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田舎のバンギャ上京するとバンギャ上がりがち

「東京に住むことができたらもっとたくさんのライブに行けるのに。」
「たった1回ライブに行くのに、なんでこんなに大変な思いをしなければいけないんだろ。」

地方に住むバンギャあるあるだ。
バンギャのみならず、アイドルやら二次元やら何らかのコンテンツの地方オタクあるあるとも言える。

だから、「上京したらライブ行き放題!就職は絶対東京!」と息巻く学生は多い。
が、一方でどうしてだか、「実際に上京したらバンギャを上がってしまった」というのも、割とよく聞く話。
かつてはそういう人のことを信じられない目で見たものだが、今になってしみじみと、気持ちが分かるような気がする。

かく言う私も、例にもれずクソ田舎に住むバンギャだった。

大好きなV系バンドはその界隈ではそこそこ名の通ったベテランバンドだったが、全盛期と比べれば人気も低迷していた。
だから全国ツアーの需要もあまりなく、あって東名阪ツアーがせいぜい、ほとんどのライブは都内だった。

東京にクソ田舎から向かおうとすると、飛行機代と宿泊代その他もろもろでチケット5~6枚分、時期によっては10枚分のお金が消えていく。
だから当時大学生だった私には飛行機の旅はぜいたく品で、少しでも安く済ませたくて高速バスを使っていた。

高速バスの旅は片道だけで11時間かかる。
いや、行きも帰りも11時間で済む時はまだマシで、カプセルホテルや漫画喫茶に泊まるお金も惜しい時は、ライブ終わりに直通のバスが間に合わないので大阪で乗り換えて帰った。
ライブで暴れた直後のクタクタの身体を引きずって、乗り換えの待ち時間も併せて13~14時間ほどかけ家に帰るわけだ。だいたい、翌日の大学の講義に出る力は残らない。多分、アラサーの今、同じことをやったら途中で意識不明の重体に陥ると思う。

でも、当時はそれを毎月のようにこなしていた。ただでさえ体力を削られる過酷な旅だが、悪いことに私はひどい腰痛持ちかつ絶望的な自律神経と三半規管の持ち主だった。当然、毎度毎度腰をかばいながら絶えず嘔吐することになる。

バス特有の臭いと密室の酸素の薄さとリラックスできない4列シートに隣は加齢臭のおじさんという古の刑罰みたいな空間で、腰の激痛と吐くものももう無いのに止まない吐き気に朦朧とした意識の中、ブランケットで光の漏れを防ぎながらスマホで時刻を確認する。むごいくらい時間は進まない。明けない夜ぞここにあり。絶望と胃液がこみあげてくる。

「ただ大好きなバンドのライブに行きたいだけなのに、なんでこんな思いをしなければいけないのだろう。」

本気で悔しくて仕方なかった。それでも行くことはやめられなかった。それぐらい、私はバンドを愛していた。と、思っていた。

もし、私が本当の大人になって、自由に生き方を選べるようになって、東京で暮らせるようになったら。
時折過ったそんな甘い妄想は、大学進学の際ですら、県外に出ることを一切思いつけなかった私には、まるで非現実的だった。

でも、気が付けば私は上京していた。

クソ田舎を振り払って、今は東京で暮らしている。
もし当時の私が今の私に会って暮らしぶりを聞いたら、多分手を取って泣いてデスボを上げて喜んでくれると思う。

でも、今の私はバンギャではない。

あの時大好きだったバンドのことは、今活動しているのかさえ知らない。

ライブには、上京してしばらくの後2回ほど行ったはず。
1回目は仕事帰りに、最後尾でビールを飲みながらのんびり鑑賞した。2回目は休みの日に、自宅から徒歩15分のライブハウスでやっていると知って、日課のウォーキングがてら見に行った。
大学生の私が聞いたら逆ダイかまして狂喜しそうな日常。でも、それっきりだった。

思い返せば、私にとってあの行為は、「大好きなバンドのライブを見る」ことだけで完結してはいなかったのだ。

大好きなバンドのライブを見に行くという行為は、間接的に、惨めな田舎者をクソ田舎の呪いから、なるべく離れた場所へ避難させてくれる行為になっていたのだ。

高速バス特有の臭いと密室の酸素の薄さとリラックスできない4列シートに隣は加齢臭のおじさんという古の刑罰みたいな空間。
腰の激痛と吐くものも無いのに止まない吐き気に朦朧とした意識の中、ふとカーテンの隙間から紙一枚分の細い光が頬にさす。

そっとカーテンをめくると、大量の郊外ナンバーが走る厳めしい高速道路。白黒のアスファルトの向こう、夜明け前の紫色の空の端、目覚めかけの瞼みたく、太陽がぼんやり光っている。

──東京だ。

この時感じるのは喜びよりも興奮よりも「助かった」という安堵だ。
地獄のような高速バスの旅からではない。クソみたいな田舎のクソみたいな日常から。

バスを降りるとすっかり真っ青な空を横目に、勝手知ったる新宿西口のパウダールームへ急ぐ。念入りに化粧をし、ウィッグを被り、ロリィタを着る。地元では着られなかった、いっとう派手な服だ。
そのために持ち歩いていた、日帰りに相応しくない大きいスーツケースはフリルたっぷりのジャンパースカートとパニエを吐き出してすっかり軽くなる。

地下のコインロッカーへ荷物を預け、街中へ出る。冗談みたいに大量の人が行き交っているのに、誰も私に何も言わない。
私がどんなに惨めで、無能で、醜くて、無力な人間であるかを言い聞かせてくる残酷な田舎の現実から、ここは最も遠いところだから。

バスから降りてライブが終わるまで、私は束の間、すべての痛みと苦しみと屈辱から救済されていたのだ。

惨めなクソ田舎の日常、その苦痛を追体験させるような夜行バスの旅、旅の終わりに見える嘘みたいに優しい都心の夜明け前。

これを経て、始めて私の見るライブは完成されていたのだ。


救済の役割を失ったあのバンドのライブは今、始めて純粋な「娯楽」となった。

そして私はあのバンドに、「娯楽」を求めてはいなかったということなのだろう。

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