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冷戦と歴史のIf(2): 米露中三國志

家永真幸さんとのイベント記事に入れようかと思ったけど、さすがに便乗が過ぎるかと思い別記事に。

辻田真佐憲さんとの配信番組に絡んで、以前に取り上げた歴史のIf ゲーム「Twilight Struggle: Turn Zero」には、中国内戦のテーマもある。米国側に最も有利な決着をした場合の効果は、

米国は速やかに蔣介石を支援し、国民党は中国大陸にも牙城を保持する。

・ソ連は第1ターンでは「(共産)中国カード」を使用できない。
・台湾に米国は影響力3を置き支配。
・かつ台湾は恒久的に主要国と見なされ、決算ごとに得点。
・効力の弱い「米華条約」カードを、強力な「国民党の中国」カード(ヘッダー写真)に差し替え

という凄まじいものだ。

(共産)中国カードはアジア地域で使うと影響力5なのだが、「国民党の中国」カードは使途が狭いかわり実質6相当になり得るので、互角なくらい強い。台湾の国府が反共の砦どころか、反共の「司令塔」になるイメージだろうか。

逆に、最も米国に不利に(=ソ連に有利に)決着すると、中ソの関係が「鉄の同盟」として盤石化し、米国が中盤からアジアで盛り返す鍵となるウスリー川紛争(史実では1969年)のカードが、ゲームから除外される。つまり「中ソ対立が起きない」架空の冷戦史が展開する。

このシナリオを考えることは、ゲームの外の世界でこそ、いま重要である。ウクライナ戦争に際しても中露接近が取りざたされる昨今だが、そもそも「中露分離」していた(ざっくり言って)1970~2000年代こそが、現代史上の例外期だったとすると、どうなるだろうか。

1971~72年に米中接近を演出したキッシンジャーを「外交の天才」と呼ぶ向きは多いが、一般に戦後日本を代表する親米派とされる高坂正堯の評価は、意外に冷淡だった。81年刊の『文明が衰亡するとき』では、ベトナム戦争の帰趨が定まって以降はソ連(ロシア)の方が対外拡張では優勢で、米国は中露を同時に相手にする実力を失ったがゆえに、中国を取り込むよう動いたに過ぎないと記されている。

今月刊行されて話題の、冷戦終結後(1990年)の講演『歴史としての二十世紀』でも、米国の「勝利」の評価は淡々としている。70年代の半ばからデタント(緊張緩和)の約束を裏切って、ソ連が闇雲な軍拡政策を採り始め、対抗してアメリカも80年代、レーガン政権下で軍備を拡張した。そうした無意味な競争の結果、先にソ連の経済が音を上げたに過ぎず、実は米国も結構ガタが来ているとする見方である。

70年代初頭のデタントでの軍縮が守られ、米ソ両国の国運が安定的に推移した方が、現実に生じた劇的な冷戦の幕切れよりも「よほどよかった」(p147)とさえ、高坂は述べる。アメリカの冠絶性を立証したかに見えた冷戦の「勝利」とは、単に中国と仲間割れし、あるべき軍備の規模を見誤ったソ連(ロシア)による「敵失・棚ぼた」だったのかもしれない。

こういうことを言うから歴史学者に嫌われるのだが、過去に起きた事実を「実証」する行為自体には、もう別に意味はないと個人的には思っている。歴史の意味とは、未来永劫覆されない記述を打ち立てることではなく、むしろ絶対に変わり得ないと思い込まれてきた価値の尺度を相対化することにあるのだ。自明の前提のはずだったポスト冷戦の世界秩序が瓦解してゆく今ほど、そのことを痛感する時代もまたない。

追記(12月1日)
たまたま本記事を掲載した日にキッシンジャー氏の訃報が飛び込み、大変驚きました。むろん追悼記事ではその「偉大さ」を報じる論調にどうしても傾きますので、(私の後知恵ではなく)同時代からある程度「冷めた見方」もあったよ、という記録にもなっていればと思います。

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