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身体的に生存が保障された世の中だから

よもぎです。
少し前、自分的なパラダイムシフトがありました

今までは、社会ウケがいいルートの人生を体現することが、
親含めみんなを喜ばすし、そうやって
誰かの「自慢の子/友人」になれた分だけ自分の価値と思ってたんですが

それはちょっと違ってて

この世界を生きているとある誰か(知らない人)のことを考えてみた時
その人が、華々しく理想の人生に乗っていても
内面がめちゃくちゃになってたら全然嬉しくないし
私は、泣くほど悲しいなあ
と、思ったんです

知りもしない人のことだとしても、そう思えて
知り合いなら尚更悲しいって思って
内面がめちゃくちゃになって生きている人が
めちゃくちゃにならないまま存在していられる世界になったらいいのになあ、
と本気で思ったんです

そして、ここまで真剣に考えて
仮に、私のことを思ってくれる人がいるとしたら、
内面犠牲にして生きるのって、いい気持ちにさせないなって思いました

正直なところ、ぽわーっと周りの波に乗っかりつづければ
文字通りに無難な立ち位置に、私はいました。
普通に大学生して、卒業して、就職
この安全ルートは過去の私の頑張りの末につかめた、ある種の成果です

ただ、それとこころが生きてるかどうかは別の話なんですよね…
就職しても、
使い道もなく持て余すお金が増えて
でも時間という寿命は減る
「なんで生きてんだっけゾンビ」になってしまうのしか想像できない
このルートに乗ったところで私は生きがいが感じられない

それが分かったので、私は
内面をぐちゃぐちゃにしない生き方選ぼう
社会的なウケよりそっちを大事にしよう
と思いました

となるとフリーランスとかミュージシャンとか
チャレンジングな道で生きてみたいなあと思いました
せっかくお金に関しての執着がない性格してるし、
そもそも諦観持ちの私だし。

王道行かなくていいわ!と投げ出せたら
ワクワクする選択肢が見えました


身体的に生存が約束されたような日本だから
内面の生存が、人間としての生き死にを決めてる気がします

人間の尊厳ってこういうことではないんでしょうか


おわります、よもぎ。

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