当たり前は当たり前ではない
皆さんは「当たり前」や「当然」、「常識」という言葉をよく使っているだろうか?
私は、偶に使ってしまう時がある。
しかし、このような言葉をあまり使いたくはない。
なぜ使いたくないかというと、「当たり前」や「当然」、「常識」といった言葉は、その人の固定観念を押しつけている印象を与えてしまうからだ。
常識というのは、その人が生きてきた中での範囲に限られる。
例えば、その人が北海道でずっと生活していたなら、沖縄での生活は非常識になる。
昔の偉人が、「常識とは20歳までに集めた偏見のコレクション」と言っていた。
私は、この言葉が大好きだ。
つまり、常識や当たり前というのは、人それぞれなのである。
その人の生い立ちまで知らない限り、当たり前かどうかなんて分からないだろう。
しかし、常識は押しつけない方が良いが、押しつけなければいけないものがある。
それはモラルだ。
モラルというのは、共通認識でなければならない。
「人を傷つけてはいけない」、「物を盗んではいけない」といったことは、モラルの一例だ。
今の時代、多様性が大事で無理に空気を読む必要は無いが、モラルに欠けた行為は厳禁だ。
人の写真を悪口と一緒に投稿したり、迷惑YouTuberの行為などもそうだろう。
そこの棲み分けは大事であると思う。
ここまで、色々と述べてきたが、あくまで私の考えである。
私は違うと思う人もいるだろう。
私の考えを押しつけるのも「当たり前」や「当然」と同じことなので、気を付けなければいけないと思う。
いずれにせよ、私は知らないということに対して、寛容でありたいと思っている。
人間、最初は何も知らないはずなのに、色々知ってくるとその状態が当然だと思い込み、知らない人を非常識と思ったり、見下したりしてしまう。
自分が何も知らなかった時のことを忘れてしまうのだ。
また、心ではそう思っていても、言動では見下してしまうこともある。
こういうことを考えながら生きるのは息苦しいかもしれないが、そのような言動を受ける人たちもまた息苦しいと思う。
互いが互いを思いやる精神が大事だろう。
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