海外生活に溶け込むまでのアレコレ
北京、台北に続いて、ハノイで3月の頭から暮らしている。海外生活は3カ国目になった。今ベトナムでの暮らしに、スッと順応できてストレス爆発していないのは、台北暮らしのおかげだと思っている。
異国で暮らすこと。言葉では簡単に聞こえるけれど、日本とは違う場所の文化や風習を知り、それを尊重しながら、自分のアイデンティティを保つことは難しい。
海外で暮らすことが、偉いことだなんて、そんなことは全く思わない。でも良かったら、移住者がどんな壁にぶちあたり、もがいているのか知ってほしいなと思い、以下書いていくことにする。
最初の中国北京。このとき私はまだ大学生で、北京に住むだけで半年分の単位をほぼもらえるというという甘い条件につられ、留学を決めた。なので、ほとんど宿舎からは出ず、地元の文化を知ろうとか、英語が話せるアッパークラスの現地大学生以外と交流を持とう、なんて気は一切なかった。
大学時代の留学を経て10年後、今度は台湾台北に移住した。台北では北京時代とは違い、半ば永住する気で引っ越しをした。ローカルの文化に馴染んでみよう、という意識をちゃんと持って。
現地の言語学校で中国語を習い、家と学校以外の場所に積極的にでかけ、バイトを始めて、さらには正社員として企業に勤めるまでになった。文章にしてみると、シンプルなことに感じるなぁ。
でも、その過程で私は「たくさんの壁にぶち当たり、粉砕して、また暮らしを一から始める」を何度も何度も何度も、繰り返した。
異文化の中で暮らすことになった私に、ふりかかった最初の壁が「食」だった。台湾料理も最初は美味しいと食べていたけど、次第に独特の油っぽさと甘い味に飽きてくる。台湾では生野菜や魚を食べる習慣がないので、日本で暮らしていたときのように、フレッシュな栄養素が摂れなくなり、私は別人になってしまうのではないかと思ったこともある。
ここで必要な能力は、現地のローカル料理に順応していきつつも、息抜きができる日本料理店を探すこと。この点、台北は日本料理店がそこらにあるので、助かった。(ちなみに私の昼ごはんは毎日「すき家」だった。)
そして第2の関門「天候」。
住宅の作りが台湾と日本では大きく違う。台北は人口密度が東京よりも高いので、住宅街にはマンションが蜂の巣のように建ち並ぶ。日差しが気持ちよく入らないのがひとつ。そして…健康面での一番の敵かもしれない湿気が私の身体を襲った。
「湿疹」は字のごとく湿度が高い所で出やすい皮膚疾患だ。もともと肌は強くなかったが、汚れた空気と湿度のせいで、移住1年目はいつも痒かった。いつも肌荒れをしていた。ぐずぐずと曇っている天気に「晴れてよ!」と思わず叫んだことも…ある。
第3、最大の壁が「人間関係」である。台湾人と日本人の考え方は大きく違う。台湾は日本の統治を受けていたので、同じような考え方を持っているだろうと考える人が多い。しかし彼らの習慣や考え方は、日本よりは中国大陸に近い。
私も台湾で暮らし始めた頃、日本人と台湾人は大差ないと思いこんでいた。しかし次第に「んん? 話が噛み合わないぞ…」ということに気付くようになる。
パブリックな場所で「和」を重んじる日本文化に比べると、台湾では「個」を大事にする。プライベートでは「個」を大事にする日本と比べると、台湾では「和」を大事にする。
日本:公=和、私=個
台湾:公=個、私=和
プライベートな場での「人と人との距離感」がまったく違う。最初、台湾人がズカズカと私のプライベートな領域に踏み込んでくることに、イライラが止まらなかった。
「結婚してるの?」
「給料はいくらなの?」
「家賃はいくらなの?」
うるさーーーーい! ってその頃は思っていたけど、言いたいことがストレートに言えなかったTHE 日本人な私は「うふふふ」と笑うだけでその場をしのいでいた。
今では
「言いたくない」
「日本では、その質問をすると失礼なんだよ」
などとはっきり言えるようになったのだから、現地の言葉を覚えることは、かなり大事だなと思う。
また「人に迷惑をかけない」と幼稚園の時から、耳が痛くなるほど教育された私。
最初、
・台湾人が私に迷惑をかけまくる
・そしてそれを悪いとは思っていない
このシチュエーションに何度も出くわし、そのたびに「キーーーーーっ!」と沸騰していた。でも次第に、彼らは確かに私にいらぬ迷惑をかけてくると同時に、私が彼らに迷惑をかけても何とも思っていないと気がついた。
この「迷惑をかけるのは、お互い様」は暮らしを続けていくうちに、私の中に染み込んできた。今では、日本でも布教をしていきたいとまで、思っている。
日本の常識は世界の非常識。
そんな当たり前のことを、異国で生活が始まったばかりの頃、私はすっかり忘れてしまっていた。でも実際に色んなカルチャーショックにぶち当たるたびに、
イライラ→諦める→慣れる→納得→無意識に順応
の手順を踏んで、「異質なものたち」を消化していった。
ここまで書いて、言いたいことはただひとつ。
分かり合えないことは当たり前なんだから…と諦め半分で移住すること。イライラすることは必ずある。絶対、本当に、もうね…絶対。
でも、自分の暮らしを楽しくしていきたいな。という意識があればきっと大丈夫。イライラ期のあとに必ず、現地の習慣を受け止められるときが来る。
ということ。
とまぁ、台湾に移住したときのことを思い出して、書いてみた。
海外3カ国目のベトナムでは、イライラがまるっきりない。イライラフェーズをすっ飛ばして諦めから入れる。これはきっと台湾での経験値が生きている証拠だと思う。まぁ、これからどんな壁が待ち受けているのか、分からないけれど。
期待は自分に対してだけしよう。環境に対してはできるだけ寛容に、ハプニングはつきものと予測をして…。
海外生活だけではなく、春から自分の「居場所」が変わるすべての人に届きますように。
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