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そのnoteは、誰が書いたのか。

これを読んでくれている方は
おそらく、一度はnote記事を書いたことがある人が多いのではないだろうか?

毎日書いてるかもしれないし
1ヶ月前かもしれない。
または今書いてたよ、って人もいるかも。

でね、
そのnoteって誰が書いたの?

って聞かれたら、なんて答えますか?

そう、
あなたのnoteにすでに投稿されている、
または、もうすぐ投稿しようとしている、その記事。

「そりゃ私のnoteなんだから、書いたのは私だよ」

おそらくそう答える方が多いと思う。
そして、私もそうだと思ってた。

でもね、この本読んでいたら
それって嘘かもな〜と気がついたんです。

タイトル通り、嘘にまつわる話が載ってる本。

著者の浅生鴨さん、テレビ番組やCMの企画などをやっていたらしい。

で、とある広告制作の現場で紹介された人が
「実はあのCM、私がつくったんですよ」
と教えてくれたという。

ただ、著者曰くCMを含めものづくりの仕事は、決して一人でやるものではない。
だから、その発言に違和感があったという。

なぜなら、根っ子になる企画は本人のものだとしても、
必ず誰かから意見をもらったりしてるはず。

その企画自体も、そもそも周りの人との雑談などがヒントになって、そこから生まれているケースが多い。
だから、せいぜい「私も関わった」「その役割を担当した」くらいの言い方がベターであって、
「私がつくりました」は嘘ではないのか?
というような話。



これ、すごく納得してしまって。

毎日note書いてるけど、noteって一人で書くものだとずっと思ってた。

でもさ、たとえば今書いている記事だって
本の内容が、私の頭の中にあるものと混ざりあったものがベースになっている。

ということはさ、
少なくとも私一人で書いているわけではない。

少なくとも、この場合は本の内容と私の
合作?
共同作業?
コラボレーション?
そんな感じである。

だから、
「この記事、私が書きました(キリッ)」
なんてのは、嘘なのかもと。
嘘じゃないにせよ、なんだか盛ってる気がする。

だってさ、本じゃなくても

・たまたまカフェで見かけた人
・家族の発言
・社内の人の不可解な行動
・noteで読んだ記事 などなど

に影響されて記事を書く場合も多い。
だから、一人で記事を完成させるなんてことは、ほぼありえない。
そう、ありえないんだよ。

そう考えるとさ、
何を書こうか考えてる時間も
カタカタと記事を書いてる時間も
そこには、色んな人や出来事や本やモノが関わってくれている。

ということはですよ。
所詮このnoteは、私は記事の編集を担当してるだけで、素材は周りから頂戴しているという話。


なので、私一人ではこのnoteは書けない。
投稿してみなさんに読んでもらえるのは、関わってくれた人や出来事などがあるから。


関わってくれる人も
そうでない人も
いつもありがとうございます。

〈あとがき〉
この本、まだ途中までしか読んでないのですが、面白いです。私たちは日常的に嘘をついてるんだな、と気が付かされる一冊。
今日もありがとうございました。


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