おいしさとは、何度だって再会できる。【#私とヨックモック 寿木けいさん】
ヨックモック公式noteでは、お菓子を愛する方々によるエッセイ企画「#私とヨックモック」をお届けしています。
今回のゲストは、エッセイストの寿木けいさんです。出版社で勤務し、編集者を経てエッセイスト・料理家となった寿木さん。会社員時代には、何度もヨックモック青山本店「ブルー・ブリック・ラウンジ」を利用してくださったそう。愛があふれるエッセイをお楽しみください。
青いタイルを目指して青山を歩く
表参道駅A5出口から根津美術館へ向かう目抜き通りは、ハイヒールで何度も歩いた道だ。
出版社で長年働いていた私は、この通りを西へ東へ走って編集者時代を過ごした。編集部ではチームを組んで働くのが常で、関わるスタッフはカメラマン、スタイリスト、ライター、ヘア&メイクアップアーティスト、ときにイラストレーターや作家などなど。忙しい彼ら彼女らと打ち合わせで集まろうとなると、会社があった銀座よりも断然、表参道に集合することが多かった。
A5出口を出て最初に目に入るのは、大松稲荷神社の赤い旗。続いて「コム・デ・ギャルソン」と「プラダ」が並び、少し歩けば青いタイルの「ヨックモック青山本店」がある。「レクサスカフェ」と呼んでいた「INTERSECT BY LEXUS」を通りすぎた角には、ガラス張りの「FiGARO」。ここのフレンチフライは細くてカリカリしておいしかった。
これらのお店のどれかに寄れば誰かしら知り合いがいたし、その誰かからすれば「スズキさんはいつもあのあたりにいる」と思っていただろう。なかでもよく訪れたのが「ヨックモック青山本店」だった。ここには「ブルー・ブリック・ラウンジ」というカフェが併設されている。
「青いタイルのあそこね、11時ね」
ヨックモックがどこにあるかなんてみんな知っているのに、どうしても青を口にしたくなった。青って200色あんねん──かどうかは分からないが、今でもヨックモックと聞くとまず壁一面のタイルを思い出す。高級感があって、それでいて親しみやすい、ヨックモック・ブルーである。
まず入店してからが特別だった。階段を数段上って入ると、レセプションのような受付スペースがあり、そこで人数を告げ、少し待ってから席へ案内される。ここには慌ただしい日常と一線を画す高揚感があった。
ひとり一本、サービスで持ってきてくださるシガールに合わせて、カフェオレを頼むのが私は好きだった。打ち合わせ相手にお腹が空いているかどうかを聞いて、メニューに視線が行くと、ガレットを勧めた。仕事のために訪れていたとはいえ、ここで過ごす時間が忙しい日々のちょっとした楽しみだった。
お店で食べるだけでなく、撮影現場の手土産にシガールを持っていくこともあったし、誰かが差し入れに持ってきてくれることも多かった。
テーブルに並べておけば、「あ、シガールだ」とみんなの手が伸びる。思えば、固有名詞がこんなにも知られているのはすごいことだ。一体創業はいつなのだろうかと調べてみると、1969年。私が生まれた時には、すでにシガールはあったのだ。
子ども、初めてのシガールに「いいねぇ」
先日お中元にヨックモックをいただき、ダイニングテーブルに置いていたところ、それを見た友人(横浜生まれ)が「あ、シガールだ」と反応した。
君もか! と思うと同時に、面白かったのは息子の反応だった。菓子箱に入っていた「YOKU MOKU」と書かれた冊子を見て、少し不思議そうな顔をしている。ヨクモクではなくヨックモックと読むことに始まり、お母さんが昔働いていた会社の話まで、いろんなことを息子に教えた。
小さな唇を尖らせて初めてシガールを食べる子に、どう?と聞く。「いいねぇ」との返事。
「いいねぇ」のどこがいいのかを、私なりに考えてみる。風味、形、食感のどれをとってもほかにない個性だが、何より、巻かれていることがおいしさの柱だと思う。3年前にも同じようなことを考えていたらしく、シガール好きが高じてこんな料理を作って投稿していた。
あの形状に魅せられて……お弁当にも肴にも、シガール風春巻き
本家のシガールは具は入っておらず、生地そのものを楽しむのだが、あの細さと長さと歯応えを食卓に応用したくて、好きな薬味を春巻きの皮で巻いて揚げた。冷たい麺が続く夏の終わりに、油でコクを補いつつ、薬味もごちそうにしたいと思って作ったのだった。
