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【509】朝顔とあずま屋と蝶:語学学習のわずかな一部

語学学習は結局のところ一定の規模の文章を念入りに読みつづけることが重要になってきますし、それが全てなので、母語だろうが外国語だろうが変わらなくなってきます。世の大半の語学の参考書が必然的に入門レヴェルのものに留まる理由です。

とはいえ語学の勉強であるからこそ、つまり意識的な、突き放された対象に関する学びであるからこそ、積極的に行われる作業もないわけではありません(し、それはある意味で、母語以上の精度で、また母語話者以上の精度で言語を扱う可能性が開かれているということです)。

内容に立ち入る以前に、それを構築する要素において、規則において踏みとどまる作業が行われるということです。というよりこうした踏みとどまること、違和感やわからなさに敏感になること、引っかかったときに素通りしないこと、は、あらゆる学習において必要でしょう。

もちろん多くの場合には、対象となる領域がおかしいのではなく、自分がその領域の規則に慣れていないだけですし(ですから、自分が理解できないという理由しかない場合に対象をこき下ろすのは、褒められた態度ではありません)、分からないところで踏みとどまるのは多くの場合、なんとかその規則を受け入れて定着させるためです。

そうして踏みとどまり、その場で知識や認識を繁茂させることでこそ、不安定な記憶や認識や反射神経を少しずつ確実なものにすることができるというなりゆきです。

(もちろん母語に対して同様の操作を行うことは常に可能です。)


たとえば、

TomasiのFanfares liturgiques「典礼風ファンファーレ」の楽譜をちらちら見ていると、pavillon en l’airという指示が見られます。その指示にギョッとする瞬間に、驚きないしは引っ掛かりを見逃さないということです。

pavillonはもちろん、「パヴィリオン」という日本語化した英語からも想像されるように、博覧会などで使用される仮設の展示館です(仏語では概ね「パヴィヨン」という読みになります)。

この曲は金管楽器群とティンパニを含む打楽器からなる編成ですし、そもそも楽器について「パヴィリオン」と言われても、そしてそれがen l’air「空中」にある、とされても、「ん?」ということになるというなりゆきです。

「ん?」と思ったら、当然多くの場合には自分が無知だということです。こういうテクストでもなければ、自分でなくテクストのほうが圧倒的に愚かだということもないわけではありませんが、何にせよ自分の愚かさ・無知を疑うことが必ず先に来ます。そう思うことのできない、つまり敬意を払うことのできない(著者や)テクストなど読む価値は皆無でしょうし、私は必要がなければあまり読みません。逆に言えば、形式的な敬意を払うことができない人間は一般にテクストを読むことができないでしょう。

で、辞書を引けば、仏語pavillonには「管楽器の開口部」つまり「朝顔」を表す意味があることがわかります。英語ではbellに対応します。なお仏語pavillonを借用するかたちで、英語でもpavillon/pavijɔ̃/と言って「管楽器の開口部」を指すことがあります(「パヴィリオン」を指す英語はpavilionないし稀にpavillionで、結果的にスペルと発音が異なります)。

で、pavillonが空中にある、ということは、開口部を普段より上に向けよ、「ベルアップ」せよということだ、とわかるわけですね。クラシックの文脈ならマーラー1番のSchalltrichter aufと同じことです。

ベルアップは視覚的効果を狙うものでもありますが、クラシックにおいてすら、演奏効果を狙って書き込まれることがあります。トランペットやトロンボーンはそもそも朝顔が概ね前方に向いていますし、人によっては普段から割りと地面と平行に近い角度で吹いていますから、そこまで強い意味があるのかと思われる瞬間もあります。が、特に(木管楽器や)ホルンだと音響の点でも強烈な効果を持ちます。


急いでいるときならともかく、急がないということが、知識を繁茂させ定着させることの要です。なので、「ふーん、pavillonは『朝顔』も意味するのね」で終わらせるわけにはいきません。「パヴィリオン」と「朝顔」が何故同じ語で、しかも項として別になっていないのか、という当然の疑問を無視するわけにはいかないということです。

(逆に言えば、たとえばこういうところで引っかかって一見時間を無駄にすることのうちに思わぬ秘訣を見ることができるでしょう。「実用」レヴェルでの語学が大好きな方には縁のない世界かもしれません。)


ラテン語やそれ以前に遡る手立てを持つからには、語源欄を見ることになります。仏語pavillon (英:pavilionないしpavillion)「あずまや」はpapillon「蛾」(ないし「蝶」)と同じくラテン語papilioに由来するとされ、想像がつきにくいくらいに意味が広い語であることがわかります。

管楽器の開口部つまり「朝顔」のみならず、「耳介」のような円錐状のものも指しますし、船籍旗も指しますし、やや古い意味としてはテントやテント状の屋根も指します(意味の古い・新しいはLe Grand RobertやTLFiで確認する)。

