おおきな夢みいつけた
童謡「ちいさい秋みつけた」を歌うにぎやかなこどもたちの声が、外まで聞こえてくる。目前に迫る目的地へ続く坂道を、あと少し、と心の中でつぶやき、登っていく。
***
私の目指す管理栄養士になるには、座学に実験、施設と病院での実習を経て、国家試験に合格する必要がある。
再来週から、その保育園の臨地実習が始まる。今日はその事前打ち合わせ。緊張した面持ちで、お世話になるいちょうの丘園の門を潜った。まだ青いいちょうの木が、悠然と出迎える。
「初めまして。こんにちは。再来週からお世話になります、塩原大学栄養科学部の左藤好実と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「こんにちは。園長の並木路子です。よろしくね。こちら、左藤さんの指導担当の秋山です」
「いちょうの丘園管理栄養士の秋山栄子です。よろしくお願いします。左藤さん、どうぞ、こちらに掛けてください」
「はい」
あいさつを終え、簡単な打ち合わせを行う。管理栄養士さんは、他に春川さん、夏海さんの計三名、調理師さんが冬野さんの一名いらっしゃる。0歳児が1クラス、1、2歳児で2クラス、3、4歳児も2クラス、5、6歳児が1クラスに対し、保育士さん、保育助手さんが計12名だそうだ。
「おかずはみんなのと同じのを食べるから、ごはんだけ持ってくるのを忘れないでね」
「わかりました」
詳しいことは実習初日にお話ししてくださることになり、今日は30分ほどで終わった。
「再来週から、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。それでは、また再来週」
門の前で園の方々と別れ、来た道を戻る。
昨今の厳しい状況下で、受け入れてくれる保育園は多くなかった。それでも、「塩原の生徒さんならぜひ」。と快く受け入れてくださったいちょうの丘園。今日ごあいさつした園長先生も、担当の管理栄養士さんも、とても優しそうだった。塩原の顔として来ているという自覚を持ち、園になるべくご迷惑をおかけしないよう、がんばろう、と決意を新たにする。さわさわという葉擦れの心地よい音と、涼しくなったやわらかい風を感じながら、帰宅の途についた。
***
いよいよ実習初日。
緊張していつもより少し早く目が覚めた。支度をして外に出ると、ひんやりとした空気が頬を撫でる。
「おはようございます。改めまして、本日からお世話になります、左藤です。どうぞよろしくお願いいたします」
園のみなさんが、パチパチパチと温かい拍手をくださり、初日が幕を開けた。
保育園での管理栄養士の朝は、朝のおやつ作りとお昼ごはん作りから始まる。おやつと言っても、大半は野菜スティックだと聞いて、食育に力を入れていてすごいなと思った。私の通っていた幼稚園は、そもそも朝のおやつはなかったし、3時のおやつも出来合いのものが多かったが、ここはほぼ手作りだ。
おやつとお昼ごはん作りを並行しててきぱきと進めていかれるのを目の当たりにし、私も手を洗って慌てて取り掛かる。なかなかみなさんみたいに進められなくてバタバタしてしまうが、ご自身の仕事もしながら懇切丁寧にご指導くださった。
「朝のおやつ食べてるとこ、ちょっと見てみる?」
「はい、ぜひ!」
作業の合間を縫って、少しだけ食べている様子を部屋の窓越しに窺うことができた。野菜スティックなんてちっちゃい子たちが本当に食べるのかな、と半信半疑で見つめる。しかし、それは杞憂に終わった。こどもたちは、にこにこしながらおやつを食べ進めていく。日頃の食育の賜物なんだろうなと感じ入り、目を細めた。
「どう?」
「野菜をあんなにおいしそうに食べていて、びっくりしました」
「ふふ。案外喜んで食べるのよ。野菜も、地元のおいしい野菜をいただいているからね」
「そうなんですね」
「ええ。野菜の収穫をみんなで体験させていただいたこともあるの。ほら、幼稚園か保育園で、芋掘りとかしなかった?」
