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「輪島塗」と「秀衡塗」#器も食の文化

はじめましての方も、いつもお立ち寄りいただいている方も、ようこそお越し下さいました。フードコーディネーターのNYです。地場産品のマーケッターを目指して日々奮闘中です!

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年明けの震災で被災した石川県のために自分が出来ることは何だろうとずっと考えていました。

私は地方の食文化に携わる人間。

出来ることは
「地方の食文化を伝えること」

石川県の食文化を調べ、岩手県の食文化と比べてみることで、どちらの良さも伝えられるし、読んでくれた人の知見も広がる。不定期ではありますが、こういった発信をして、被災地の力になることが出来れば良いなと思っています。

ということで今回の投稿は

石川県の「輪島塗」と岩手県の「秀衡塗」をご紹介したいと思います。

「なんで工芸品?」

と思われた方もいらっしゃると思いますが、どちらも器として使われている工芸品。器は食の一部です。そして、食と共に歴史と伝統を引き継いでいるものです。


それでは「輪島塗」の解説から始めます。

輪島塗(わじまぬり)は石川県輪島市で作られている漆器です。輪島塗の特徴は、輪島市でしか採れない輪島地の粉を使用していることにあります。
輪島で採れる地の粉は良質な土で、下地に使用することによって、より強度の高い漆器にすることが可能になりました。そして、見た目の美しさも輪島塗の魅力です。
輪島塗では、彫りを入れた部分に金を入れ込んだり、金粉と銀粉を用いた蒔絵という表現が良く知られています。金や銀を用いた見た目の優美さは人目を惹く魅力があります。寿命の長さにおいても、輪島塗は優れた漆器です。輪島塗は、100を超える工程を経ては初めて世に送り出されます。そのためより強固になっているだけでなく、壊れたとしても修復することができます。

KOGEI JAPANより

特徴は「地の粉」。漆器に土を使うという発想が独特です。土=陶芸品をイメージしますが、漆器の強度を高めるために土を塗るというのが、先人の知恵だと思いました。美しさの中に力強さを感じます。

漆陶舗あらき 輪島塗

そして「歴史」

輪島塗の起源については、室町時代に根来寺(ねごろじ)の僧が伝えたという説や、戦国時代に豊臣秀吉の兵火より逃れた根来寺の僧が伝えたという説など様々な説があり、現時点では定かでありません。ただし多くの言い伝えで共通している部分は、日用漆器として使用されていた根来塗(ねごぬり)が由来となっている点です。日用漆器が発展して、輪島塗となったという説も有力です。

現在の輪島塗に近い形態になったのは、江戸時代前期、寛永7年(1630年)ごろのことです。さらに、江戸時代の中期にあたる享保2年~元文4年(1716~1736年)頃にかけては、現在の工程とほとんど同様の工程になっていたと言われています。

現在では、優美で少し高級志向のある輪島塗ですが、昭和以前のイメージは現代とは異なりました。どちらかというと、冠婚葬祭で用いられる堅牢な実用品として用いられることが一般的だったからです。しかし、冠婚葬祭の形態の変化や昭和50年(1975年)の国の伝統工芸品指定から、現代では芸術的な意味合いも持つようになりました。

KOGEI JAPANより

諸説あるようですが400年以上の歴史があります。そしてポイントは実用的に使われていたということ。美術品としてではなく、家庭でも使用されていたことが地域の工芸品として根付いた理由だと思います。

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次に「秀衡塗」の解説

秀衡塗(ひでひらぬり)は、岩手県平泉町周辺で作られている漆器です。

秀衡塗の特徴は平泉周辺で採れた金箔などをあしらっており、漆器としては数少ない鮮やかな模様です。中でもよく描かれるのが平安時代を思わせる源氏雲(げんじぐも)や菱形を組み合わせた有職文様(ゆうそくもんよう)です。また、合わせて植物などの自然のものも描かれることがあります。蒔絵(まきえ)とはまた一味違った、豪快でありながらも繊細さも残る味のある雰囲気を楽しめます。

秀衡塗は、デザインだけでなく質感自体にも独特な特徴があり、光沢を抑えた漆本来の美しさを活かした仕上げが施されています。そのため不自然な艶ではなく、漆自体の艶が表面に現れ、素朴な美しさを生み出します。

このように鮮やかな色を持っていながらも、素朴な質感を残した漆器は、秀衡塗独特の味わいだと言えます。

KOGEI JAPANより

黄金文化があったと言われている岩手・平泉。金の装飾が印象的で繊細さがあります。

丸三漆器 秀衡塗


そして「歴史」

秀衡塗は、かつて、みちのくの王者としてその名を知らしめた平安時代の武将、藤原秀衡(ふじわらのひでひら)に深い馴染みがあります。時期は定かではありませんが、1122年(保安3年)ごろに生まれ、1187年(文治3年)に没した秀衡が、京の都より職人を呼び、平泉周辺で採れる豊富な漆と金を使って、漆器をつくるよう命令したと言われているからです。現在では発掘作業も進み、時代は定かではありませんが工房の跡も確認されています。いずれにしても、藤原秀衡の名前をとった「秀衡塗」は、藤原氏となんらかのゆかりがあるのではないかという説が有力です。
しかし、現在の秀衡塗へと確立していったのは16世紀頃のことです。残念ながら、秀衡時代の漆器の姿ではありませんが、現在でも職人ひとりひとりの手でつくられる昔ながらの作業工程は、歴史的にも価値のあるものとして認められ、1985年(昭和60年)には、国指定伝統的工芸品のひとつとして指定されました。

KOGEI JAPANより

残念ながら詳細な資料がなく、はっきりとした歴史は分かりません。こちらも400年以上の歴史があります。輪島塗と同じく実用的に使用されており、私の実家でも正月やお祝い事など特別な時に使われています。

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以上、「輪島塗」と「秀衡塗」をご紹介させていただきました。どちらも特徴のある漆器ですが、地域に根ざした伝統工芸品という点は共通しています。

伝統工芸は作る人だけが伝えていくものではなく、使っていくことも後世に残す大切な要素だと思いました。

今回、記事を書くにあたって「輪島塗」の現状を調べてみましたが、震災の影響でどの工房も生産を再開出来ていない状況のようです。

ただ、伝統工芸品は代々受け継がれてきたもの。今は厳しい状況だと思いますが、何年先になったとしても歴史と伝統を守ってほしい。そして、そのお手伝いが少しでも出来ればと思っています。

その気持ちを込めて輪島市のリンクとなら工藝館の取り組みのリンクを貼らせていただきます。

復興して変わっていくことが多いと思いますが、変わらないこともあってほしい。

輪島塗を含め
輪島市の再興を心より願っております。

それではまた次の記事でお会いしましょう。




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