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「プロ」と名乗る自戒

 自分の仕事と折り合いがつけられるようになったのって、考えてみると本当にまだごく最近のことで、ただし私が使う「最近」はまったく最近とは言いません、とたまに苦笑されるのだが、つまり10年くらいという体感。長いこと、血反吐を吐くような努力が伴うことが仕事において前提のものと考えていた。たぶんそこには、やりたいことを実現するには実質、そうしないと一般の机上に載らないレベルだったのだと思う。影で生活のすべてを捧げるほどの犠牲を強いないと、自分の当時「やりたい」と標ぼうしていたことに追いつかなかったんだと思う。今は。

 それで、自分のなかでは得意というのでもないが適正があるために、努力することなしに一定以上の成果を出せてしまう仕事を「自分の仕事」とは認識していなかった。ここに私の、社会人人生における長い間の闘争が見えるのだけれど。「人生を捧げるほどの至上の努力」が「やりたい仕事」をするために欠かせず、苦も無くできる仕事は自分の仕事ではないと思ってきた。

 6~7年前のことだ。自分のその「やりたい」と目指してきた領域で尊敬する二人の人を引き合わせた。自分はそのとき当事者だと思っていたので、あわよくば三者で何か新たな胸のすく試みでも開始できたらいいな、と思っていた。しかし、初対面のその二人は意気投合し、まるで同志に出逢ったかのようにして興奮しながら己の仕事をプレゼンし始めた。それはまるで、ちょうどよい実力の相手にぶちあたって、壁打ちしながら己のスキルを確認するかのようだった。そしてそこに、彼らの目に、私が映っていないことを知った。

 帰宅してわぁわぁと声をあげて泣いた。うすうす気づいていた、「そこは私の道ではないのではないか」ということが、逃げも隠れもできぬほど歴然となった夜に、青春の卒業を見た。青春ってビミョーな言葉だが、私的にはやみくもに情熱のままに自分の求めるものに向かってよい時季というイメージがあり、そろそろ私は青春の引き際を知るべきだとわかった。

 その頃までに既に、自分のなかでは造作もなくできる仕事での発注もある程度増えていて、多くの場合「定期的にお願いしたい」と言ってくれていたその業種を、自分では「は?私の仕事じゃないし。やれるから小遣い稼ぎ感覚でやってるだけ」みたいなうろんな態度で臨んでいた。だって認めたくなかったのだ。自分の生きる場所はそんなところじゃない、と。しかし、あの夜自分は理解してしまった。頭で言い訳をこしらえる隙もないほどに、細胞レベルで一致してしまったあの種の理解からは、さすがの自分も逃げることが適わなかったのだ。

 「やりたい仕事」では、私以外に既に才能の豊かな人達がいて、彼らは私が自分の仕事と認めていない仕事と同じように、苦も無く簡単にそれを遂行できる。もちろん苦も無くというのは大げさだが、少なくとも水準からこぼれないようにする膨大な努力ではなく、高いレベルを極めるために彼らは膨大な努力をはらうのだ。とうとうそれを見極めたとき、自分のなかで諦念から覚悟が生まれた。「では、私もこれまで努力がないから仕事じゃない、と決めつけてきたどうやらものすごく得意なことで食っていこう」と。

 くやしいことに、以来非常にうまく回り始めた。ばかみたいだけれど、こんな単純なことを知るのにものすごく回り道をしてきたと思う。自分が苦も無くこなせる仕事が、他の人にとっては血反吐を吐くほど努力しないとできない仕事なのかもしれない。だから本当は、いち早くそれがなんの仕事なのかを知ることで社会的に負う傷は少なくて済むだろう。でもって、それでも血反吐を吐いてやりたい方を選び、普通にできる人の数十倍の努力をしいて闘う人はアーティストなんだと思う。

 おそらく、「やりたい」ことを絶対にあきらめることのできない熱、その熱を生涯持ち続ける人がアーティストなんではないか。

 数年の間は葛藤ばかりだった。まるで第一線を引退した人間のようにみじめだった。「できる仕事」でいくら評価されてもむなしかったし、怒りさえ抱えていた。「自分はあれをあきらめてこれをやるしかないのだ、いい加減受け入れるのだ」と言い聞かせる日々は、開き直りと劣等感が相克していた。

 けれどこの2年ほど、不思議な変化が起きていることに気づいた。いつか、「できる仕事」と社会のニーズが一致し始めたのだ。過去はいくら手を伸ばしても相手にされなかったのに、できる仕事で実績を積んでいったら、やってみたいと思っていたことと触れ合う点が生まれた。つまり、やりたくはないができる事を磨いていったら、やりたいことを包括する企業の仕事を受けられるようになったのだ。書いていて状況を整理すると、これは非常に感動的なことだと思えた。

 今はもう、かつてのように不貞腐れた気持ちを押し殺して「これ本当は私の仕事じゃないんですけど」なんて思うことはほとんどない。プロとして信じて与えられた仕事なのだ、と思うようになった。そして最近は自分でも「プロ」と名乗るようになった。だってそれで飯を食ってるのだ。何よりも発注してくれた相手への敬意だと思う。自分の仕事に責任を負えない人間に支払うなんて悲劇だから。自戒の意味を込めて言うのだ、「プロ」ですから、と。

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