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「ギューしてよ!」に込められた息子の思いが、また一つ私を親にした。

「ママ、ギューしてよ!」


最近の長男(4歳)の口癖である。

「ギューしてよ!」と言われると、
何をやっていようとも必ず手を止め、

「はいっ!喜んでぇっっっ!!!」

人気の居酒屋でビールを頼まれた店員のようになった私が、すぐさま長男へ〝ギュー〟を届ける為にダッシュする。
泡がへたらないうちに、ならぬ
息子の思いが消えないうちに。
キャッチコピーは、
最高のギューをあなたに。
人気店の秘訣は、待たせないこと。
これに尽きる。

長男をギュー!っと抱きしめると、
長男も小さな手で私をギュッと抱きしめてくれる。
なんとも幸せな時間だ。
『幸せ』と書いて『至福の時』と読む。
『幸せ』と書いて『子育ての醍醐味』と読む。
『幸せ』と書いて『なんでこの子、こんなに可愛いん?』と読む。
そんな気持ちでいつもギューをする。

長男は多い時には3分おきに数回、
私に〝ギュー〟を注文する。

ビールを水のように飲む人がいるが(私)
長男のギューもそんなペースで注文される。

でもどんな時でも、
出来立ての美味しさをあなたへ。
泡のへたらないうちにあなたへ。
最高のギューをあなたへ。
そんな信念でやっておりますんで、
私は3分おきだろうとなんだろうと、
長男の元へ元気な居酒屋の店員のごとくダッシュする。

長男が私に「ギューしてよ!」と言うようになったのは、
実は割と最近で
私が仕事に復帰してしばらくしてからだった。
確か4月の終わりか、5月になってからだと思う。

仕事に復帰してから
息子達との時間は格段に減った。

ついこの前の3月まで、
長男は朝は9時半に保育園へ行き、
16時にはお迎えという生活だった。

ところが今では、
朝の7時半には保育園。
お迎えは18時を過ぎてしまうのがほとんどで、
旦那と順番に迎えに行っているので、
私がお迎えに行かず、
仕事を終え、家に20時過ぎに帰ってから会う時だってある。

息子の「ギューしてよ!」は、
そんなスキンシップを取る時間の無さや
心の隙間を埋める為のものなのかな?と
勝手に思っていた。

〝寂しい…〟

〝ママはぼくのこと、ちゃんと好きかな?〟


そんな思いが、
もしかしたら4歳の息子の心の片隅にあって、
上手く言葉には表せなくて、
「ギューしてよ!」になっているのかもしれない。
だとしたら、
私はいつだってどこでだって
息子に全力でギューをする。


この前、ふいに思い立って、
なんとなく息子に理由を聞いてみた。

「最近、ギューしてってよく言うね。
どうしてギューして欲しいの?」

だって寂しいんだもん、とか
ママが好きなんだもん、とか
ギューすると嬉しくなるからさぁ、とか

そんなことを言うのかと思ったら


「だってギューすると、
ママ、頑張れるでしょ?」



ズキューーーーーーン!!!


撃ち抜かれた。
色々。

私はてっきり、
息子は自分の為に私にギューを求めていると思ったのに。

違ったのだ。
全然。

息子は私の為に、ギューを求めてくれていた。

それを知って、
居ても立っても居られず、

「そうだね。いつもありがとね!」

私は息子をギューと強く抱きしめた。


そうだ。

朝、保育園で別れる時、
息子は何度も何度も「ギューしてよ!」と言う。
時間ギリギリまでギューと抱きしめた私が
門に向かって走り出す背中に

「ママ、お仕事頑張れ!」

大きな声で呼びかける。

てっきり息子は私と離れるのが寂しくて、
別れ際にギューを求めるんだとばかり思ってたけど、
本当は、私が頑張れるようにギューしてくれていたんだ。
ずっと。

そして、息子のギューは
確かにいつだって私に
頑張る力を与えてくれていた。

いつもいつも守ってたはずの息子に
実は私の心は守られていた。
息子が私の心を、守ろうとしてくれていた。

ふと、息子を眺めて、
大きくなったなぁ、と思った。

きっと息子はこれから先も
こんな風に
どんどん大きくなっていくんだなぁ。



さっき初めて私から息子に、

「ねぇ!ギューしてよ!」と言ったら、

まるでいつもの私のように
すぐにダッシュしてきた息子が、
小さな身体で
ギューっと抱きしめてくれた。

「しょーがないなぁ!ギューしてやるよぉ!」

ニヤニヤした声が、
耳の横でする。

私がしてあげないと!とか、
守ってあげなきゃ!とか、
親なんだから!とか、
息子が産まれてからというもの、
そういう時間をずっと過ごしていたはずなのに。

実は、気付かない間に
息子は随分と大きくなっていたんだなぁ、なんて
今更思った。

3歳になっても、
保育園での朝のお別れは
毎朝泣きべそをかいていた息子。

その息子がずっと私の心の中にいて、
今は泣かずにお別れが出来ているのに、
本当は寂しいのかな?
本当は泣きたいのかな?
そんな風に思い込んで、
変わらずに居たのは私の方だった。

小さい小さいはずだった手は、
相変わらず小さいけれど、
前よりもかなり大きくなっていた。

嬉しくて、寂しい。


この嬉しくて寂しい思いを繰り返すのが、
多分、親なんだろうな。

でもせっかくだから、
息子が「キモッ!!!」と
ドン引いた顔で言うその日まで、

「ギューしてよ!」と

これからもたまには息子に言ってみよう。

勿論、その「ギューしてよ!」は
息子の寂しさを埋める為じゃなくて、
いつかの私の
〝子育てが幸せだったなぁ〟と思い出す
幸せな記憶の為に。

自己中なママでごめん。

でもね。
ビールは水のように飲む私だけど、
息子のギューは
大事に大事に抱きしめて
しっかり記憶に留めることにする。

息子がどんなに大きくなっても、
目の前にいる息子も
記憶の中の息子も
きっと愛おしく思う。

それが多分、親なんだろうな。

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