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言語能力のレベルによって、コミュニティは分断される?

まだ読み始めたばかりなんですが…
すごく気になることが書いてあったので、チラッと紹介。

子どもの国語力について書かれてる本なんですが…
そこに書かれていた、学校の教員の方(おそらく中学校)の言葉にハッとしました。

教室内でつくられるグループは不思議と子供が持つ国語力によって決まることも多いという。
言葉を持っていない子供たちは同じような者同士で集まって粗雑な言葉でやりとりする傾向が強く、一方で言葉を持っている子供たちは豊富な語彙をつみ重ねて複雑なコミュニケーションを取ることができる。

「誰が国語力を殺すのか」より引用

!!!
本当そうかもなと。

学校内で形成されるグループって、なんとなく

・気が合う人
・性格が合う人
・気質が合う人(たとえば内向的・外交的とか)

こんな要素で分かれてるのかなーと思っていたんです。
でも、言語能力によって分かれていたと言われると…確かにそうかも。

そういえば、勝間さんもサポートメールで同じことを言ってました。

たとえば誰かと旅行や食事に行く際、自分が快適なテンポで言葉が通じない人とは疎遠になるけど、お互いにテンポよく言葉で分かり合える人は親密になっていく、と。



みなさんの、仲がよい人を思い浮かべてみてください。

また会いたいなーと思う人って、言語能力が同じくらいかもしれない。

逆に、なんだかあまり話が合わないな、わざわざ会いたくないなと思う人を思い浮かべてみる。

その人は、もしかしたら自分と言語能力に差があるのかもしれない。
相手がレベルが高すぎるのかもしれないし、その逆もあるかも。



たとえば今日、仕事で私に電話をしてきた人。

正直、何を言いたいのか要領を得ない。

察してほしいのだろうけど、分からない。
結果、こちらが質問をいくつか投げかけると、話が見えてきたのですが…。

給料もらっている時間だから別にいいんですが、プライベートで仲良くしたいか?と言われると話は別かなと。
もしかしたら、相手も私のことを同じように思っている可能性もありますが…。

なんだろう、前に何かの本で読んだんですが
「コミュニケーションコストが高い」
というのかな?

自分が「質問を投げかける」というコストをかけて話をしないといけない=コミュニケーションコストが高い、という話だったかと。

逆に同じくらいの言語能力であれば、コストをかけなくても、同じテンポで負担なく会話できる。
だからもっと話したいと思う。
これって、当然といえば当然なのかなと。

******

だから何やねんって話なんですが。

せっかく人間に生まれたのだから(大げさ?)
言葉を持たず粗雑なやりとりをするよりも、語彙をつみ重ねて楽しくコミュニケーションを取れる方がいいよなあと。

そしてこのnoteでも、楽しくコミュニケーションを取れるように、言語力を高めていきたいなあ。

そんなことを感じたのでした。

<あとがき>
あ、kindleUnlimited対象本です。
会員の方もそうでない方もぜひぜひ。
私もこれから続き読みまーす。
今日もありがとうございました。



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