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守りたい灯り side:driver

 彼と最初に出会ったのは、一年前。営業所に定期点検で新しくやってきた「明石」と名乗る彼は、初々しさの残る人懐っこい青年だった。
 彼はこう語った。
「台風の日に留守番をしていたとき停電して、泣きそうになったとき、ぽっと灯りがともったんです。早く復旧させてくれたあの灯りに、僕は温かさを感じました。そんなこの街の灯りを絶やさないよう、僕も一員としてがんばりたいんです。」
 彼のきらきらした目が眩しかった。俺もまだまだがんばろう。そう思った。

 半年ほど経った頃、配車の依頼であの電話ボックスに向かった。初めて彼を乗せたとき、それが明石君だとは気づかなかった。憔悴したお客さんが彼だと気づいたのは、目的地で降ろした後、たまたま彼が職場に入っていくのを見てからだ。元気をくれた彼は今、目の輝きを失っている。やるせなさを胸に秘め、次のお客さんを乗せ、車を走らせた。

***

 営業所の電話の音が鳴る。
「はい、山あいタクシー。」
「入山二丁目の電話ボックスまで、一台お願いします。」
 聞き慣れた声だ。
「了解。」
 受話器を置くと、急いで車へ向かった。

 電話ボックスの奥に、見慣れた影が伸びている。
「お客さん、今日は早いね。どこまで?」
「海まで、お願いします。」
「海?」
「はい。近くの海まで。」
「了解。」
 車をゆっくりと走らせる。胸騒ぎがした。ただ波の音が聴きたくなったのかもしれない。自分にも、夜の海をただぼんやり眺めたいときがある。お客さんが全然いないとき、こっそり浜辺で夜を明かしたこともある。
 夜を明かした場所をいくつか思い出しているうちに、一つの場所が浮かんだ。彼に、ぜひ見てほしい。速度をやや上げて、山道へハンドルを切った。

***

「着いたよ。」
「あの、海までとお願いしたんですが…」
「向こう行ってごらん。足元に気をつけて、ほら。」
 懐中電灯を手渡す。彼の行く先を見守りながらついて行くと、ごくり、と息を呑む音が聞こえた。
「ここ、いいだろう。お望みの海も見える。」
 以前見つけたとっておきの場所だ。彼らが点し続けている灯りが点在し、奥には海が広がっている。暗い夜に彩りを与えるやわらかな灯りが、夜の冷気を温めてくれるようだ。
「お客さんたちが守ってくれてる街灯りだ。」
「どうしてそれを。」
「送った後、職場に入ってくのが見えたから。気に障ったなら申し訳ない。」
 これは、半分本当で、半分嘘だ。覚えていなくていい。数ある現場のおじさんたちの一人。私にとっては大事な出会いだった。ただ恩返しをしたかった。
「いえ。あの、ありがとうございます。」
 彼の瞳に、わずかながら輝きが戻ったように見えた。街や懐中電灯の灯りの反射だけではないはずだ。濡れた瞳が煌めきを増す。
「こちらこそ、この景色を、俺たちの暮らしを守ってくれて、ありがとうな。」
 当たり前の日々を守ってくれている。それは容易いことではないはずだ。当たり前だからこそ、重圧や忙しさに押し潰されそうになることもあるだろう。仕事は仕事。それでも、感謝を、君のがんばりに救われている者がいることを、伝えておきたかった。

***

「今日もありがとうございました。僕は、あなたのおかげで仕事を続けられてます。」
 ああ。君にとって、このタクシーも生活の一部なんだな。君の一助に俺もなれているんだろうか。
「そりゃあよかった。またいつでも呼んでくれな。」
「はい。」
 彼の姿が小さくなっていく。彼の瞳に宿る、心に点す灯りを守りたい。また乗せる日を楽しみに、出会った場所へ引き返すのだった。

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