はて、どういうことか。かたちが直接的に似ているものでもない。蝶ネクタイをpapillonと呼ぶのは形通りだからよくわかるけれども、「幕」とか「テント」とかに、ひいては「朝顔」を指すのはどういうことか。


旗やテントといった意味が「蝶」や「蛾」のはためく羽から比喩的に由来する、というのが、恐らくは順当な想像でしょう。BrillからDe Vaanが出しているEtymological Dictionary of Latin and the Other Italic Languagesでpapilioを引くと、quail「うずら」と関連付けられますし、pl-という語根が「飛ぶ」ことに関係すると説明されます。論理的な順序としては、概ねpapilioで飛ぶ生物が指され、ここからはためく布や、そこに覆われるものもpapilioのうちに入ってきた、ということでしょう。

なおオーレックス英和辞典なんかはpavilionの項で「ラテン語の原義は「チョウ(蝶)」.テントがチョウが羽を広げた形に似ているため.」と書いています。もっともラテン語の段階でpapilioには既に「テント」「幕屋」くらいの意味がある、という点は念頭に置く必要がありますが。
 
本来参照する必要がないとはいえ、Wikipédiaなんかでpavillonを引くと、L'analogie avec l'insecte viendrait de l'aspect somptueux des tentes médiévales「この昆虫(=蝶)との類推はおそらく中世の幕屋の壮麗たる様に由来する」とありますが、この個所については見事に出典が省略されており、少なくとも積極的に支持することは時宜を得ないでしょう。


蝶から転じて、祭壇を覆う布や陣幕がpavillonの語で指されることになりますが、そうした幕に覆われる空間も、同じpavillonの語で意味されることになります(軍隊や祭儀の「幕屋」)。そこから「あずまや」、簡素な別荘、また別館、(展覧会などの)パヴィリオンに繋がることになります。なおフランス語の用例としては特に「幕」の意味が「建物」の意味に先立つわけではありません(TLFiで確認される)。

こうした由来からして、堅牢な・主要的な・半永久的な使用を前提にした建物は意味されない、ということになります。すぐに撤収できるか、一時的にしか使わないか、のようです。臨時の・間に合わせの・主たる建造物を別に持つ、そうした建物を指すと言えるでしょう。

だから博覧会の臨時の展示館を指すのですし、軍隊の幕屋を指すのですし、直ぐに取り壊すことが予定されていなくても病院の別棟や郊外の別宅などを意味するというなりゆきです。

(なお「金閣」はPavillon d’orが定訳で、三島の『金閣寺』も、燃やされたのは寺というより金閣そのものなのでLe Pavillon d’orと仏訳されます。金閣は舎利殿であり、なるほど重要な建物ですが、本堂ではありません。いや、本堂はpavillonと呼ばないのか、と言われると、知りません、ということになりますが。)


pavillonが管楽器の円錐状の開口部を指す理由については微妙に判断のつきにくいところもありますが、pavillonが「(自動車などの)屋根」を指す用法が20世紀前半以来見られる、という点は参考になります。急ごしらえの建物の屋根が持ちがちな(テント型の)形状に由来する、と思われるということです(粗雑な想像に過ぎませんが)。
 
(TLFiを見るに、こちらの用例は1636年(Mersenne)と、若干新しいものです。Mersenneはデカルトと書簡を交わしたことで知られる人物ですし、書簡集はおそらく邦訳でも手に入ります。)

ここでようやく、蝶の羽のようないささか柔らかなイメージを離れたところで、確たるかたちを持った、しかも建物を意味しないpavillonが可能になる、というなりゆきです。

実際の建物としてのpavillonが目下すべて錐体の屋根を持つとは思われませんし、そのほうがコストがかかるということもあるかもしれませんが、少なくともpavillonならば錐体の屋根だろう、という推定が順当にはたらく環境もありえたといううことです。

(なお、屋根のかたちである、という仮置の判断からは、概ね錐体であればよい、ということさえも窺われるようです。実際、形容詞的に名詞に付加する表現として、en pavillonと言うと円錐形も角錐形も指しますから、緩やかな錐体状の広がりなら円錐でも角錐でもpavillonと言える、ということになるのでしょう。)


オチは特にないわけですが、このくらいにイメージを繁茂させると忘れませんということです。たとえばこのように語源に遡るということ、あるいは例文や文脈を大量に投下するということ、あるいは単に多読を試みることが定着に役立つというのは、そういうことです。もちろん定着とは神経のレヴェルでの反応の速さ、知識が閃く反応の良さを実現するためのもので、所謂トリヴィアとしての蓄積は念頭に置かれません。トリヴィアルではないためです。

とまれこうした、学習の現場において、一定の学習者が日常的にやっている(であろう)作業の一例でした。