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『女子力』という言葉がきらいだった


いつからだろう。
巷で『女子力』という言葉を聞くようになったのは。

女子力(じょしりょく)は、輝いた生き方をしている女子が自らの生き方や自らの綺麗さやセンスの良さを目立たせて自身の存在を示すことの出来る力。男性から魅力的だと思われてチヤホヤされる力。主に料理ができたり、化粧能力が高い女子の能力のことを指す。

wikipediaによると、こんな言葉で位置づけをされていた。


「女子力あげたーい」とか「女子力たか!」とか、世間的に謎のマウンティングが繰り広げられており、この言葉の発生で女たるやこうあるべき!というような概念も生まれてきていると個人的に感じている。

女ひとりで夜中に牛丼屋に行くことや、ご飯を食べに行った際にお皿に盛りつける側にならないとき。
ささくれができたり、シャワーだけで済ませてしまうお風呂だったり。
いろんな場面で「え、女子力!がんばれよ」というようなことを言われると心底萎えてしまう。

そんな一面もありつつも、「女子力高いね」と言われることもある。

日焼け止めやボディクリームを欠かさないことや、脱毛に通っていること。
朝は絶対お湯を飲むことから始めるし、寝る前のパックは欠かせない。

だけど全部女子力のためとかではなくて、乾燥肌なのでサボるとあかぎれしてしまってすごく痛い。そして治りも遅い。
脱毛はめんどくさいという発想から来ているし、お湯はお腹が弱いから。
いろいろと理由があってしているけれど、すべてが女磨きのように捉えられることに違和感を感じてしまっている。

これってわたしだけなんだろうか。


最近は家で過ごすことが多くなって、身だしなみに気を使うことが減ってきたかも…という気持ちになった。

まだまだ家で過ごす時間が長引きそうなので、さらに家での時間を充実させたくなってきた。

一見、女子力が高いように見られそうだけれど、どれも自分のためにしていることなのだ。
外出しないひとり暮らしに、そもそも女子力の概念がない。

誰の目を気にすることなく、自分のことを労わってみるとすこし人生が幸福に感じられる。

家での時間をもっとリラックスできやしないかと、日々家の中の整理をしながら生きている。明日には、先日購入した新しい部屋着が届く予定だ。


『女子力』に感じていた違和感は、誰かに自分自身の性別の価値を付けられていることのように思う。

女でも男でも関係なく、自分をご機嫌にする生き方はきっと心地いい。
乾燥するなら潤いが必要だし、お腹がすいたら牛丼屋に駆け込んでもいいじゃないか(24時間営業だし)。

今日も今日とて、わたしは自分をご機嫌にするために世間でいう『女子力の高い』ことをしているかもしれない。
だけれど、この状況が落ち着いたらまずは牛丼を食べたい。


そして、冒頭のwikipediaにはこんな続き文言がある。

つまりは肯定的な表現のジェンダーのことである。 世の輝きたいと思っている女性はこの言葉に囚われて自身を苦しめ、輝くどころかストレスで肌を荒れさせていると言われている。

人目を気にすることが少なくなった今だからこそ、誰かに認めてもらうための行動よりも、自分自身が心地よく感じられる行動をしてみるのはどうだろう。

性別を飛び越えて、『人間力』と呼びたいな。


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