寺山修司のトラウマ
寺山修司の短歌はほぼ全部読んだが、俳句は『花粉航海』に収められたものを流し読みしただけだ。その他の作品やエッセイに至っては、ところどころ拾い読みしたにすぎない。演劇は一つも見たことがない。映画は昔『上海異人娼館』(1981)を見て辟易した記憶がある。数年前に、唯一の長編小説を映画化した『あゝ、荒野』(2017)を見たが(菅田将暉が出るやつ)、最後の場面があまりに凄惨でショックを受けた。
ということで、短歌以外のことはほとんど知らないに等しい。ただ、歌を理解するために伝記を何冊か読んだ。歌と読み合わせると、少年期から思春期に至る寺山修司の心の傷のようなものが少し見えてきたような気がする。
以下、それを素描してみる。(すごく長いです!)
■第一の傷:母と米軍将校たち
◆母子の「王国」
1945年、寺山修司9歳のとき。青森大空襲で焼け出された寺山母子は、出征中の父の兄が三沢で営む寺山食堂の二階に間借りして暮らすようになる。母親のはつは、三沢の米軍基地で働くようになる。
翌年、寺山母子は寺山食堂を出て、米軍払下げの家に移る。スモールハウスと呼ばれる4坪の小さな家だ。寺山は母親と二人だけで暮らしたこの家を、短歌では「王国」と呼んでいるように思う。
夕暮れ時、猫が静かに家を出ていく。「われ」はそれを見て、「王国の猫が抜け出すたそがれや」という句を詠んでみる。粗末な家を「王国」と呼ぶことで、猫がただ家を出ていくという何でもない出来事が面白味を帯びる。お猫様が王国を抜け出されるのだ、という大仰な感じが生まれる。
こんなふうに「王国の猫が抜け出すたそがれや」と言葉にしてみることで、単調な日常が一気に物語となる。それはそれは「書かれざれしかば生まれざるもの」だ。「われ」はその不思議さを思っている。
俳句にも「王国」という語を使ったものがある。
のんびりとした土曜日、「われ」は蜂に刺されて痛い思いをしている。ここでも、小さな家を「王国」と呼ぶことで、そこで起きた「われが蜂に刺される」というあまりに日常的で些細な出来事との間に落差が生まれ、ユーモアとなる。
◆母を訪れる米軍将校たち
母と二人だけの生活は、穏やかな安らぎを与えてくれるものだったが、また別の暗い側面もあった。米軍の将校が昼日中に母を訪ねてくるのである。
寺山自身、エッセイ集『黄金時代』(皮肉な題!)の「螢火抄」で次のように書いている。学校裏の草むらでつかまえた螢を見せるために、母親の寝室に向かったときのことだ。
外に出ているように言われることもあった。「綱雄」というのは、寺山の子供のときの友達。
◆少年の悲しみ――短歌
寺山は短歌で自身の苦しみを吐露している。
庭の枇杷の木の陰から、母親がアメリカの軍人とキスするようすを見ている。「枇杷の樹皮むきつつ」に少年の気持ちが示されている。
寺山は、自身が編集した『寺山修司全歌集』にはこの歌を入れなかった。母を傷つけることを怖れたか、あるいはあまりにもあからさまに作者の心情を表現しているからか。
◆少年の悲しみ――「森での宿題」
19歳の寺山がネフローゼで入院中に、病床で書いた「森での宿題」というエッセイがある。第一作品集『われに五月を』に掲載する予定だったが、結局割愛されたものだ。
メルヘンの体裁を取り、少女向けの語り口となっているが、根底にある深い悲しみは本物だ。
◆見たくない――かくれんぼ
隠れていたい、隠れていなければならないという思いは、寺山の「かくれんぼ」へのこだわりにつながっている。
寺山は、自伝風エッセイ『誰か故郷を想はざる』で次のように自己分析している。
「かくれんぼ」をモチーフにした寺山の歌や句には次のようなものがある。
これらには、永遠に隠れていたいという思いが表現されている。
また、若い女性に向けた詩「初恋の人が忘れられなかったら」は、「かくれんぼは/悲しいあそびです」で始まり、次のように終わる。
他にも「かくれんぼ」をモチーフにした創作がある。自伝的叙事詩と言える『地獄篇』第九歌の3は、「かくれんぼは悲しいあそびだ」という一文から始まる。
