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安全性を求めると、創造性が死ぬ?

千葉敦子さん「ニューヨークの24時間」

以前読んだ
「日本人はやめる練習が足りてない」

の書籍内で紹介されていたので、気になって読んでみた。

「ニューヨークの24時間」
確認すると、初版は1986年。
ということは、約40年ほど前。

フリージャーナリストをしている千葉敦子さん(という方)が書いた、時間の使い方の本なのだけど…

これ、とても40年前に書かれたとは思えない内容。
全然古くない。

というか、今になってやっと、40年前のこの方がやっていた仕事術(時間の使い方)がポピュラーになってきたのかも?というレベル。
つまるところ、すごい。

で、
安全性を求めると、創造性が死ぬ?
って何だよ、って話。

本の中で、マイク・マグレディー(という方)の言葉が引用されていて。

安全性を求めることは、えてして創造性の死になるので、僕はずっとまえから、安全性なしに生き延びることに決めていた

「ニューヨークの24時間」p18より引用

たとえば
ライターは、書くことが好きな人だけがなるべき。
書くのが好きで書きたいことがあるなら、収入が不安定などの理由で、他の職業に就くべきではない、と。

いや、これすごいなと。

「安定した収入だから」
などどいう理由で好きでもない仕事をすることは、人生のムダ。
「人生=維持するだけ」
というつまらない義務の繰り返しになる、と。

本当そうだよなぁ。
うーん。
思い当たる節があるような?

ちなみに千葉敦子さんは4回転職をし、1回留学。
その結果、
「書く」という仕事は時間とエネルギーを要するし収入は低いけど、
「自分が生きる時間を有効に過ごす手段」と気づけたとのこと。

今だと転職って割と当たり前だけど
約40年前に4回転職って、すごいなぁと。




安全性を求めると、創造性が死ぬ。

これって仕事に限らず、すべてのことに言えるのかなあと。

このnoteだって、安全性を求めたら
めちゃ無難な、当たり障りのない文章を書いたらいいのかなと。

具体的に言うと
「誰も傷つけない」
「ネガティブ要素が一切ない」
みたいな感じ?

ただ、もし私がこの安全性を求めて書いたら
「私」が書く理由はないなと。

私は、ネガティブ感情や違和感がnoteの原動力になるタイプなので、
それを排除しろと言われたら、それは創造性が死んだも同然。

って
あれ?ちょっと話ズレた?



まぁなんだ。
安全ばかり求めていても、何も生まれないよ、ってことなんだろうね。

現状維持は、ゆるやかな後退。
リスクを取らないことが、リスク。

このあたりと、意味合いは同じなのかな。


そうだよねぇ…。
そうだよなぁ…。

〈あとがき〉
実は序章と終章しか読めてないんですが、色々と考えさせられる本です。
今日もありがとうございました。









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