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朝茶は七里帰っても飲め 三杯目

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三杯目 茶碗の飯粒がきれいにとれたら雨になる

 パリン。
 手が滑り、昼食後に片付けようとして落とした茶碗が割れた。アンナとアンリちゃんに謝りながら、ほうきとちりとりを借りて処理する。嵐の前の静けさに終わりが来る、そんな不穏さを感じ取る。

 五ヶ瀬荘に転がり込んでから三日が過ぎた。アンナは毎日、献身的に看護してくれた。アンリちゃんはあれからすぐ元気になって、笑顔で癒してくれた。キリーさんは雨の日以外は川魚を持ってきてくれた。魚釣りが趣味のようだ。カセさんは、元気そうなアンリちゃんを見て、やっと心からの笑顔を見せてくれた。カセさんたちの作るお茶を飲んだらおいしかったこと、お茶の研究をしていることを話すと、目を輝かせて自身のお茶の話をしてくれた。香りがよく、すっきりとして後味もいいこのお茶は、きっと人気だろう。新茶の季節で暦など関係なくとても忙しそうだが、合間を縫って会いに来ては、アンナたちや私を気にかけてくれた。この人たちとの穏やかな日々が続けばいいのにと思っていた。思ってしまった。
 しかし、アンナたちと親しくなるということは、アンナたちも危険にさらすということだ。アンナたちのおかげで、まだ体は痛むものの、火傷も捻挫も喉もだいぶよくなった。事情をきちんと話してさっさと去ろう。茶碗の破片を片付けながら、アンナたちにどう説明するかを頭のなかで組み立て、声をかけた。

「アンナ、アンリちゃん」
「どうしたの?」
「お話があります。お時間いただけますか?」
「何よ改まって」
 そう言いながら、アンリちゃんを膝に乗せてアンナが側に座る。
「火事に遭ったのは本当ですが、実は人に追われてここまで逃げてきました」
「え?」
 アンナが顔色を変える。
「ごめんなさい、こんな大事なことを隠していて、アンナもアンリちゃんも危険にさらすような真似をして。最低ですね」
「追われてるって、どういうこと?」
「大学でお茶の研究をしていると言いましたが、本当はうれしの製薬という会社の研究所で研究をしていて、その研究を邪魔したい者、悪用したい者たちから追われています」
 アンナが頭を整理している間に、アンリちゃんが口を開く。
「しりゃにゃいおじちゃ、みた」
 衝撃の事実に、アンリちゃんに矢継ぎ早に問いただす。
「いつ? どこで? どんな見た目のおじさんだった?」
「えと」
 アンナが順番に聞いてくれる。
「アンリ、いつ見たの?」
「きにょう、おかしゃとかいもん」
「買い物に行ったときね」
「おうち、ちかく」
「うんうん、どんなお洋服着てた?」
「くりょ」
「黒ね」
 黒服の男性。彼らの特徴と一致する。もうこの近くまで探しに来ていたか。
「アンリちゃん、ありがとう。すみません、それで、私は今夜ここを出ます」
「え? そんな急に、まだ体だって」
「アンナたちのおかげでもう動けます。本当に助かりました。ありがとうございました。後日きちんとお礼をしたいので、振込先だけ教えてもらえませんか?」
「ユウリ」
「すみません、この後すぐ出ますので」
「待ってユウリ。まだ走れないでしょう、危険よ」
 アンナはかたくなに私が出て行くのを止めようとする。もう少し話をするしかない。
「アンナ。そうですね、少し話しましょうか。アンナを疑いたくありません。正直に話すと約束してもらえませんか?」
「わかった。それで、何を聞きたいの?」
 私は気になっていたことを尋ねる。
「アンナ、私と昔、会ったことはありませんか?」
「え? 覚えてない。本当に覚えてないよ」
「そうですか。日記に書いてあったんです。トランクを持ってきてもらえますか?」
「わかった」
 アンナが持ってきてくれたトランクから日記を取り出し、二年前のページをめくる。
「ほら、ここに、キツキアンナに会っていたと」
「本当だ」
「私、この後に記憶をなくしているみたいなんです。日記に書いてありました。だから、もしかして、アンナが私を知っているのに知らないふりをして、こっそり彼らと連絡をとっているんじゃないかって思ったんです。アンナやアンリちゃんのことで脅されて仕方なく、なんてことが頭をよぎって。ごめんなさい、こんなにお世話になったあなたを疑う真似をして。つくづく私は最低です。だから、出て行きます」
 俯く私の顔を覗き込んで、アンナが微笑む。
「顔を上げて。大変だったのね。記憶をなくすほどのことがあって、今回のことがあって。ユウリは本当に大変な思いをしてきた。疑心暗鬼になっても仕方ないよ。アンリに誓っていい。本当に覚えがないし、ユウリを売るようなことしないよ」
「アンナ、ごめんなさい」
 アンナが真面目な顔をして、真っ直ぐこちらを見る。
「ユウリ。信じなくていい。利用してもらってかまわない。まだ一緒にいてくれないかな?」
「どうして? 言ったでしょう、追われているって。万一アンナやアンリちゃんに何かあったら、私」
「じゃあ、カセさんやキリーにも話してくれる? 二人も残ってほしいと言ったら、残って。ユウリの言う通り、私たちだけじゃ、もしものとき、勝ち目はないから」