「しました。楽しかったです」
「そういう体験をして食べるとね、よりみんな顔をほころばせて食べるの。農家さんの顔を見て、作ってくださっていること、命をいただいていることを、あの子たちなりに実感してるんじゃないかな」
体験学習の大切さは学んでいたし、実体験としてもあるが、こうしてこどもたちの生活にそれが結びついていることを知り、食育の大切さが身に沁みた。
「さて、そろそろお昼ごはん作りに戻りましょうか」
「はい」
お昼ごはん作りはおやつの比にならないほど、たくさんの具材を切り、煮たり焼いたり炒めたりと大忙し。作り終えるとすぐ、お昼ごはんの時間になった。
「では、今日は、みんなと一緒にお昼ごはんを食べましょう」
「はい」
「みんなー。今日から1週間、ここで実習をすることになった、大学生のお姉さんだよ。みんなの食べるとこ見せてね」
「「はーい」」
「みなさん、はじめまして。左藤好実です。よろしくお願いします」
パチパチパチと、こどもたちから元気な拍手と熱い視線が送られる。
「では、手を合わせてください」
「「合わせました!」」
「いただきます」
「「いただきます!」」
恐る恐る、自分の担当したおかずを食べる様子を伺う。
「おいしいねー!」
「うん、おいしいー!」
こどもたちの屈託のない笑顔と嘘のない言葉に、ほっと胸を撫で下ろし、私もいただく。優しい味が、口いっぱいに広がった。
同じ机の子たちと喋ったり、他の席にもごはんの感想を聞きに行ったりして、あっという間にお昼が終わった。
調理室に戻ると、3時のおやつ作りが始まっており、私も作業を再開する。それが終わると、掃除、片付けをし、気づけば初日の終わりの時間が迫っていた。実習記録を書き、秋山さんへ持って行く。
「本日はありがとうございました」
「おつかれさま。初日、どうだった?」
「園のみんなとお話しできたり、食べている様子が見られたりして、楽しかったですし、勉強になりました。みなさんも、とっても丁寧にご指導くださり、親切にしてくださって。でも、調理の手際が悪くて、みなさんにご迷惑をおかけしてしまって、すみません……」
「最初から完璧にできる人なんていないよ。また明日、がんばりましょう」
「はい、明日もよろしくお願いいたします」
初日はあっという間に終わった。明日は、もう少してきぱき動けるようになりたい、と思いながら、唇を噛みしめた。
***
私は、管理栄養士になるという目標を持って、大学に入学した。
最初は、病院に所属する管理栄養士になりたいと思っていた。しかし、授業を受けたり、現場の方のお話を聞いたり、調理実習をしたりしていくうちに、病院の管理栄養士をやっていくのは、私には向いていないんだろうなと思うようになった。なぜなら、私は、献立作りにも調理にも、とても時間がかかってしまうからだ。毎日たくさんの献立や食事指導をする病院の管理栄養士が、私には務まらないのではないか。その思いが強くなった今、私はどこで管理栄養士の仕事をしたいのだろう。
そうして、いろんな施設や薬局、スポーツジムなどを調べるようになったが、まだぴんとくるところを見つけられていない。今回の実習は、その答えのヒントが見つかるかもしれない。祈る思いで臨んだ初日はくたくたになり、明日のことを考えるのでいっぱいいっぱいだった。
***
2日目も瞬く間に過ぎていき、3日目の休憩時間。園児たちとお昼ごはんを食べるのは毎日でなく、食べないときは、園児たちの食器が戻ってくるまでコーヒーブレイクの時間がある。私は、いろいろと、管理栄養士さんや調理師さんたちに質問した。どうして管理栄養士や調理師を目指したのか、保育園を選んだ理由、日々の大変さややりがいなどを、みなさんが思い思いに語ってくださる。
しばらくして話題が切り替わり、明日、明後日にある食育の時間のこと。明日は5歳児、明後日は3、4歳児と、それぞれ私が食育の時間に前に立つことになっている。
