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一期一会と言わずに何度でも


人との別れが苦手だ。
正直にいうと、人だけではなくて物もそう、場所もそう。

「別れ」というものが極端に苦手。

わたしの地元は、小学校から中学校へは、地域制のためほとんどの人が同じ中学へ通う。
隣の小学校の半数が同じ中学に通うことになるので、生徒の総数は増えるのだけど大きな別れがあるわけではない。
それでも、大号泣した(しかも当時、絶賛反抗期のためなかなか尖っていたので感情表現とかしなかったのに)


その別れに関しては、いまも同じ感覚でいる。

物を捨てることは苦手だし、思い出の場所での写真やパンフレットは永遠に残しておきたいし、知り合った人とこれからも永遠につながっていることができたらいいと思う。
欲しいから手に入れたものを手放すことが理解できず、そばにいる人が疎遠になるのも理解が追いつかなかった。


それでも、別れは突然やってくる。
突然、突きつけられる。


すこし前までに、家庭のことで悩みを聞いていた友人と音信不通になることや、毎月会っていた友人から連絡が返ってこないこともあった。
大切にしていた時計をなくしたり、マグカップが割れてしまったこともある。
写真だってデータが消えてしまったり、そんな風に望んでいない別れが押し寄せてくるといても経ってもいられなくなる。


一期一会とは、「人と人との出会いは一度限りの大切なもの」という意味で使われたり、「生涯に一回しかないと考えて専念する」という意味で使われているらしい。

一度のみになりたくないのであれば、尚のこと、目の前の瞬間を最初で最後と捉えてちゃんと大切にする。
それがきっと、ご縁につながる。

仮に繋がらなくても、変な悔いは残らないんだろう。


わたしや周囲の環境が変わることで、友人に関して大幅に変化した。

オーストラリアに留学する前と後では、会う人たちは本当に変化したし、留学中に友人が結婚したり子どもが生まれたことで生活リズムが変わったことがあったからかもしれない。

少しずつ、見えないくらい微妙に変化は訪れていく。


それでも、今あるものにしがみつきたいのではなくて、大切にしていきたいし良い関係でいたい。

だから何かが絶妙にズレて合わなくなったなら、また合うときまでねと距離をおくのもありだとは思ってはいる。
無理に一緒にいることだけが良いとは思えない。


出会ったことを良かったと思えるように、また会ったときに会えて良かったと思えるように、日々大切に丁寧に生きていくしかないなぁ。

また環境を変えることで、すこしだけ気持ちが落ち込んでしまうのはきっとこういうことが理由でもある。
楽しみなはずなのに、すこしだけ緊張していて、すこしだけ落ち込んでいる。まだVISAとれていないのにな。



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