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【感想】逆張りオタクで話題作恐怖症の作家が映画『ルックバック』を観たらちょっと救われた気分になった話

注意


これは映画版『ルックバック』の感想をつづったものですが、物語や登場人物等については漫画そのまんまなのであまり触れません。

感想というより『ルックバック』という作品を通してセルフカウンセリングをしているような記事なので、そもそも僕のことに興味がなかったり、作品解説系をお求めだったりする方は、ここで戻られた方がよいかもしれないです。

自己紹介

こんばんは。はじめまして。
作家の新井フキトと申します。

ASMRレーベル『最ハテ』中の人です。

電車×ASMRをテーマにした作品や、電車の走行音CDといったマニアックなものを出してみたり、そのほかいろいろな企画に関わらせていただいています。

扱われ方としては「電車の人」みたいな感じになってますが、電車以外の作品も作れます。
ホントです。

今は電車系中心ですが、今後は色んなテーマのキャラや作品を出していきたいので、本当にぜひ、いろいろな方に聴いていただきたいです。

もしよろしければサンプルだけでも聴いてみてください……!

ASMR音声作品の制作は遡ること𝕏年前、19歳ぐらいのころからお小遣い稼ぎみたいなことから始めていたんですが、それで暮らしていきたいと思いはじめたのはつい数年前からです。

そのため専業クリエイターとして、ASMRサークルの代表として、ひいてはいち社会人として、まだまだ学ぶべきところが多く、常に勉強と精進の日々です。

ですが最近はクリエイター、ひいてはオタクとしてあまりに未熟なところや、自分の中で正すべきところ(治療すべきところ)みたいなものが絶え間なく現れては、それと戦い、処理をしていく日々が続いているので

日ごろ気付いたことや思ったことをここで吐き出して、セルフカウンセリングみたいなことをしてみようと思い至りました。

観た人間にそこまでやろうと思わせた作品なのです。映画『ルックバック』というのは。

それでもしこれを読んで「わかるわー」という人がちょっとでもいてくれたら万々歳じゃないか。という思いで、今回筆をとりました。

実はnoteとの付き合いも、それなりに長いのです。
いろんな名義、アカウントで複数回はじめては、継続できず、たちまち黒歴史化して消す……みたいなことを繰り返していました。

それも今回、ちょっとずつでいいから塗り替えていきたいなと。

なんかこう、noteの「上手に、秀逸な言語化をできるヤツが一番エライ」とか
「うまく書かなきゃダメ」みたいな空気、あるじゃないですか。

そういう空気についていこうとしてダメになるパターンを踏みまくったので、
今後の更新あまり期待せず、数か月に一度、雑なモノを投稿していたらいい方だと思ってください……。

また、ここで書かれている内容は『最ハテ』オフィシャルの見解や発言ではありません。なにとぞご留意ください。

ほんと、思ったことそのままだらーっと言ってるだけなので……。

原作への一方的な罵倒、および僕の話題作恐怖症

そんなわけで『ルックバック』。

原作漫画は一応履修してました。
たしか無料公開の時に集英社のサイトへ読みに行ったような……いつだったかは忘れる程度なので、そのぐらいうろ覚えです。
藤野と京本が男の子か女の子だったのもちょっと忘れかけてたぐらい。

その時の印象は、あんまりいいものではなかったのです。

京本のキャラ性が、なんというか、藤野を凹ませ、読者にショックを与えるためだけのとってつけたようなキャラのように見えて
「天才とはこう、凡百とはこう」みたいなものを、火力強めに叩きつけてくる上に、読み手側に口を挟ませる余地を与えてくれない感じが、稀代の天才漫画家と称される『チェンソーマン』藤本タツキから僕(まだ・・何にもなれてないASMR作家)へのマウント行為のようなもののように受け取れて

「ケッ」って感じだったような気がします。

「ぼんやりした真実よりも、権威あるものによる決めつけが尊重される、令和らしいとてもイイ漫画ですね~~~w」みたいな
こちらも心底厭味ったらしい結論を叩きつけて心の中にしまっていました。

なんでこうなるのか、というと

僕のような「まだ・・何にもなれていない」クリエイターには、こういう世界に羽ばたくグレートなクリエイターたちが作った作品は
「自分を攻撃している」ように感じてしまうからです。

