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掌編『マヨイガ 迷い家』



 これは人づてに聞いた話であるので、本当かどうかの判断は君にまかせたい。


* * *


 その男子学生は疲れ果てていた。早朝から山に入り、夢中になって昆虫採集を続けているうちにいつの間にか道に迷ってしまったのだった。

(まだ日は高い。どこか適当な場所で腰を下ろして一息つこう)

 焦る心を落ち着けるべく彼はそう考えた。
 少し行くと、眼前に大きな岩が現れた。その岩には小さな穴が開いており、清らかな水が湧きだしている。引き寄せられるように近づいてみれば、そばに朱い塗りの桶が置かれているのに気づいた。
 途端、学生の心は弾んだ。

(人家が近くにあるのだ)

 大岩を回り込むようにしばし歩くと、立派な黒い門が見えてきた。助けを乞おうと門をくぐれば、山奥に一軒だけあるのが不審に思われるほど大層な豪邸であることが分かった。
 広い庭にはたくさんの鶏が放し飼いにされている。馬や牛も数多く飼われているのが見え、その家の豊かさを窺わせた。

(ともかく、住人を見つけなければ)

 と、むくむく湧き上がる好奇心を押さえつつ学生はその家の玄関を目指した。

「こんにちは。どなたかいらっしゃいませんか」

 外から声を張り上げるも応えはない。学生は仕方なく玄関から上がることにした。
 一つ目の座敷を覗いてみれば、無人の部屋には赤い毛氈(もうせん)が敷かれており、火鉢の上に懸けられた鉄瓶には湯がたぎっている。次に覗いた座敷には、いかにも高価そうな朱塗りの椀の載った膳が多数並べられている。
 今の今まで誰かがいたかのような屋敷の様子であるのに、まるで人の気配が感じられないことがしだいに不気味に感じられ、学生は逃げるように豪邸を後にした。幸い、裏手に小川が流れているのを見つけ、それを辿ると、いつの間にかふもとに下りることができたのだった。

* * *

「それは恐らくマヨイガというものだろう。俺は柳田國男の書いた『遠野物語』という伝承集で読んだことがある」

と言う友人がおり、学生もその本を読んでみた。

(人里離れた山中にあり、訪れた者に富貴をもたらす不思議な家か。確かにあれはマヨイガだったのかもしれない)

「マヨイガに出くわした者は鶏でも椀でも何か一つ持ち出して自分のものにして良いことになっているのに、勿体ないことをしたな」

と友人は笑ったが、学生には微塵も後悔はなかった。他人のものを理由なく自分のものとするというのは彼の信ずるところではなかった。


 奇妙なことが起こり始めたのは、それからしばらくしてからのことだった。学生はどこにいても視線を感じるようになった。そして、気付いた。

(最近、やけに朱塗りの椀が視界に入る。これは偶然だろうか)

 近所の飯屋でラーメンをすすっているとき、ふと視線を感じてそちらに顔を向けてみれば、カウンターの隅にいかにも場違いな上品な椀がポツンと置かれている。

(安食堂にだって朱塗りの椀ぐらいあるだろう)

と学生は考える。

 下宿に帰る道すがら、またもや視線を感じて振り返れば、光沢のある朱色が電柱の影から覗いているのが見える。

(おおかた、どこかの家で不要になったか何かでゴミとして出された椀が、ゴミ袋からこぼれ落ちでもしたのだろう)

 学生はそう自分を納得させる。


 しかし、同様のことが幾度となく繰り返されるにつれ、しだいに偶然として片付けることが難しくなってきた。

(確か『遠野物語』では、マヨイガを見つけた無欲な女が何も取らずに帰ったら、後日、椀が川上から流れてきたのだった。それを家に持ち帰って以来、女の家は栄えたという話だった。とすると、あの朱い椀は俺の行く先々に付いて回って、何とか自分を俺に拾わせようとしているに違いない)

 そう思い当たると同時に、それならば意地でも拾うまいという反発心のようなものが学生の心の内にむくむくと湧き上がった。

(俺は椀に恵んでもらう幸運なんて断じて受け取らんぞ。自分の人生は自分の力だけで切り開くのだ)

 生来の潔癖さと頑ななまでの独立心がそう決意させたのだった。
こうして、男子学生と朱塗りの椀の、逃亡者と追跡者のような関係が始まった。


 男子学生がもはや学生でなくなり社会人になっても椀は彼に付きまとった。男が伴侶を見つけて結婚し披露宴を行ったときも、宴会場の食器にまぎれて彼に視線をよこしてきた。
 男は椀に見せつけるように仕事でも家庭でも力を尽くし、幸福な生活を築き上げていった。


 そして数十年が経った。
 子供が無事に巣立ち、しばし穏やかな生活を夫婦で楽しんだ後、妻は先だった。病死ではあったが安らかな旅立ちだった。


 ある春の昼下がり、男は散歩に出掛けた。いまや老人となった彼は、疲れた足を休めようと公園のベンチに腰を下ろし、それから、ふとそばの植え込みに目をやった。すっかり見慣れた朱塗りの椀が顔を覗かせている。老人はおもむろにまた腰を上げると、植え込みに近づき、屈んでその椀を拾い上げた。椀に触れたのは初めてのことだった。

 まるで年月を感じさせない雅やかな朱色をしげしげと眺めているうちに、老人の胸に不思議な感慨が湧き起こった。

「お前の世話になどなるまいと思ってガムシャラにやってきたが、そのおかげで私は幸せに暮らせたのだから、やはりこれはお前のおかげだったのかもしれんなぁ」

 初めは確かに追跡され見張られているように感じていた。それがいつしか、陰ながら見守ってくれる人生の伴走者のような存在に変わっていたことに老人は今になって気付いたのだった。
 老人はいたわるような調子で続けた。

「私に拾われて私を幸せにするのがお前の役目だったのだろう。私の意地のせいでお前には難儀をかけたが、これでお前の役目も終わりだ。あとはゆっくり休めよ」

 当然のことながら椀が言葉を発することはなかった。


* * *


 老人は椀を持ち帰って食器棚の奥に仕舞ったというが、それからしばらくして老人が穏やかな死を迎えた後、彼の子供らがいくら家の中を探しても椀はどこにも見当たらなかったということだ。マヨイガに帰ったものであろうか。



<終わり>


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本当は、リカちゃん人形の都市伝説やホラー映画の「ファイナル・デスティネーション」のパロディみたいな、どこまでも執念深く幸運を押し付けようと追いかけて来るギャグっぽいお椀の話を書くつもりでした。しかし、私の真面目な性格が災いしてしんみり系になってしまいました。



ありがたくいただきます。