2024年の夏は、子どもも大好きな野菜でこんな風に作ってみた。名付けて、とうもろこしと枝豆のシガール風春巻き。
とうもろこしと枝豆を春巻きの皮の手前に一列に並べ、ぴっちり巻き、5ミリほどの深さに注いだ油で焼くだけ。調理台の上にモデルのシガールを置いて、長さも太さも、おいしそうな焼き色まで似せてみた。巻くって、すごく楽しい。ひと手間かける贅沢さまで、せっせと閉じ込めているような気がする。
子どもたちのお弁当のおかずとして何本か詰め、残りは私の夜の肴にした。サクッと噛み切って、うんと冷えたスパークリングワインで流し込む。とてもよく合った。
静かなキッチンで気付いた“香り”の正体
2年前に東京から山梨に移住し、会社員を辞めて会社を作った。社員、私。社長、私。家が職場。静かなキッチンであらためてシガールと向き合ってみると、バターの香りが豊かであることに気付く。東京で仕事中によく口にしていたときには、あまり意識していなかった。なんてもったいない。
シガールの小分けの袋を開ける。バターの香りがふわっと広がる。私が暮らす里山は桃や巨峰の栽培が盛んで、この原稿を書いている今は食べきれないほどの桃があるのだが、ムンムン放たれる香りにもシガールは負けていない。むしろ、両者が互いに通じ合って鼻をくすぐり、ちょっと一杯、いいお酒を飲みたい気分になる。
桃はこんな風に切って、器はあれ、お酒は──次から次へとイメージが湧く。おいしいものは、それが甘くても塩っぱくても、いつでもレシピのアイディアの源になる。私は作家業だけでなく宿も営んでいるから、お客様に食べてもらいたいという視点でも、おいしい組み合わせ探しはライフワークである。
シガールを中心に、香りを味わうプレートを作ってみた。
桃は指の腹で産毛をやさしく洗い、皮ごと切って並べる。地元の人はりんごのようにコリコリっと喰む硬い桃を好む。この桃も、熟す前の少し硬いものだ。
左のチーズはブリア・サヴァラン・アフィネ。牛乳にクリームを加えて作られていて、舌に絡みつく繊細な旨味がある。みずみずしい桃と官能的なチーズの橋渡しをするのが、シガール。軽快な歯応えとバターのふくよかさが、桃とチーズのどちらにも合うから不思議だ。
合わせるのはウイスキーのトワイスアップ。ウイスキーと常温の水を一対一で割る飲み方で、氷を使わないから一定の濃度でウイスキーの余韻を長く楽しむことができる。シガールの甘味がウイスキーの甘味を引き出し、ウイスキーってこんなにふくよかで丸い味わいの飲み物なんだなあと惚れ惚れしてしまった。
おいしさとは、何度でも再会できる
先日仕事で東京に行く用事があり、2年ぶりに表参道のあの通りを歩いた。「ヨックモック青山本店」をのぞくと、「ブルー・ブリック・ラウンジ」には入店を待つ列ができていた。並んでも入りたい。その気持ち、よくわかる。
でも、時間を主人として従うことは、私はもうしないと思う。東京を離れたことによって、待ったり待たされたり、誰かと待ち合わせることすらすっかり縁遠くなったということもあるけれど、何より、家でもシガールを楽しむ方法をいくつも見つけたから。
2年前から習い始めた茶道の、薄茶とシガールの組み合わせなんてのはどうだろう。シガールに合うワイン。軽く焼き直して、もしくは、冷やしてみると味わいはどう変わるのか。巻き菓子をはじめとする“巻く”レシピ──これから試してみたい食べ方がまだまだ思い浮かぶ。
ここ山梨で、シガールという素晴らしい発明とあらためて出会い直したような気がしている。
<書いた人:寿木けい>
出版社勤務を経てエッセイスト・料理家に。著書に『わたしのごちそう365』(河出書房新社)、『泣いてちゃごはんに遅れるよ』(幻冬舎)、『土を編む日々』(集英社)、『愛しい小酌』(大和書房)など。2022年に山梨に移住。築130年の古民家を改修して、紹介制の宿「遠矢山房」をオープン。薪割りからしつらえ、調理までおもてなしのすべてを担う。2025年にかけて新刊を準備中。
<編集:小沢あや(ピース株式会社)>
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(おわり)