 カセさん、キリーさんに声をかけてもらい、アンナの部屋に来てもらった。カセさんは忙しいなか、一段落したからと、帰って早々来てくれた。私のお気に入りでもあり、この数日でみんなも気に入ってくれたお茶を淹れ、事情を説明する。二人は目を丸くして口を揃えて言う。
「うれしの製薬の研究所!?」
 アンナが唇の前に人差し指を立てる。
「しー。アンリが起きるわ。さっきお昼寝したばかりなの。二人とも知ってるの?」
「アンナは知らないのか」
 キリーさんは驚く素振りを見せた。
「うん」
「製薬事業、食品事業を担う、うれしの製薬って会社の研究所だよ。そういえば、どこかの研究所が火事に遭ったってニュースを見たような」
 カセさんが補足してくれる。
「その研究所、私たちはラボと呼んでいますが、ラボが火災に見舞われました。どう報じられているかわかりませんが、放火です」
「放火!?」
「はい。現場は見ていませんが、ラボ周辺で複数人の不審人物を目撃しています。現在、研究員が警察、消防から事情聴取を受けており、昨日までは大きな進展を見せていないと連絡を受けています」
 カセさん、キリーさんの二人はしばらく黙り込み、情報を整理しているようだった。アンナが口を開く。
「その火を付けた人たちを見ちゃったから、口封じのために追われてるってこと?」
「いえ、おそらくは私自身が狙いかと」
「あんたそこのえらい人なのか?」
「えらいというわけではありませんが、私は嬉野ユウリと申します」
「ウレシノってまさか」
「はい。うれしの製薬会社元社長、嬉野リオンの娘です」
「なんと」
「ほう」
「そうだったの?」
 三人が口々に言う。私は説明を続ける。
「はい。母のリオンは製薬部門の研究所所長と兼任で社長、父のユウジは食品部門の研究所所長でした。二十年前に二人とも亡くなり、今は右腕だった方が社長を務めています。育ての母である八女やめマリアは、もともとドラッグストアで管理栄養士として栄養相談に乗っていましたが、薄給なうえに休みも不規則で、子育てとの両立も難しく悩んでいたそうです。そんなときに生みの母が育ての母を引き抜いて、育ての母は現在食品部門の研究員として働いています。私も食品部門の研究員として、お茶の研究をしています」
「ひえ~。わけーのにすげーなあんた」
「いえ、私は恵まれています。だからこそ、この環境を生かして学び、楽しみながらも日夜励んできました。ただ、過去に四度、記憶をなくしています」
「四度も!?」
「日記と義母の話によれば。私をよく思わない者や利用したい者たちに狙われて、気がついたら記憶をなくしていました。それでも、そんな私を変わらず一研究員として尊重してくれる研究所の仲間たち、逃亡先の方々の支えのおかげで乗り越えてこられました。そして今回、アンナを始めとするみなさんに大変助けられました」
「俺たちゃ別にな」
「そうですね、アンナが助けたから、一緒に過ごしただけです」
 キリーさん、カセさんが謙遜する。
「いえ、アンナを支え、私を気遣ってくださったお二人にも感謝しています。そして、これからもアンナとアンリちゃんを、どうかよろしくお願いいたします」
「そりゃもちろん、言われなくても」
「私も同じだよ。でも、そんな別れ話みたいな」
「別れ話です。この後すぐここを去ります、その前にお礼を」
「違う!」
 アンナが遮る。
「ユウリは、ここも追っ手が気づいて追ってくるから、その前に出て行くと言ってるの。でも、私は匿いたい。私はこんな状態のユウリ一人を危険な場所に追い出すなんて、そんなことしたくないよ」
「アンナ」
「ユウリ。勝手に一人で進めないで。言ったよね、二人に話して、二人も残ってほしいと言ったら残ってって。私たちだけじゃもしものとき守れない。だから、カセさん、キリーにも協力してほしいの」
「アンナ」
 二人はまたしばらく考え込む。私は二人に冷静に判断してもらうよう説得する。
「カセさん、キリーさん。アンナに絆されず、一時の感情に流されずに真剣に考えてください。言いたくないことを言わせたくないので、無言のままならすぐ去ります。来たときの私を思い出していただければおわかりの通り、危険なんです。彼らは手段を選ばない。女性や子どもにも容赦しません。両親の死も、公にはなっていませんが、故意によるものです。事前に何かを察知した二人は、義母に私を預けて姿をくらましたそうです。そして、爆発事故が起きた。でも、あれは事故なんかじゃない! 薬品の取り扱いミスだなんて騒がれたようですが、直前に脅迫状が二人のもとに届いていたのを握りつぶした誰かがいるんです。遺書とは別に、私宛ての手紙を二十歳のときに義母からもらい、そこに書いてありました。『気をつけて。怖ければ研究はやめてもいい』ともありましたが、茨の道を覚悟で進んできましたし、これからも諦めるつもりは毛頭ありません。でも、関係のないみなさんを巻き込みたくはありません。決して無理はしないでください」