分かりますかねこれ……。
綺麗な絵、カッコいい場面、スゴい演出、引き込まれる物語……
作品を構成しているあらゆるすべてが

「へへー!おめーにはこんなもん作れねーだろ!おめーなんかやめちまえー!バーカバーカ!」

って言ってるように見えちゃうんです。

「話題作恐怖症」。
と僕は今勝手に名前をつけました。

この症状、クリエイターをやる前はそうじゃなかったのか……というとそうでもなく。

子供の頃から、僕は流行りに乗るとか、周りの空気やトレンド、話題に合わせるということができない人間だったので、流行りものの作品には昔から触れませんでした。

というか、その習慣がそもそもない子どもだったような気がします。

知らない漫画ばっかりで、好きな漫画は1話しかないから、という理由でコロコロもジャンプも買わず、ひたすらドラえもんの単行本を買い漁る子どもで、
PS3もPS4も買わず、ひたすらFC、SFC、GBのレトロゲーを買い漁って遊ぶ10代でした。

この頃はフルプライス最新作1本の値段で、状態の良いレトロハードと、名作ソフト2〜3本つけて買ってもお釣りが来るぐらいだったのです。

そのおかげで、ゲーム中心に古き名作に触れることができ、自分対作品と1:1で向かい合うことに恵まれた10代を送ることができたのではありますが

作品に触れるのに、メディアや友人、その他人間関係の「誰かしら」を介在してしまう、いわゆる「流行りの作品」「話題作」に触れることができなくなっていました。

  1. 話題作が流行ることによって、メディアや画面越しに顔の見えない人々から「観ろ」という「圧」を感じる。イヤなので観ない

  2. 昔の名作や、マイナー作品に偏執していき、ゴリゴリの逆張りオタクが出来上がる

  3. クリエイターになって、話題作を生み出すビッグなクリエイターに対してコンプレックスが生まれる。「攻撃されてる気がする!ムキー!」

  4. 1と3が合わさり「話題作を観ないことはクリエイターとして許されない」「話題作に触れないクリエイターはホンモノではないので、成功をつかむことはない」という思い込み強めのクソデカコンプレックスが生まれる

  5. 話題作恐怖症になる

病の概要、症状としてはこんな感じです。
ここまで簡潔にまとめられるほど言語化できたのはごく最近、今年度に入ってからです。

とにかくこの持病をどうにか治療したい。そうじゃないと人間的にもクリエイター的にも、何も花をつけることなく人生が終わる気がする。

この1か月ぐらいは、ひたすらそう思う日々でした。

映画版の世間での受容のされ方への疑問と、鑑賞に至る動機

で、この間の映画版『ルックバック』公開。
各方面からの大絶賛。

特にアニメ系エンタメ系のそうそうたる御歴々が、みんなが礼賛する。

「何かを作っている業種の人間なら絶対泣ける」
「クリエイターなら、エンタメやサブカルに携わる者なら絶対に見るべき」

はぁぁぁ~~~~~????
なんだそれは。

気持ち悪い。みんなして同じようなセリフこきやがって。

じゃあなんすか、これ観なきゃクリエイターじゃねえってことすか。
これ観てすげーって思えねーんなら、おめーはニセモンだぜ。俺たちみてーなホンモノにゃなれねーぜ、ってことすか。

みんなして藤本タツキを礼賛して……!
誰か異を唱えるやつはいないのか!?

これは今の世に蔓延りつつある権威主義とポピュリズムの一端と言ってもいいんじゃないのか……?

まともなのは僕だけか……!?

はぁ~~~~~~~~~~。
く~~~~~~~~~~~~~~~~~っそムカつく。
誰がどう言おうとぜってぇ観てやんねえから。

………………。

……ただ、そうやって逆張ったまま観ずに終わるというのも、なんか逃げてるみたいな気がして、それはそれで自分自身にムカつきもして……。

ここで逃げたら、いつまでもこのままなんじゃないか。
立ち向かってみて、恐怖を克服するべきなんじゃないか……。

…………。

…………行くか。

でも一人だけで観に行くのは絶対やだ
だってあまりの嫌悪感と敗北感でゲロ吐いちゃうかもしれないし。

なので、誰かと一緒に行くことにした。

だがそれがどうして、小学校時代(中学受験)にお世話になった塾の先生と……なのかはまったく分からない。

気づいたらその人にDMしてたんです。
「ひとりで見るのが怖い映画がある」って……。

ホラー映画だと勘違いされました。
それはそう。

感想

幸か不幸か、内容はうろ覚えの箇所も多かったので、半未プレイ半既プレイみたいな気持ちで観れました。

最初に思ったのは、音楽や音方面のレベルがまぁ高いこと。
フォーリーうめえ。ASMR好きなら目つぶってても楽しめるかもってレベル。

それもだし、やっぱり音楽がね、やさしいの。
ピアノとストリングス系で柔らかくまとまってて、とにかくやさしい

もちろんしんどいシーンや悲しいシーンもあるんだけど、原作漫画全体にあったザラつきやちょっとトゲトゲしてたところ
(つらさ悲しさの演出とかとは違う……なんというかヤスリや針を連想させる無機質で不条理な、現実を叩きつけるような感じ……あ、チェーンソーか?)

