魂を燃焼させて生きよ
生きる死ぬについて、これまでに2度ほど相まみえたことがあった。
1度目は思春期の頃、よくある肥大した自我のなせる業と言ってしまえばそれまでであるが、本人としてはそれなりに苦しい経験だ。あの季節特有ののっぴきならなさで思いつめ、イシューはこうだ。
「机は物を乗せるため。鉛筆は文字を書くため、椅子は座るため。もの言わぬこれらにすら存在している理由があるというのに、自分においては一体なんなのだ?」。来る日も来る瞬間も、この問いから逃れることができず、そして一刻も早く明確な答えを手にしないことには、生きていることが許されないと信じていた。3年間に渡り、この問いがわたしを解放することはなく、身体中から神経がむき出しになっているかのようにピリピリとした生を過ごした。けれど、あるときこれがあっという間に解決したのだ。
自分は浪人したので、それは2回目の大学入試だった。もう覚えてもいないが、どっかの大学の現代文かなんかの試験問題に、内村鑑三の文章が載っていて、そこにはこう記されていた。「どうせ、この世に生まれてきたのならば、何かを遺して死んでいきたいじゃないですか」と。そうだ、名著として名高い『後世への最大遺物』であった。それらの箇所を読んだ瞬間、試験中であることなど吹っ飛んでしまい、何もかもが氷解したのだった。
「そうか…!生きている理由、意味がもし今のこの時点でわかっているのなら、もうそれは死ぬしかないんだ。なぜなら、一生とは “それ” を探し続ける旅なのだ!!」という思いで全身が満たされたのだ。このとき、数年間自分を生きながら死んだようにさせていたつらく苦しい問いから解放され、やっと新しい目で世界を見ることができるようになったのだった。
ちなみに2度目の格闘は、7年前に大病をして5年生存率が50%もなかった治療中、「どう死ぬか?はどう生きるか?なのだ」という発見を持った。このときはかつての日々と違って、文字通り物理的に生きること、死ぬことに格闘せざるを得ない日々だった。さて、わたしはこのところ、逢ったことのない一人の青年の死について考え続けている。それでこんなことを書き綴っているわけなのだ。
昨年シアターコクーンで上演されたという、彼が座長を務めた『罪と罰』が先だって有料放送でオンエアされたのを鑑賞する機会を得た。3時間20分、目を剥き、滂沱の汗をしたたらせて蒼白の青年が役を生きていた。息をするのも忘れるほどの圧倒的な存在感で、ドストエフスキーの長く重い演目を率いる姿からは魂の燃える姿が見て取れた。
衝撃で、あまりに衝撃的で、数日間に渡ってこの余韻を引きずっている。これほどの生を見せつける役者が、いったいどんな理由で自らの命を終わらせたのか?なんてことも当然考え続けてしまうのだが、それ以上に、あの芝居を観てしまって、自分の胸に確実に彼が、彼の魂の欠片を放り込んでしまった。「燃焼するように生きているか?」と。
このままではいけない。あの舞台を観てしまった人間が、こんなふうに怠惰な生をむさぼってはいけない。心から今、そう思う。
心から彼の魂の冥福を祈る。
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