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心を揺さぶられたい?

感動とは、なんでしょうか?

自分でするもの?
それとも、させられるもの?

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「感動させられた」と受身で使うことは問題ないけど、
「誰か私を感動させて」といった「白馬の王子様症候群」の人が増えているのでは、という話。

以下、内容要約&感想です。

れっつ、揺さぶり!?(なんだそれ)

✅「心を揺さぶられる」とは?

「感動する」と同じ意味で使われるが、最初から他動詞の受身。
でも、実際に心を揺さぶっているのは自分。
自分の頭脳が、自分で考えて、自分で感動している。
「心」は実在しないが、それがあると見せているのも頭脳。

✅「感動させてやろう」という姿勢が見えるものが増えている?

多くの人はそれに身を任せるようになり、鈍感になっている。
わかりやすいもの、お決まりの記号的な刺激でしか感動できない。
ピストルの音と同時にスタートできるような反射神経で感動しているようなもの。

✅「感動」とは?

感動というのは、春の野を歩き、今朝出たばかりの小さな芽を見つけて膝を折る、そんな優しく湧き上がるような発見ではないだろうか。

書籍より引用

気づく人もいるし、見逃してしまう人もいる。

でも、種を蒔いておく。

創作とは、そんなふうに種を蒔く行為だと思う。

書籍より引用

仕掛けはするけれど、人の心を揺さぶろうなんて考えたら、それは見当違い。

だって相手はロボットではなく、人間なのだから…という話でした。

感想

「優しく湧き上がるような発見」が感動ではないか?
この言葉に、ハッとしました。

わかりやすいもの…
お決まりの記号的な刺激…

みなさんは、どんなものを思い浮かべますか?

私が思い浮かんだものは、テーマパーク。

当然プロが世界観を作り込んでいるから、「楽しませてもらえる」ことが確定している。

お金と引き換えに「揺さぶられたい」「感動させてもらいたい」欲を満たしているのかも?と思いました。

もちろん、テーマパークの良し悪しの話ではありません。

ただ、分かりきっている感動体験よりも、思いもよらないところで新芽を発見するような、じわじわと湧き上がる感動…。

そんな小さなことに気がつけるような、敏感さを持ち合わせていたいなあ…と、思ったのでした。

ではまた!

<あとがき>
食事も似ているかも…と思いました。
砂糖がたくさん入っているスイーツ、もちろん美味しいことが確定している。砂糖というピストルを打てば、当然甘みを感じ、一時的に幸せになれます。
でも、初めて自分で(正確にはホットクックで)さつまいもを蒸して食べた時の絶妙な甘み…。
これに湧き上がる感動を覚えたこと、今でも覚えています。
うん、味覚にも敏感でありたいなあ。
今日もありがとうございました。


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