「かくれんぼ」と「かくれんぼの塔」という童話もある。「かくれんぼ」の方は、やはり「かくれんぼは悲しい遊びである」で始まっている。
◆見たくない――盲目というモチーフ
「見たくない」という思いはまた、寺山の歌において「盲目」のモチーフとして表現される。
「盲目の鴨ら」は「われ」のあてどない感情を表わしているのだろう。どうしていいのかわからない状態でいた少年の日の気分が作者に戻ってきているのかもしれない。
「盲目」や「按擵」とう語を使った短歌や俳句で、寺山の生前に発表されたのは上の歌だけだ。寺山の死後、秘書だった田中未知が編んだ未刊行歌集『月蝕書簡』には他にいくつか載っている。
「王国」が母と暮らしている家だとすれば、「按擵」とは、見ないように強いられている少年寺山のことではないか。だから少年はまなざしを遠くに向ける。虚構された明るい世界を見やるのだ。
盲目でいることを強いられる少年は、その怒りを直接盲目を強いる母に向けることもある。
サイト「ふりがな文庫」によれば、「盲目」は「めくら」と呼ぶ場合がほとんどだ。そう読むと「五・七・五・七・七」となる。
「猫いらず」は殺鼠剤の商品名だ。だから春の夜に殺されたのは二匹のネズミであるように思える。だが、「ネズミを猫いらずで二匹殺した」というのではあまりにぱっとしない。おどろおどろしさがない。
「春の夜の二匹」とくれば、萩原朔太郎の詩に登場するような、発情した猫を思い浮かべる。だから下の句は、「猫を二匹殺した、猫はいらないから」と解釈することができるのではないか。
目かくしをした盲人と一緒になって、春の夜、発情した猫を二匹殺した。猫はいらない。そういう歌だろう。
「目かくしをした盲人」というのは奇妙なイメージだが、盲人にあえて「目かくしをしたる」を付加しているのは、「見たくない」という思いがあまりにも強いからだ。
つまり、「目かくしをした盲人」は、少年の寺山修司のことだ。大人の寺山修司は、少年寺山修司と一緒になって、絡み合う母とその愛人を殺すという悪夢を見ているのだ。
つむった「われ」の目が螢となって、情死した母を見に行っている。そういう夢を見た、という歌。ここでの夢は寺山の(あるいは少年寺山の)願望夢なのだろう。
◆閉じこめられているという思い
隠れていることや盲目であることを強いられる少年は母の死さえも空想するが、そこまでいかなくても、閉じこめる母に対する憎しみがにじみ出ている歌もある。
「われ」は「銅版画の鳥」に自分を見ている。閉じこめられて自分がじわじわと「腐蝕」していっているように感じる。
「時禱」は本来キリスト教の典礼の一つで、一定の時刻に捧げる祈りのこと。西洋風の言葉を使うことで、母を聖母に見立てている。
そのような「やさしき母」がしているのは、「蜥蜴」を「暗黒の壜」で飼うこと。閉じこめられている「蜥蜴」は息子だ。「笑う」は「やさしき母」に対する痛烈な皮肉の笑い。
◆鬱憤のはけ口――生き物を閉じこめる
閉じこめられて息苦しさを感じる少年は、虚構の世界で小動物を閉じこめることで、自身の鬱憤を晴らす。
公衆トイレに猫を閉じこめたので、夜になって窓ガラスが曇る。眠っている猫の息が窓を曇らせる。そういう歌か。
蛍の光が火となって本を燃え上がらせるというものだが、灼熱の炎になりかかっているのは、「われ」の怒りだ。
「小壜」という狭い空間と、「青森県」という広い世界の対照。広大な世界に生きている生き物が、小さな香水瓶に閉じこめられている。「香水」は母の香水だ。
会議室という狭い空間と、旅券(ビザ)が暗示する広い世界の対照。会議室に閉じこめられている鳥が現実の「われ」だ。ビザを手に取得して海外に脱出するのは夢でしかないのだろう。
自分を閉じこめる母に向けて、自分も母を真似て小さな生き物を閉じこめているのだ、と訴えている。だが、それは日記に書かれるだけで実際に母に伝えられることはない。
俳句にも次のようなものがある。
実際には、電球に蛾を閉じこめることはできない。だが、それを空想している。五月というさわやかな季節の開放感と、電球に閉じこめられた蛾の息苦しさの対照。
