すれ違ったあの子、名前も知らないけれど


久しぶりに電車に乗った。
家とスーパーの往復生活から久しぶりに抜け出した日。

最近の体調不良を診てもらうためだったけれど、久しぶりに見る景色はすごく安心した。

歩いている人の9割以上の人はマスクをしていて、列になる時には離れた位置に並ぶ。
各所の入り口にはアルコールが置いてあって、シャッターが閉まっているお店が続く。営業しているお店とそうではないお店が交互に並んでいて、営業しているお店があってもやっぱりガランとした風景だった。
飲食店はテイクアウトのみ。

それでも、しばらく歩いていなかった以前までの通勤ルートはなじみ深くて、以前とは違う風景だとしてもうれしかった。


人に会う機会がめっきりなくなった。
人と連絡を取ることも減った。
買い物に行くとしても、すれ違う人も数えられるくらいしかいない。

そんな生活の中で、電車に乗って大きな駅の方に行ったこともあって、久しぶりにこんなに人を見たなぁ…と思えるくらいには、人に会っていなかったことに気付かされた。(とはいっても、そんなにすごい多いわけでもない)

そんな最近は、出会う人に少しだけ優しくなれた気がする。

買い物に行ったとき、すれ違う人やレジを打つ人。
ジョギングをしたときに、会社に向かう人や反対の道路でジョギングしている人。

今までは個人として意識できなかった人の存在さえも、1人として認識できる。
きっと、すれ違うとき、物を受け取るとき、列に並ぶとき、そんないろんなタイミングでその人との距離感を気にして生活するようになったからなのかもしれない。


今まではぶつからなければ問題ない、くらいの気持ちだった。
だけれど今は「2m以上離れる」という認識の元で生活している人が多いからか、人同士の距離感がすこしだけ遠い。

だけどその距離は、相手にとっては安心が芽生える距離感なのかもしれない。

ごく自然に行っている、距離を取ることやマスクをすること、アルコール消毒をする行動ひとつひとつが、自分のためだけではなくて、誰かのためにもなっている。
そんな生活をしていく中で、ごく自然に目の前の人や隣にいる人へすこし寛容になれてきた気がする。

安全を守る距離感は、実は安心感も生み出すのかもしれないなぁ。


いつ落ち着くかわからない状況ではあるけれど、この状況だからこそ学んだことや考えたことって山ほどある。
この環境が望ましいものとは思えないし、はやく解消できたらいいなって願わずにはいられないけれど、日々考えていたことはこれから先の人生の中で忘れたくない。

この状況下でしか感じられなかったこともきっとある。

同じことが繰り返されないことを願うからこそ、今しかできない学びがきっとあるはずなんだよねって最近思っている。


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