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台湾の民主化過程を考えてみるnote ③ 蒋介石総統時代(1945~1972)「白色テロ時代の幕開け」


前回までのnoteでは、まずこの一連のnoteでの目標と民主化ということについて考え(note①)、それから日本が台湾を植民地化していた時代(1895年~1945年)について(note②)書いてきました。


続いて1945年以降のこと、日本が敗戦したことで、中国国民党政府に接収された後の台湾について今日は書いていこうと思います。


日本の植民地時代は、日本の戦争動員によって戦争に大きく巻き込まれた台湾の人々。
日本人として教育を受け、日本人として生きることを強いられてきた台湾の人々は台湾が中国に接収された後にも、厳しい歴史に巻き込まれていきます。今回は面白く書けませんが、この時代を学ぶことそのものが興味深いものではあります。


「犬が去って、豚が来た」時代=蒋介石総統時代


この言葉は蒋介石総統時代を迎えた台湾を示すのに言われたことばですが、つまり、自分たちを監視して植民地化していた犬(=日本人)は戦争に負けて去ったが、新たに来た外省人(=中国人、中国国民党政府)はそれよりもひどく本省人を搾取するような政策を行った。あくまで比較論と個人の判断になってくることだとは思いますが、この言葉の意味するところは日本人よりも酷い中国人に支配される時代がやってきたと。そういう意味で使われる言葉です。


また、この時期台湾という国が非常に難しい歴史に立ちます。
それは、長く争っていた共産党vs中国国民党の中国国内の戦争である国共内戦に中国国民党が敗け、台湾に撤退してきたことによります。
つまり、1945年に日本が敗戦し接収された台湾は、一旦当時の中国である中国国民党政府に接収されますが、1949年に国共内戦で国民党が負けることで、中国本体は共産党政府が治めることとなり、国民党政府は台湾に撤退してきたのです。

このことは、現在台湾が国際的には「国」として認められていないことや、今現在中国が「台湾は中国の一部である」と主張するように、非常に複雑な国家的存在になる発端となります。


日本の植民地時代から、蒋介石総統時代の大きな流れ


ではここで、前回の日本植民地時代から、今回の蒋介石総統時代(白色テロ時代の始まり)までの時代の大きな流れをまずは書きたいと思います。例により一応の年表を。

【大きな歴史の流れ】
1895年 日清戦争の勝利により、日本が台湾を植民地化

 日本語学校を作るなどし、日本の文化を強制することで、台湾人を日本人として同化する同化政策により植民地運営しました。

1945年 終戦。日本の敗戦により、中国(中国国民党政府)が台湾を接収
 蒋介石を総統とし、政府の権力行使により物資等を奪い取り、一部の官僚や個人の利益を満たす「国家社会主義」により台湾を運営しました。
 1960年末までは、国民党政権による軍事官僚統治(簡単に言えば、中国国民党=政治を進める人々=その権力は軍に集中)が展開されますが、それとともに蒋介石個人に権威が集中していたため、個人権威体制だとも言えます。

1947年 二・二八事件をきっかけに民衆弾圧が激化(=白色テロ時代の始まり)
 中国国民党政権による長期的な白色テロ時代(相互監視、密告制度により反政府のあぶり出しを強く行い、投獄・暴力等により民衆を弾圧した時代)の引き金となった事件。
 役人の台湾人女性に対する暴力がきっかけとなり、台湾全土でデモが発生。それにより戒厳令が発され、中国本土から軍が派遣され暴力による鎮圧が図られました。一旦戒厳令は解除されたが、1949年に改めて発令され、38年後の1987年まで継続されました。この解除の時期までを大きく白色テロ時代と呼びます。

1949年 中国本土内の国共内戦が中国国民党の敗戦により決着
 この結果、中国は共産党政権の国へ。敗戦した中国国民党は台湾へ撤退し、現在の台湾の正式名称である中華民国を名乗りました。自分としては中華民国=台湾、だと思ってましたが、当時の国民党は「我々こそが中国だ!」と主張してたそうですから、中華民国=中国+台湾だったようですね。今の台湾の方々がどのように考えているかは分からないけれど、、(これも個人の考え方によるような気もしている。つまりその台湾人が外省人か本省人にもよる。外省人/本省人は後ほど説明します。)
                                             