「ユウリ、私は無理してない。怖くないって言ったらうそになるけど、覚悟してるんだから」
 アンナが割って入るから、私も言い返す。
「他人を守ってアンナやアンリちゃんに何かあったらどうするのよ!」
「他人じゃないじゃない。私たち、会ってたんでしょう? 二年前に。ユウリも私も忘れてたのに、ユウリはたまたまここに逃げてきて、私はたまたま来たあなたを看護すると決めた。他人には思えない、つながりを感じるのよ」
 私は余計なことを話したことを悔やんだ。さっさと出て行くべきだったんだ。自分がアンナを勝手に疑ったままでいるのが嫌で、どこかで引き止めてほしいと思っていたのか。いや、どこまで勝手なんだ、私は。
「あんなこと、話すんじゃなかった……」
「私は話してくれてうれしかった」
 アンナは引こうとしない。もう強行突破で出て行こう。
「待てよ、アンナはユウリと会ってたのか? 二年前となると、まだ俺がここに来る前だな」
 キリーさんが驚いて尋ねる。
「私もユウリも覚えてはいないの。でも、ユウリの日記に書いてあった。二年前、まだアンリがおなかにいる頃、キツキアンナと会ったって。女の子だから、私の『アン』とユウリの『リ』をとって、『アンリ』にすると言ってたって。どう考えても私のことよ」
「じゃあなんで二人とも覚えてないんだ」
「ちょっといいかな」
 カセさんが声を上げる。
「はい」
「ユウリ、うちに来るかい? アンナやアンリちゃんが心配なら、うちに来ればいい」
「カセさん、二人だけでなく、カセさんも、キリーさんも同じです。私は」
「私はね、ちゃんと考えたよ。その上で言っているんだ。うちに来なさい」
 おっとりした口調で表情もにこやかなのに、威厳を感じさせる雰囲気を醸していた。
「あなたには、大切な従業員の方々がいるでしょう。何かあったら路頭に迷わせてしまいます」
「私はこれでもね、私に何かあっても困らないよう後進をしっかり育ててきたんだよ。経営のことも、栽培のことも。そろそろ引退を考え始めたところだ。先ほどの君の話や、前に話してくれた理想のことね、私はとっても嬉しかったんだよ。お茶農家や裕福でない者たちのことも真剣に考えて、よくしようとがんばっている若者がいることがね。そんな君を守りたいと名乗り出てはだめだろうか?」
「カセさん」
 私がカセさんに返事をしようとすると、キリーさんが口を挟む。
「何一人だけ良いとこどりしようってんだ。いざってときに俺みたいな男がいたほうがいいだろう。五ヶ瀬荘の住人みんなで守りゃいいんだ。ほら、カセさんのところの隣、空き部屋だろう。万一のとき、逃げるなら一階のほうがいいんじゃねーか?」
「キリーさんまで、どうして」
「理由なんかねーよ。困ってる奴を見過ごすような人間たちじゃねー、ここの連中は。あんたもここにいたらわかるだろう」
「でも」
「でもじゃない。ユウリ、約束よ。二人が残ってと言ったら残ってもらうって。もちろん、危険がなくなったら研究所に帰っていい。でも、そんな体のまま一人で出て行くなんて、許さない。私、わがままなの」
 アンナの言葉に頷く二人。もう、どうしてみんな……。そんなの。
「そんな優しいわがまま初めて聞きました」
「ここにいてくれるよね?」
 アンナの頑固さに私は根負けした。
「わかりました……。お言葉に甘えます」
 どうしてみんなそんなに笑顔なの。危険が迫っているというのに。
「ユウリ、まだ一人で生活は無茶よ。もう少しうちにいて。隣はキリーだし、大丈夫よ」
「おう、それもそうだな。そうと決まれば俺がちゃんと守ってやるから、安心してアンナのところにいろ」
「私も、何かあればすぐに知らせますよ」
「みなさん、本当に、本当にありがとうございます」
 こんなに甘えてばかりでいいのだろうか、という気持ちを拭いきれないものの、逃げきれるようになるまでもう少しだけ、泊まらせてもらうことにした。
「おかしゃ、ごはん」
 アンリちゃんが起きたので、みんなで作り置きのおかずを持ち寄って夕食をとった。

