随筆|北アルプス鉄道


1.煌めき

昨晩の雨のせいか、松本の空は冴え渡っていた。
北アルプスの急斜面にも陽ざしが照り付ける。
今にも雪崩が起きるのではないかというほどに山肌の重さを近くに感じた。
濁って白波が立った薄川から一羽のオオバンが穂高へと飛んでいった。

貯金に余裕もないので、今日は散歩でもして一日を過ごそうかと考えていたが、ふと遠くまで“電車をやる”ことを思いついた。
今思えばすでに北アルプスに心が奪われていたのかもしれない。
早速、駅のパン屋で自家製カレーパンを購入。
そのあと切符売り場で最も安いものを購入した。
いわゆる、大回り乗車である。
6番線ホーム。30分ほどベンチで時間を潰し、お目当てのJR大糸線に乗りこんだ。
北アルプス目当ての乗客が多いからか、西側の席は向かい合わせ形式のクロスシート、東側の席は北アルプスを真正面に眺めるロングシート。これから一本の映画でも始まるような空間だった。
発車時刻までヘッドホンでお気に入りの音楽を聴いていると、前の席の外国人観光客に路線を尋ねられた。私も知らない駅だったのでスマホで調べて返答する。
「Yes, Fine.」
心はいよいよ空間と一体となり、あとは景色を眺めるだけになっていた。
いつの間にかドアは閉まり電車は発車していた。

建物の数はだんだんと減っていき、田園風景へと移り変わっていく。
田植えの終わった信濃の水面はきらきらと輝いている。
ある農家がヤグルマギクの咲くそばでトラクターをいじっている。
緑のスキー場に止まったリフトが山の奥まで伸びている。
遠景からは穂高が消え、蓮華、白馬へと移り変わっていく。
雄大な大自然を前に、私は深い瞑想世界へと入っていった。

あえて言葉にするならば幸せというのは、きっと形にすることができないものだ。
今までは闇の縁取りを辿ることで幸せを想像してきた。
しかし北アルプス鉄道に揺られ、実はその輪郭の幸せすら感じたことがなかったのではないかと思うほどに心が緩んでいた。
雪を被った山々も、きらきら光る田園も、そこから飛び立つ鳥の群れも、外国人の観光客も、全てが心象世界に溶け込み、手を繋ぎ合っているのだ。
それは理屈の通じるものでも、言葉が通じるものでもない。
世界の一部が瞳を通して心に溶け込み、そこでまた同じ世界を作り上げている。
それはこの世界そのものではなく、心象世界に過ぎない。
しかしやはり世界は美しかった・・・のである。


2.空腹

腹の中で活動を始めた情景たちが急速に養分を使い果たす。
「やいやい」と寄せ集まった乞食の騒ぎ声が己の空腹を知らせる。
食べるという世にも奇妙な行為は、現実世界と心象世界の手を繋ぎ合うことなのかもしれない。
先ほどパン屋で嗅いだカレーの匂いが脳を蕩けさせる。
流石に電車の中なので自制したが、乞食たちは今か今かと待ち望んでいる。

結局、終点の南小谷駅で降りて、サクサクのカレーパンを頬張った。


3.翳り

帰り電車。
雄大な山々を横目に本を捲っていると、夕陽があまりに眩しいので、乗ってきた地元の人が車窓のカーテンを下した。
突然のことに目が合ってしまったので「すみません、どうぞ」と私は顔では語ったものの、山の裾野しか見えなくなった景色に少しばかりの寂しさを感じた。
これもまたひとつの世界だと受け入れようとしたが、どうも本の内容が頭に入ってこない。
先ほどまで文字のひとつひとつが風景と同化していたものが、打って変わって単なる“複雑な情報”に置き換わり、なかなか混ざり合ってくれない。
濁りのなかった情景に一滴の”情報”が混じったことは、実のところ、より「本当の世界」に近づいたに過ぎない。
先ほどまで見ていた心象世界は、私の望んだものだけを切り抜いた空想世界であり、今ようやく現実世界に戻ってきたのだ。
カーテンが降ろされようとなかろうと、空想世界ははいずれ自ら崩壊を迎えるものだから何も悲しむことはない。
でもやはり、先ほどまでのきらきらと輝く景色は、それほどまでに調和の取れていたものだったのだと自覚した。


4.還り

今、松本に戻り、夕暮れの薄川のほとりで文章を書いている。
一匹の鳥が滑空し、澄み切った川に着水する。
それをたしかに私も再びこの場所で見ている。
しかし私と彼は全く別のことをしているのかもしれない、と思った。



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