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官能的な地形論を歩く

自分の嗜好であったら、まず手にする機会のなかったであろう書籍『アースダイバー』がなかなか面白く読めている。例の「あの人が薦めた本」シリーズである。書籍自体の説明は便利このうえないwikipediaにお願いすることにする。

方法としては、地質学年代上の第四紀に起こった長期的な「人類と地形(景観)の相互交渉の過程」に光を当て、歴史のなかで実際に起こった出来事や、神話・伝説を含む人間の無意識レベルでの表現を、具体的な土地との関わりのなかから読み解いていく点に特徴がある。考察の内容は歴史学・考古学・神話学・人類学・民俗学・人文地理学といった諸科学から文化批評・都市論・建築論・エコロジー・芸能芸術論などの諸分野を含み、現地でのフィールドワークをもとに、その土地にまつわる歴史の古層や無意識的な景観知の次元があきらかにされる。(出典:wikipedia

最近では「病的な方向音痴」との自称を、「方向音痴という病気」に改めたい筋金入りの自分としては、この手の地理や地図の基本的理解を求める書籍は苦手なはずであるのだが、どっこいそういうアプローチで論は進まない。

電波塔の立つエリアを、死やエロスという概念で論じてみせたり、東京の地下世界とアニミズムを関連づけてみたりと、すこぶるロマンティックで文学的な地形論である。

こうなると思い出さずにはいられない。この本を薦めてくれたあの人といると、とにかくよく歩いた。待ち合わせて少しどこかに腰を落ち着けたとしても、「じゃ、行こうか」といって特段の目的もなく小一時間ほど歩き回るのが常だった。当時あまり歩きなれていなかったわたしは、「なんで目的もないのにいつもこんなに歩かせるんだろう…」といささか不満であったが、『アースダイバー』を読むと、かの人が閉鎖された空間に閉じこもることを避けて、風の流れを感じられる屋外で二人で過ごしたかった嗜好を多少なりとも想像できるのだった。

過去に何かで口論(大抵一方的にわたしが怒っているのだが)になったときに、「そうやってわたしが何を言っても何も感じないんでしょう?いつだって顔色変えずにポーカーフェイスでいやになる」と言い放ったとき、彼の顔に一瞬浮かんだ傷みの色が忘れられない。顔や言葉に出さない深奥の部分でかなりいろいろのことを考えていたり、傷ついたりしているのだ、ということを知るようになったのはずいぶん後になってからのことだった。

『アースダイバー』で語られる地形にまつわる、太古からのロマンを共有するひとときであったのだとしたら、かつての散歩はとてつもなく官能的なことだった。

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