五月五日
 五ヶ瀬荘のみんなに素性を話した。驚きながらも、誰も私を怒らなかった。怒っていいのに。去ると告げたら匿わせてほしいと言われた。どうして? 危険なのに。
 アンナはやっぱりあのキツキアンナだ。正義感の強さも、出会ったときおなかに子を宿していたことも、アンリちゃんの名前のことも日記に書いている通りで、すべて辻褄つじつまが合う。
 アンナは嘘を吐いているように見えなかった。アンナも記憶を失っている? まさか、追っ手の仕業か。アンナもみんなも、危険にさらしたくない。それなのに、みんなの優しさに甘えたんだ……。弱くてごめんなさい。早く治して、ちゃんと送り出してもらうんだ。

 私は日記を書き終え、アンリちゃんは眠りにつき、他のみんなは語らっていた。そのとき、迫る足音に部屋全体が緊張に包まれた。アンナとカセさんは私を庇うようにし、キリーさんがドアに近づく。
 ピンポン。
 呼び鈴が鳴った。キリーさんが、ドアを開けずに叫ぶ。
「こんな夜遅くに誰だ」
 返ってきたのは、聞き覚えのない男性の声だった。
「私、カインと申します。こちらに嬉野ユウリがいますね。彼女を探して来た魔法使いです。隠しても無駄ですよ」

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