私の人生は銀河鉄道のようなものだ、という話
ようこそ、いらっしゃいませ。
道楽夜怪のnoteでございます。
今回は、私の人生観について書いてみようと思います。
私の人生は、例えるならば「銀河鉄道」だ
注意書き
「銀河鉄道」という表現を使っておきながら、私はあの名作「銀河鉄道の夜」を読んでおりません。
ですが、私の人生を例えるならば、宇宙を走行する機関車としか表現できないので、この表現を使用致します。
何故自分の人生を銀河鉄道だと思うのか
まず、私は根っからの性分で「なにかをやりたいと思ったら全力でその道を突き進む」という特性があります。
その特性ゆえに、私は自分のことを「機関車」と比喩しているのです。
では、何故それが銀河鉄道なのか。
理由はいくつかあります。
レール(決まった道)が無いから
基本常に前が見えない程の真っ暗闇だから
星くず(いわゆる壁)に衝突するから
分岐点はあれど、直進しかできないから
目的地が定まってないから
以上の4つです。
それぞれ解説していきます。
レールが無いから
よく「親の敷いたレールの上を走る人生なんて」という比喩表現があります。
ありがたいことに、私の親は私に対して「あなたの人生はあなたのものだから、自由に生きなさい」と言ってくれました。
その結果、私は無我夢中でとにかく行きたい方向へ向かって突き進んだ結果、いつの間にか宇宙にいました。
基本常に前が見えない程の真っ暗闇だから
この項目は、私の病気も関係しています。
私は双極性障害(そうきょくせいしょうがい)、いわゆる「躁鬱病」(そううつびょう)という精神疾患があります。
少しこの病気の解説を挟みます。
この病気は、症状自体はいわゆる「うつ病」と似た部分が多いのですが、躁鬱病には躁(そう)と呼ばれる状態があります。
躁の時はとても気分が上がり、「自分はなんでもできる」みたいな万能感があったりします。
そこから急に鬱状態になり、また急に躁状態になったりするのです。
情緒が不安定で、気分の落差が激しくてしんどい病気です。
さて、話を戻しましょう。
うつ病の症状が出ている時は、本当に人生が真っ暗闇に見えるのです。
一寸先は闇の状態で、ぶつかるまで前に何があるかがわからない。
その真っ暗闇を例えるのに丁度いいのが、「宇宙」なのです。
ちなみに、躁状態の時は恒星(太陽のような光る星)の近くを通っているような感覚です。
己が焦げるように熱く、明るすぎて前どころか何も見えない。
早く通り過ぎようと速度を上げると、いつの間にか変な場所にいる。
躁状態の時は変な焦燥感があるんですよ。
焦燥感に駆られて速度を上げたら、周りからは「暴走している」と言われます。
星くず(いわゆる壁)に衝突するから
真っ暗闇の中、よく何かに衝突します。
宇宙には、無数の星くずが浮いているのです。
他の人がよく言う「壁にぶつかる」というやつです。
他の人は乗り越えるだの、回り道をするだのと言いますが、私は機関車なのでそんな器用なことは出来ないのです。
大体の場合は加速して破壊しますが、出来なかった場合は、こっちが弾かれて進行方向が勝手に変わります。
分岐点はあれど、直進しかできないから
もう一度言いますが、私はレール無しの機関車です。
ですので、直進しか出来ないのです。
そんな私が進行方向を変えるとすれば、先ほど例に挙げた巨大な星(壁)に当たって弾かれるか、たまにある「分岐点」でどっちに行くか決めるしかありません。
分岐点は、勝手にその辺にできるものではありません。
人に作ってもらう以外には生まれないのです。
直進か、左右どちらかに行くか。
私を心配してくださる人が、たまに「こういう道もあるよ」と分岐点を作ってくれるのです。
ですが、分岐点を作ってくれても、どっちに行くか決めるのは私です。
そして、その決断の責任を取るのも、もちろん私です。
目的地が定まってないから
私は「人生の目的地はどこですか?」なんて難しい問いに答えられる程、人生経験豊富ではありません。
ですが、強いて言うなら私は『安息の地』を目指して突き進んでいます。
停車して、ホッと一息つける駅。
悲しいことに、私は実家も自宅もネットすらも『安息の地』だと思えてはいません。
『安息の地』なんてあるかどうかもわからない場所の為に、私は無理をしてでも走り続けます。
締めの挨拶
ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。
この記事を書いたキッカケは、今日の夢で「お前は迷子になっても立ち止まらないのか?」というようなことを聞かれたからです。
答えはもちろん、立ち止まりません。
その理由は、この記事をちゃんと読んだ方ならわかるはずです。
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