を、すごくふんわりしたものに変えてくれていた気がする。

作品世界が、常に登場人物二人をやさしく包んで、全肯定してあげている、そんな感じがした。
漫画だとそれがなくて、ひたすら淡々と、無機物的に進んでいた。そんな気がする。

ここの時点で、なんというか
「世の話題作は僕を攻撃してくるわけではない」というのが
なんとなく腑に落ちてきたんですよね。

これのおかげで、見ている僕も序盤からかなり緊張が解けていたような気がする。
まぁこちとら嫌悪感と敗北感でゲロ吐く覚悟だったんでね……。

なのであとはもうひたすら作品を自分と照らし合わせて、自分のことしか考えませんでした。

漫画版にあった
「天才とはこう、凡百とはこう」「クリエイターかくあるべし」
というテーマを、温かく細やかな作画と実感的な音響、とにかくやさしい音楽で、それはそれは柔らかくコーティングしてくれたおかげで
このテーマについて、圧を全く感じることなくひたすら考えることができたんですよね。

なんなら、柔らかくなったおかげで

「天才ってなんだろうね?」
「クリエイターってなんだろうね?」

ぐらいのふんわりしたテーマ性に変えられているような気がしましたね。

登場キャラ二人をひたすらふわりと肯定する作風で、すごくやわらかく優しい作品に仕上げてくれたおかげで、ゆっくり自分のことを考えることができたし、
僕自身もこの作品に肯定された、受け入れてもらえた感じがして、ちょっとだけ救われたような思いがした。そんな気がします。

それと同時に、この漂白された感を違和感として抱える人はいるだろうなぁと、ちょっとだけ思いました。

だって漫画版、めーーーっちゃザラついた作風だったもん。
200番の紙やすりぐらい。
あのひたすら無機質で現実主義的で、淡々と進んでいく作風。

それと比べたら映画版なんかシルクっすよシルク。絹ごし豆腐
このへんに藤本タツキ感が薄れたと感じる人はいるんだろうなぁと。

でも、もしこの無機質さがそのまま再現されてしまっていたとしたら、僕は館内で血反吐を吐いて気絶して再起不能になっていただろうと思うので、この味付けをしてくれた映画版スタッフさんにはひたすら感謝するばかり

だってなんかさ、普通こう……もし原作がとげとげしい作品ならとげとげしさを活かそうとか思わない?

あえてなのかそうじゃないのかはわからないが、やわらかく包み込むようなものに変えるって、なかなかできることじゃなくねえすか?
すごいっすよ。

観に行ってわかったこと


観に行ってよかった!!!!!!!!!!!!!!!!!

まじでこれに尽きる。
勇気を振り絞って観に行って本当によかった。

あの……当たり前のことなんですけど……。
話題作は別に僕を攻撃したりなんてしない。

この作品、ものすごく僕向きに味付けされていたのを加味したとしても、この思いを得られたのはものすごくデカい。
話題作恐怖症の寛解に大きく貢献する、いい成功体験だったと思う。

また、漫画版に対する前半の罵詈雑言の8割9割は、僕の持病がそうさせたのだなとわかり、申し訳ないという思いがある。
好き放題言ってごめんなさい

だけど、漫画版と映画版どっちが好きですか?と聞かれたら、圧倒的に映画版と答えたい。それぐらい味付けがよかった。

まぁこれはただ単に僕の性質として、作者にオラァ!って感じにメッセージを叩きつけられるより、読み手側が解釈する余地があったり、考える余裕をくれる作品の方が好きってだけなんです。

いずれにせよ、誤解が解けて本当によかった。
観に行かなかったらと思うとぞっとするし、これで今まで何作見逃してきたんだろうかと思うと恐ろしくて仕方ない。
やばい、取り返さなきゃ

あと、一人で観るの怖いから一緒に見て!なんてガキみてーな誘いに付き添っていただき、その後2時間半以上の映画談議に付き合ってくれた先生、本当にありがとうございました。

先生がいなかったら、この映画観れなかったです。

本当に、いろいろ、ありがとう。

おわり

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

今見たら5,600文字とか行っとる。やばない?
こんな文章量、台本や企画書以外でまとめて一気にガーッと書いた経験、今までどれぐらいあっただろうか。

そして、こんなところまで読んでくれる人が果たしてどれぐらいいるんだろうか……。

とはいえ、僕としてはできるだけ読みやすく、面白く書いたつもりです。
誰か1人でも「わかる~」とか「何だコイツw」ぐらいの、なんというか、軽くて面白い気持ちになっていただけたのなら幸いです。

今後も作品の執筆の合間に、こういうのを書いていけたらいいな。

ありがとうございました。


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