 この出来事で今の複雑な台湾の状況が生まれたといえます。
 さらに言えば、日本は1972年田中角栄首相の際に中国と国交正常化し、それにより正式な台湾との国交は断絶しました。1972年といえば、台湾的には蒋介石総統から蒋経国総統に代わる転換期で、民主化の流れでいえばソフトな権威主義への転換、経済的な流れでいえば外交施策の失敗により国民党政権の正統性が問われ、経済への成功へ進むための施策を打ち始める段階です。



白色テロ時代の実情と映画「スーパーシチズン 超級大国民」(1995年、ワン・レン監督)


 実は白色テロ時代の実際は、台湾国内においても中々分からないことが多いようです。それは、弾圧を受けた人々がすでに亡くなっているということもありますが、むしろ、弾圧を行った人びと(外省人=国共内戦決着後に台湾へと渡ってきた人々)と被害者(本省人=国共内戦決着前から台湾に住む人々、原住民の人々)がまだ生きているというところに解明できない理由があると考えられています。
 外省人が/本省人が、どの立場で政治を行うのか。今生きている人々のために白色テロ時代のことを徹底的に調査すべきなのか。一口に台湾人といっても、立場や出自によって大きく考え方が異なるのは明白です。
 自分のように外の国から台湾という地を見ても複雑に思えることは、台湾に住む人々にとってはより複雑な立場・考えがあるのでしょう。

 以下の記事にもわかる通り、台湾国内でも白色テロ時代に何人が投獄され、何人が処刑されたかは確かな記録が残っていないようです。
 その記録がでることを望まない台湾人もいるでしょうし、この記事がでてから物事がどう進んでいるかは興味深いところですが、もし見識がある方がいらっしゃいましたら、是非教えてください。


そんな白色テロ時代の空気感を感じられる表現として、台湾映画は大きな役割を果たします。その時代を表現する映画としては、


  • 「スーパーシチズン 超級大国民」(1995年、ワン・レン監督) 

  • 「非情都市」(1989年、ホウ・シャオシェン監督)

  • 「牯嶺街少年殺人事件」(1991年、エドワード・ヤン監督)

  • 「返校」(2019年、ジョン・スー監督)


などがあります。
ホウ・シャオシェン監督の映画をみたことがなく、アジア映画好きとしては悔しい限りなのですが、どこでみれますか。。。
誰か・・・


でも今回は、「スーパーシチズン 超級大国民」をピックアップしたいと思います。ますはトレイラーから!


 主人公の男は10数年間、自分の意志で老人ホームに入っていたが、ある晩かつての友が処刑される夢をみたことを理由に、老人ホームを出てその友の墓を探しに行くことにする。
 男は白色テロ時代に読者会に参加したことで10年以上投獄され、拷問によりその友の名を吐いてしまった過去を持ち、友は自ら読書会の首謀者であると自白し処刑されてしまった。20年以上が経った1987年、戒厳令が解除されても男は自分を責め続けている。


 共産党政権に敗けた国民党政権は、共産党の考えが民衆に広まるのを恐れるあまり、密告制度などにより民衆を監視し、ときには厳しく処罰しながら権威主義体制を敷きました。
 この映画に描かれる読書会というのは、当時禁止された書物を隠れて読もうとする会であり、映画「返校」でもそれが発端となって主人公たちは厳しく罰されてしまいます。
 スーパーシチズンでは、読書会の場にいただけで5年も投獄されたというエピソードもでてきますが、これら狂ったような監視体制がいわゆる白色テロの時代であり、文字を読むよりも映画でみるほうがその様子を感じられるので、是非映画を見てみていただきたいと思います。

まぁー、押し並べてどの映画も暗いですけれども。


白色テロ時代の、民主化の「種」

 一旦この白色テロ時代を蒋介石総統時代で区切るとすれば、民主化にいたる種は悉く国民党政府が摘んでいたということは言えると思います。
 しかしながら近代史の全体を見渡せば、この頃の社会情勢的な部分で民主化の「種」があったということは言えると思います。それは「国際政治の観点」と「経済発展の観点」という2つの視点から考えられます。