「明日明後日、何の話をするの?」
「行事食の話をしようと思っています」
「行事食! 珍しいね。どんな感じ?」
私は、手作りのカードと原稿をお見せした。
「よくできてるねー」
「ありがとうございます」
「ここは、こういう風にしたらどう?」
「なるほど。ありがとうございます。他に、ご助言ありましたらいただけないでしょうか」
みなさんのご経験を踏まえ、日々向き合っていらっしゃる園児たちに合わせたご助言をいただき、帰宅後、カードと原稿を直した。
***
4日目。午前中は、調理の間も食育の時間のことで緊張していた。そして、3時のおやつの前。いよいよ本番だ。カードを握りしめ、みんなの前に向かう。
ホワイトボードにカードを貼り、園児に向き合う。
「みなさん、こんにちは。左藤好実です。これから、少しの間みなさんの前でお話しするので聞いてください」
「「はーい!」」
「いきなりなんですけど、みなさんは行事食って知っていますか?」
「もちー」
「くろまめー」
「ひなあられー」
「答えてくれてありがとうございます。では、行事食とは何なのか、ということについて、お話ししたいと思います」
行事食の説明を簡単にして、1月、2月…と順番に、行事食カードを見せながら、行事と行事食について説明していく。
「みなさん、今、秋ですが、少し前の9、10月に、丸い月が1年で一番きれいに見える日にすることって何でしょう?」
「「おつきみー!」」
「そう、お月見!大きな声で言ってくれてありがとうございます!お月見には、月見団子を食べます」
「このまえたべたー!」
「いいですね。お月見って、何をするかわかりますか?」
「おだんごをたべる!」
「そうですね。他には何があるかな?」
「つきをみる?」
「そうです。お月様を見ることですよね。でも、実は、もう一つ大事なことをするんです。では、突然ですが、秋と言えば、みなさん何か思いつく食べ物はありますか?」
「りんご!」
「ぶどう!」
「おいも!」
「そう! これは、全部秋、9月~今の11月においしく食べられる野菜と果物です」
「秋って、こんな風にたくさんおいしい野菜や果物が食べられますよね。みんな、この秋の野菜や果物を食べられなくなったら悲しいよね?」
「「やだー」」
「そうだよね。だからね、お月様にいる神様に、『秋にいっぱい野菜や果物を食べられるようにしてくれてありがとう!』って言ってほしいの。この、『ありがとう!』って神様に言うのが、お月見にするもう一つの大事なことなんです」
「「へー」」
「そして、このお月見のときに食べる月見団子は、月にいる神様へあげる食べ物なの。『神様にあげたお団子を食べていいの?』って思わない? でもね、昔から、月見団子は神様にあげたものだけど、神様は優しいから食べていいよって言われてるの。だから、これからは、神様にお団子くれてありがとう、たくさんの野菜や果物を食べさせてくれてありがとうって思いながら食べてね!」
「「わかったー!」」
「難しいお話を聞いてくれてありがとう。ここからは、はじめにみんなに見てもらった絵を使ってクイズを出していくよ! 何月に食べる行事食かわかったら答えてね」
「「はーい!」」
「ではいきまーす。じゃん!」
「これは、さっき言った月見団子だったよね?何月に食べるって言ってたかな?」
「「9がつと10がつー!」」
「そう! 正解! 月見団子は、9、10月のお月見のときに食べるって言ってたね」
クイズはこどもたちがいきいきと答えてくれ、盛況に終わった。
「クイズ、みんな答えてくれてありがとう。難しくなかった?」
「かんたーん!」
「たのしかったよー」
「ありがとう。みんなに見てもらったように、行事食ってたくさんあります。実は、今日見てもらったのは全部の行事食じゃないんです。まだまだたくさんあります。だから、行事食についてもっと知りたいな、他に何があるんだろうって思ったり、今日のことを思い出して行事食を食べてくれたらうれしいです。これで、行事食のお話を終わります。ありがとうございました」
