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私の武装解除日記②本が読めなくなってしまった私


先日から始めた武装解除日記。
①はこちら。

先日、この武装解除日記を取りまとめてくれるかけちゃんと、オンラインで話す機会があった。不定期ながら開催される、「ザ・メンタルモデルワークブック」に取り組む会でご一緒だったのだ。メンタルモデルの4類型の話をしていた時に、ふと気づいたことがあった。

それは最近の私は、「本が読めなくなっている」ということだ。
正しくは「本を読む気力を失っている」と言ってもいいかもしれない。

そして、もれなく本を読めなくなった自分を責めまくっていたが、「そんな自分でいいんだ」と思えたので、考察かたがた書き記しておきたい。

読書で武装していた私

4-5年前はとにかく自己啓発系の書籍を片っ端から読み漁っていた。職場の近くに書店があったので、なにはなくとも週3回は立ち寄っていたほど。たくさんの本が読みたいがために、速読の講座に通い、ファシリテーターにもなったほどだ。とにかくピンときたらAmazonでポチッとしていて、たくさん本を読みまくっていた。本から知識を取り込み、行動につなげることこそ、私の生命線でもあった。

加えて、買った本を読もうととしても、また次の本をAmazonでポチるから、時期を逸してしまい、積み残しの書籍が増える一方だった。結局、読まずに手放した本は数知れぬ、という残念な結果になることが、幾度となく繰り返された。

そのころの私は、大学に勤める傍ら、ある手帳の使い方を教える講師をしていた。トップ講師になるには、選んでもらってなんぼ。そのためにもたくさんの知識や情報を得て、すごい私にならなければならないー。そんな信念から、半ば勝手に突き動かされていたが、振り返ると「本を読まなければ、世の中から置き去りにされる」、つまり「ありのままの自分では受け入れてもらえない」という痛みを回避するために、自動的に駆り立てられて行動していたのだ。

つまり、読書で知識を得ることで、武装を強めていた。しかも無意識に。恐ろしすぎる。

読書への気力と必要性を失う

そんな私が、2022年現在は本をほとんど読まなくなってしまった。フリーランスとしてふんどしを締め直し、キャリアコンサルタントの仕事に戻って2年目。小さいながらも任される仕事が増えてきた影響があるとはいえ、それ以上に大きいのは、読む気力が失せ、読書の必要性すら感じなくなってしまった自分の心境の変化の方だ。

購入する書籍数も激減した。メンタルモデルを学び始めた2020年は、まだ相当数の書籍を購入して読んでいた。しかし、2021年は図書館を利用したほか、「ジャケ買い」もやめて購入する書籍数を絞るようになり、2022年に入るとさらに厳選。本当にピンとくる本しか買わず、発売から1年以上経過した書籍は、できる限り一度は図書館で借りるようにした。もちろん、100人待ちなどの場合はこの限りではないが。

ちなみに上半期で購入したお気に入りはこちら。

実際にAmazonで購入した履歴を見ると、2020年は60冊近くを購入しているが、2021年は36冊、今年は16冊にとどまっている。

「本当に読みたい本」を買ったのに、読了に至らないこともある。最近、かけちゃんが出版した書籍も購入したが、いまだ半分ほどしか読めていない…すまぬ、かけちゃん。

一方で、以前に購入した書籍の「積読群」からピンときて読了した書籍もある。モーニングノートのくだりで紹介した、「ずっとやりたかったことをやりなさい」は、Amazonの履歴によると2018年7月に購入。それから約4年近く経った2022年5月にようやく読んでいる。こちらの書籍は今年に入り、大好きなブロガー・竹久友理子さんが「モーニングページ」で紹介していたが、その時に食指は全く動かなかった。それを考えると、「本を読むタイミングは人それぞれ」と思わざるを得ない。

改めて振り返ると、どうやらメンタルモデルの武装解除と本が読めないこと、読みたくなくなることに関連性がありそうだと感じた。私の場合は、「怖れ」から読書という行動につながっていたが、それが変化したから「本を読まなくてもいいし、読めなくてもいい」になったともいえる。

その行動は「怖れ」? それとも「愛」?

例えば、かつて私が大量の本を読んでいたのは、「社会から置き去りにされる」という怖れがあったからだった。そのままの私でいてはだめだ。だから知識を取り込まねばならないと思って読んでいた。それによって私自身は能力を上げていった一方で、自分自身が生き残るには読書をせねば、と自動的に駆動していたように感じる。

それが武装解除が進むと、行動の起点が「怖れ」からなのか、「自己愛」からなのかが、なんとなくわかるようになる。「怖れ」と「自己愛」の違いの説明が「ザ・メンタルモデルワークブック」にあったので、抜粋しておく。

自己愛は自分の内側で大切にしていること、求めていることに自覚的になってそれを満たす表現として行動しているという起点で、一方、怖れは「べき」や「ねば」、やらないとまずいという強迫観念や正当化で行動しているという起点になります。

ザ・メンタルモデルワークブックより

私自身はだいたい、焦って何かしようとする時は、「怖れ」からの行動が増える。「面白そうだ」と思って手に取るお金関係の書籍がそれに当たり、い積読に回るケースが多い。ただ、手に取った時の状況を思い出すと、「うまく行っていないと感じる状況を何とかしよう、しなければと手に取ったんだな」というのが分かる。だから、たとえ読めない本があったとしても、罪悪感はあまり生まれない。

もちろん、読書への気力が失せた自分を責めたこともあった。けれど時間が経つにつれて、本が読みたくない自分がいるんだ、と受け入れるだけでいいんだと思えるようになった。今、自分が大切にしているのは、読書ではなく、日々の生活。ただ、それだけなのだ。

書籍は人に知識と知恵を与えてくれる。しかしなんでもそうだが、取りすぎはよくない。もし必要以上に本を読まねばならないと思っている場合は、生存本能に巻き取られている可能性が高いといえる。

そして次回こそは本編に突入したいと思っているが、突入できないのは抵抗の証なのかもしれない笑

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