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くちなしの花慕情

 この土日、かなり久しぶりに一切の仕事をしなくてよい週末だった。なにが一番ありがたいかというと「返答を求められないこと」と「返答に追い立てられないでいいこと」だ。もうこれだけで精神的な健康度がぐっと上がる。

 金曜日はこの週末の自由を手にするために夜中3時半までかけて仕事をがんばった。絶対に土日に持ち越さないぞ、という執念が見事に集中力へと変換されて、結果として土曜日は一切の使い物にならないほどダメージを喰らったが、引き換えて余りある恩恵である。

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 何度か書いてきたが私はコーヒーを片手に新聞をじっくり読むことが好きなのだが、今週は4日ほどまったく新聞を開くことができなかった。時間というよりは、仕事で情報収集のためにありとあらゆる情報源をあたっていたので、それ以上に活字を脳にも視界にも入れることに辟易としてしまったのだった。

 ある意味で、そういう活字断ちの2日を過ごしたら、自分の素の心模様を文字にしてみたくなるので不思議である。土日をこのように穏やかに、追われる心境なく過ごすのはなんだかとても久しぶりのことで、数年以来のようにも思えてしまう。わくわくとする気持ち、意味もなく心躍るような気安さ、そういうことを受け入れられるのは心身が健やかな証なので、そんな気分はこの前いつだったろう?などと思う。

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 五木寛之と夏目漱石、いずれも自分の好きな文章なのだが、その発見をしたのは成人してからだった。それにはちゃんと理由があって、父がなぜかこの二人をわざわざ名前を出してまで貶してきたからだった。子どものころ、親の話すことは絶対で、間違いなぞあるわけがないと信じて過ごすので、「父が言うのだからそうなのだろう」と、大学に入るまで自分もろくすっぽ読まずに避けていたのだった。
 ところが、大学に入って夏目漱石に開眼した。いまでもヘリオトロープの花の名を目にすると、まっさきに漱石が浮かぶ。それからは夏目漱石はおそらくすべて読んだが、当時自分は芥川龍之介を崇拝しよう、と意志を持って決めていたので、「そうか、、私は本当は漱石的なリアリズムが好きな人間なのか…」と、その発見に少なからず落ち込んだりしていた。

 リアリズム、そうなのだ。五木寛之氏においても、文体の核がそれなのだった。両名ともに単なるリアリズムではなく、ロマンの薫りが抑えようとしても匂いたつような色気があり、自分の好む文章世界はそれなのだと思う。

 父があえてこの二人を名指しして批判したのは、完全に敗者の弁であったと後年気づく。

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 おそらく父はろくに読みもせず、当代きっての流行作家の代名詞として名を挙げたに過ぎないのだろうが、要するに彼は流行作家になりたかったのだ。今にして思えば、学力があったことで気づかれることがなかったタイプの発達障害を持つ人なので、優秀で才能にあふれた自分が世の中に評価されないのは世の中が悪い、という考え方の人である。残念なことに生涯そのように考えていることで、彼は永久に幸福にはなれないのを自分で気が付くことができない。本当は別の部分で才能があったはずなのに、いつだって芸術的な方へ関心を持っては、相いれない世間を恨んでいた。

 そんな父から大学生のころに、親へ送られる学生新聞に掲載されていた学内文芸コンクールに出ろ、と連絡を受けた。当時、今では信じられないほど父の言うことには従っていたので、自分が何かに応募するために文章を書いたのはその時が初めてだった。さらには、わざわざ書いたものを父に請われるままに見せるなど、今では考えられない従順さを持ち合わせていた…。

 私は内心で、批評されるのがいやだなぁと思っていた。しかし想像と正反対の連絡があったのだ。「おれより巧いと思う。もっと書けよ」と。結局それは入賞を果たし、翌年も父に言われるままに書いて応募し、入賞を果たしたが、自分は文章を書いていくことを仕事にしたいとは思わなかった。正確に言えば、できるわけがないと考えていた。

 何が言いたかったかというと、子どもにはあれほど素直に正直になれた父が、なぜ大作家らを受け入れられなかったのか?という不思議だ。そしてそんなことを今ふと思っているのには、6月の空気にくちなしの花が香るからである。

 父はよく酒に酔うと気分よく「くちなしの花」を口ずさんでいた。子ども心にくちなしの花の実物を見る前に、強烈に香りへの想像力が喚起された。今では夜道を帰宅中などに、甘く切ないその香りを鼻先に感じるといまだに父を思い出すのだった。そういうやや慕情じみた背景から、今日はこんな文章を書き連ねてしまった。

 注:父は存命です笑

 

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