見出し画像

_文学コミカライジング!!_まんが_夏目漱石「こころ」第二十五話

→第二十四話

 ※画像をタップすると右にスクロールできます。

←第二十六話


上 先生と私

二十五

その年の六月に卒業するはずの私は、ぜひともこの論文を成規通り四月いっぱいに書き上げてしまわなければならなかった。二、三、四と指を折って余る時日を勘定して見た時、私は少し自分の度胸を疑った。他のものはよほど前から材料を蒐めたり、ノートを溜めたりして、余所目にも忙しそうに見えるのに、私だけはまだ何にも手を着けずにいた。私にはただ年が改まったら大いにやろうという決心だけがあった。私はその決心でやり出した。そうして忽ち動けなくなった。今まで大きな問題を空に描えがいて、骨組みだけはほぼでき上っているくらいに考えていた私は、頭を抑えて悩み始めた。私はそれから論文の問題を小さくした。そうして練り上げた思想を系統的に纏める手数を省くために、ただ書物の中にある材料を並べて、それに相当な結論をちょっと付け加える事にした。
 私の選択した問題は先生の専門と縁故の近いものであった。私がかつてその選択について先生の意見を尋ねた時、先生は好いでしょうといった。狼狽した気味の私は、早速さっそく先生の所へ出掛けて、私の読まなければならない参考書を聞いた。先生は自分の知っている限りの知識を、快く私に与えてくれた上に、必要の書物を、二、三冊貸そうといった。しかし先生はこの点について毫も私を指導する任に当ろうとしなかった。
「近頃はあんまり書物を読まないから、新しい事は知りませんよ。学校の先生に聞いた方が好いでしょう」
 先生は一時非常の読書家であったが、その後どういう訳か、前ほどこの方面に興味が働かなくなったようだと、かつて奥さんから聞いた事があるのを、私はその時ふと思い出した。私は論文をよそにして、そぞろに口を開いた。
「先生はなぜ元のように書物に興味をもち得ないんですか」
「なぜという訳もありませんが。……つまりいくら本を読んでもそれほどえらくならないと思うせいでしょう。それから……」
「それから、まだあるんですか」
「まだあるというほどの理由でもないが、以前はね、人の前へ出たり、人に聞かれたりして知らないと恥のようにきまりが悪かったものだが、近頃は知らないという事が、それほどの恥でないように見え出したものだから、つい無理にも本を読んでみようという元気が出なくなったのでしょう。まあ早くいえば老い込んだのです」
 先生の言葉はむしろ平静であった。世間に背中を向けた人の苦味を帯びていなかっただけに、私にはそれほどの手応えもなかった。私は先生を老い込んだとも思わない代りに、偉いとも感心せずに帰った。
 それからの私はほとんど論文に祟られた精神病者のように眼を赤くして苦しんだ。私は一年前に卒業した友達について、色々様子を聞いてみたりした。そのうちの一人は締切の日に車で事務所へ馳けつけて漸く間に合わせたといった。他の一人は五時を十五分ほど後らして持って行ったため、危く跳ね付けられようとしたところを、主任教授の好意でやっと受理してもらったといった。私は不安を感ずると共に度胸を据すえた。毎日机の前で精根のつづく限り働いた。でなければ、薄暗い書庫にはいって、高い本棚のあちらこちらを見廻した。私の眼は好事家が骨董でも掘り出す時のように背表紙の金文字をあさった。
 梅が咲くにつけて寒い風は段々向を南へ更えて行った。それが一仕切経つと、桜の噂がちらほら私の耳に聞こえ出した。それでも私は馬車馬のように正面ばかり見て、論文に鞭うたれた。私はついに四月の下旬が来て、やっと予定通りのものを書き上げるまで、先生の敷居を跨がなかった。
 

≪あとがき≫
どうも!横井です‼
先日「こころ」の二十四話目を「#マンガ 記事まとめ」と

「創作マンガ 記事まとめ」に

取り上げていただきました。
おかげでたくさんの方に読んでいただけて、スキもたくさんつけていただきました。
やはり多くの方に読んでもらえるのはうれしいですね!
これからも地道に続けていこうと思います。
それではまた❕❕

フォローやスキボタンを押していただけると、大変うれしく、モチベーションにもなりますので、よろしければお願いいたします!

ここから先は

0字
このマガジンを購読すると、「こころ」を毎週読むことができます。 記事単体を購入するよりお得です!

超有名だけど、読んだことはない。そんな方多いと思います。このマガジンでは、なるべくはしょることなく、そのままの夏目漱石「こころ」をマンガで…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?