園児たち、先生たちから割れんばかりの拍手が起こり、肩の力が抜け、頬がゆるんだ。
「左藤さん、今日もおつかれさま。食育の時間、時間も守っていたし、笑顔で園児のみんなとしっかり対話できていて、とってもよかったよ! みんな楽しそうに真剣に聞き入ってて、いい時間になったね。明日もがんばってね」
園長先生、管理栄養士さんたちにお褒めの言葉をいただき、園児のみんなの様子を思い出し、帰り道、うれし涙が頬を伝った。
***
翌日の食育の時間も無事終わった。調理や掃除、後片付けにもやっと慣れてきた。しかし、今日が最後だった。
「今日で、お姉さんが来るのは最後です」
「「えー!」」
「最後に、お姉さんから一言、みんなにあいさつがあるから、聞いてね」
「みなさん、短い間だったけど、ありがとうございました。食育の時間に、みんながクイズに答えてくれたり、最後までお話を聞いてくれて、うれしかったです。お昼ごはんでみんなとお話しできて、楽しかったです。これからも、おいしいごはんをいっぱい食べてください。本当に、ありがとうございました」
少し寂しそうながら、笑顔で拍手を送ってくれるみんなの顔を、直視し続けられなかった。みんなの前で、熱いものがこみ上げてきそうだったから。
「「このみせんせー! またねー!」」
「ありがとうー! さようなら!」
園児たちと最後のお別れをする。じんわり目に浮かんだものを拭って、笑顔で手を振り続けた。
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「5日間、本当にお世話になり、ありがとうございました」
「こちらこそ、来てくれてありがとう。みんな、とっても喜んでたよ。あの子たちも聡くてね、親御さんの状況もいろいろで、思うところがあるみたいなの。気丈に振る舞っているけど、今まで通りに外で遊べないし、園でも制限がある。そんな中で、左藤さんが来てくれた5日間、本当にいきいきと楽しそうだったの。行事食のクイズもはりきってたでしょう。左藤さんが一生懸命がんばってたから、私たちも勇気づけられたわ。国家試験の勉強応援してるから、体に十分気をつけて、がんばってね。ぜひ、来年の就職活動のとき、うちも受けてね。待ってるから」
先ほど堪えたものが、とうとう溢れだす。ぼやける視界をハンカチで覆い、改めて何度も感謝を伝えた。
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門を入ってすぐのいちょうの木は、夕陽を浴びて黄金色に輝いている。それを背にし、先生方、管理栄養士さんたちは、小さくなるまでずっと見送ってくださった。曲がり角に差し掛かり、再度深々とお辞儀をする。
今でもまだ、進む道に迷いがないわけではない。現場の苦労も知り、続ける大変さを実感した。しかし、こどもたちはもちろん、保育士さんと一緒に連携しながら職務を全うする管理栄養士のみなさんが、きらきらしていた。ぎりぎりのところまでのサポートをしつつ、こどもたちの自主性を尊重する。人手不足でただでさえ大変な中、その理想を現実にし続けるのは、並大抵のことではない。笑顔を絶やさず、大変そうな素振りを見せず、真剣に取り組まれる姿は、なんてかっこいいんだろう。私も、なりたいな。
頭を上げて目に映ったみなさんは、とても大きく感じた。
角を曲がり、夕陽に目を細めながら、一歩一歩、落ち葉の絨毯を踏みしめて、歩みを進める。
「私も、あんな風になれるかな」
そう呟くと、秋の涼風が、優しく背中を押してくれたような気がした。
🍁🎑🌛
文責・撮影 すーこ
監修・カード制作 著者妹
2024/10/20追記
虹倉きりさんに朗読していただきました!
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