「国際政治の観点」からの民主化の種

  • 1945年の終戦後、アメリカとソ連は冷戦に突入しますが、その下で1950年に朝鮮戦争が勃発します。これは朝鮮半島が南と北に分かれ戦争をしているわけですが、南の背後にはアメリカ、北の背後にはソ連がおり、実際は冷戦下の代理戦争といえます。そんな中、台湾の位置というのがアメリカにとって非常に重要な戦略的拠点になりました。

  • 1949年の国共内戦で勝った共産党政権は中華人民共和国を建国します。ここは共産党の専制体制で毛沢東は、強大な力を持ちました。ただ、急進的社会主義建設路線の完成をめざした大躍進政策の失敗により、毛沢東は責任を取って国家主席の地位を劉少奇に譲ることとります。
    そして、毛沢東が劉少奇からの奪権、及び復権をするための大規模な権力闘争として、文化大革命(1966-1976、毛沢東の死亡により終結)を進めます。これにより中国国内は大きく荒れることとなりますが、個人権威主義の考え方や強い共産主義の思想は文化革命の時期に頂点にあったといえるようです。この中国の動きもアメリカにとって、台湾を支援する大きな理由となってくると思われます。

  • この頃の台湾は確かに権威主義体制をとり、中国では展開できなかった一党支配体制を台湾で実現していくこととなりますが、アメリカが背後にいて良く言えばサポートされている状況で、このころ展開された封じ込め政策(ソ連の勢力拡大による世界の共産主義化を避けるべく、ソ連勢力に対して政治・経済・軍事あらゆる面において封じ込めようとする政策)により、むしろ他国の民主化と経済の自由化支援しようとするアメリカの思惑に台湾は巻き込まれることとなります。これらが台湾の近代化を進めるきっかけとなります。


「経済発展の観点」からの民主化の種

 ここは存外シンプルな書きぶりになりますが、この頃の台湾は国共内戦に敗けたことで、経済発展の志向が強かったと論文では示されています。その意思から、蒋経国総統時代の経済発展政策につながってくるのだそうです。
 また、アメリカは台湾を民主主義国家で資本主義国家にしたいわけですから、経済援助も行っています。
 
 この時代にはその結果が出ていないものの、経済の発展は結果として国の中産階級を増加させ、政治に関わろうとする民衆を増加させることで民主化の社会基礎を築くための「種」となったことは間違いがありません。


蒋介石総統時代=白色テロ時代の幕開け、のまとめ

  ということで、蒋介石時代は台湾の今後の難しい立場を決定づける出来事が続き、国内では国民党政権が共産主義や中国本土を恐れるあまり、民衆に対して厳しい監視体制を敷いた政治が展開されました。
 そんな白色テロの時代において、民衆の民主運動なんかはとても展開できない世の中でありながら、今後の台湾の命運をわけるような世界の情勢の変化があり、アメリカが台湾の発展に大きくかかわってくることになります。  
 その点においては、戦後、アメリカ主導により民主主義国家となっていた日本に近い動きだとも言えますし、それはアメリカの対ソ封じ込め政策の一環だったのだろうということが考えられます。その点でいえば、韓国も同様の流れに巻き込まれたアジアの小国家なのでしょう。

 この頃の本省人の気持ちを慮ると、日本に統治された後に、外省人に統治されることになり、果たして本省人のための政治や生活はやってくるのだろうかという暗いトンネルを通っているような気持ちだったかもしれません。


 さて、長かった蒋介石総統時代の今回も以上で終わりです。

 次回からは次の総統に移って、少しずつ台湾に明るいニュースも出てきますし、国の体制としての大きな転換期を迎えることとなります。
 今回は書いてて、長いのもあるけど、やっぱりつらかった。でも、この時期の映画が多いということは、語るべき出来事と、今の台湾を考えるために避けられない歴史が詰まっていたのが、この時期だったのだと、そういう見方もあるよなぁと書いて今回はおしまい。


また書きます~




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