミングコーチのアンガーマネジメント】
2020.6.3.水 #319日目
今回の日記は、
読み飛ばさないでほしいです。
*嫌なら読まないでいいです。
子どもと関わる方に真剣にお伝えしたいことがあります。
僕が、スイミングコーチをしてきて今もずっと思うことです。
内容は、
「怒る時は子どものためと正当化してはいけない」と思う話です。
叱るも怒るも怒号という攻撃を相手にぶつけていることに変わりないからです。
しかし、人間誰しも怒りの感情は湧きます。
なので、ここでは「子どもためを正当化すること」をいけないこととしたいのです。
叱るのは、「子どもため」ではなく「自分のため」だからです。
「こうなってほしくない」
「こういう子でいてほしい」
「これはやってはいけない」
と決めたいのは怒る側であり、
子どもの意思は無視していることがあります。
そして、子どもが怒られた時に怖くて謝ったとしても、本当に理解できているでしょうか。あなた以外との関わりの中でも、二度としないのでしょうか。
怒る側の勝手なルール上に乗せられて、叱られて、怖くて、やめておいたとして…。
その子どもに待っている将来はどうなるのでしょうか。
誰かに怒られたくないからびびり続ける人生になりませんか。
人に迷惑をかけたくないから真面目なのではなく、人に怒られたくないから真面目な感じにを見せるという性格に固められてしまいます。
彼らは、
怒られるからやらない。
褒められるからやる。
という他人の目から逃れられない人生を歩んでいきますが、大丈夫でしょうか。
その将来、あなた以外の誰かに理不尽に怒られたらどうなりますか。
逃げるか、逃げ場が無くなれば自分を殺すことを選んでもおかしくないかもしれません。
真面目な人間に育て、怒る側が勝手に決めた常識やルールを破ると叱りつけ、褒めて伸ばしたりした結果。
反強制的に(その場においての)「真面目なフリ」を選んでいくことになります。
それでもその怒る側が決めたルールを叱るという名の怒号で守らせていいのでしょうか。
話し合って、互いの折衷案でルールを決められないでしょうか。
子どもを守ることと、
子どもを怒ることは、
全く別です。
「叱ってあげたんだ」と。
「守ってあげたんだ」と。
違います。
あなたが、あなたの中で許せないことを、あなたが納得したいがために怒ってしまっていませんか?
「じゃあ、誰かに迷惑をかけたり、傷つけたりしてもいいのか!」
「大きな間違えを起こしてもいいのか!」
いや、違います。
誰かに迷惑をかけるということが、どういう結果を生むのかを経験や知識として伝えるだけでいいと思っています。
「殴ったら痛いからやめよう」
といえば、痛いの意味を知覚できる子どもなら理解できるはずです。
転んだ経験や、注射の経験や、怪我の経験があるなら、言えば意味はわかるはずです。
それから、子どもがどう行動や言葉を選ぶようになるかです。
それが気に食わないのであれば、それはどうして気に食わないのかを伝えるだけでいいです。
「お前は話のわからない奴だ」
「バカか、お前は」
「いい加減にしろ」
では、二度と伝えられません。
その瞬間に、わからせるために子どもを叩いたり、殴ったとしたら、その子どもにとって、ルールを犯したのは叱っていたはずの「あなた」です。
さっきまで、
殴ったらいけない。
人を傷つけてはいけない。
人に迷惑をかけてはいけない。
と、言っていたはずの「あなた」。
いつのまにか、
殴って痛みをわからせて。
怒鳴って子どもを傷つけて。
勝手な言い分で迷惑をかけて。
それが「子どものためを思って叱っている」つもりのあなたです。
ここまで読んでくださっている方は、もう僕が言いたいことは大体わかってくださったと思います。
結局、「叱るのは自分のため」なのです。
叱ったことを反省した時に、ふとこの日記のことが頭をよぎってくれたら…。
そんなに有難いことは滅多にありません。
嬉しいです。
では、作業に戻ります!
ありがとうございました!
(*今日は、気が散ってほしくないので、SNSのURLは割愛します。)
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