◆見えてしまう? 見たい?――「母の情事」を覗く
「母の情事」は一方では見たくないものであったが、他方では怪しい魅力を持つものでもあった。
次の歌は17歳の寺山が詠んだもの。
「瞳がわたれり」が巧みだ。
母が髪油をつけているのは情人を迎えるためだ。化粧や着替えに余念がない母親の瞳がふすまの隙間をゆっくり移動していく。そのような母親を、少年はじっと見ている。
いや、「暗がり」とある。そこにいるのは母親だけではないと考えたほうがいいのかもしれない。ふすまの隙間を母親とその愛人の瞳がゆっくりと動いているのが見えるのだ。
この歌には、覗き見をしている少年の悲しみや苦しみはない。むしろ、耽美的な雰囲気が漂う。少年は魅せられているのだ。
次の俳句ははっきり二人だ。
「暗室」はもちろん写真の現像室のことではない。ただの暗い部屋のことだ。そこに母と愛人がいる。「水の音する」が生々しい。
次のような短詩もある。
浴室にいる母親とその愛人を覗き見ている少年。「発狂した母」「美しい犀」「飼う」などの表現が耽美性を強める。覗き見する少年は陶然となっている。
これは完全に覗きの句だ。母親と愛人のいる部屋を覗く少年の息は荒い。自身の息が鍵穴にかかることを、「蜜塗りながら」と表現しているのだろう。鍵穴の向こうで展開される情景も、少年にとっては「蜜」のような吸引力を持っている。
◆「見たくない」と「見たい」に引き裂かれ:『地獄篇』より
自伝的叙事詩と言える『地獄篇』第三歌冒頭で、寺山は次のように書く。
難しいが、なんとか解釈してみる。
「十二才で、地獄を見抜く目、透視の霊感を感得してしまった以上」――簡略化すれば、12歳で「地獄」を見てしまった以上。
「一軒のあばら家」とは、寺山が母と二人で暮らしていた家のことだ。それは、「ぼくと母との暗い『国家』」と呼ばれている。「王国」のことだ。
「何も見ないためには、赤い糸で瞼を縫い閉じればよいのだったが、しかしそれはあまりにも、ぼくにとって残酷なことだ。」――見ないようにすることはできなかったこと。どうして見てしまうこと。また、「ぼくは見たい。ぼくは何もかも見たい」。なぜなら、それは愛する母親に関係することだからだ。
「そして見たものの全ての名付親になることによって叛かれ」――見ることは同時にそれを言葉にしてしまうことだ。言葉にするということは、見たものが心の中にいつまでも残り続け、痛みを受け続けることでもある。
「ぼくの生涯が暗い支那に閉じこめられ復讐されるかも知れぬ恐怖」――見ることで、自分の人生を十全に展開することができなくなり、「暗い支那に閉じこめられる」、つまり、暗鬱な孤独の中に生き続けることになるのではないかという恐怖。一生「かくれんぼ」をして生きざるを得なくなるのではないかとう恐怖。
「いまの亡命」――「赤い糸で瞼を縫い閉じる」というのは、まったく何も見ようとしないことだ。では亡命とは?
一般に「亡命」は自分を迫害する国を脱出して別の国に保護を求めることだ。だがここでは国内亡命の意味で使われているだろう。国内亡命とは、ナチス時代に児童文学作家ケストナーがしたように、悪となった国にとどまり続け、迫害に耐えながらも沈黙を守って生きていくことだ。
寺山は「地獄」を見ながら、「家出」することなく、母親の「王国」にとどまった。王国の中で「暗い支那」にいるかのように暮らした。そのことを「亡命」と呼んでいる。
国外に亡命した者は生活は苦しいが、精神的には解放されている。トーマス・マンのように、アメリカからナチス・ドイツを堂々と批判することができる。だが、国内亡命者は表と裏を使い分けて生きていかねばならない。つまり、嘘をつき続けなければならないのだ。
寺山もそのような自己分裂を抱えて生きるしかなかった。そして、国内亡命をしている者が自分の「祖国」が悪事の限りを尽くすのを見続けなければならないように、寺山の「亡命」も「見ること」しかできないのだ。「地獄覗き」を続けていくしかないのだ。
少年は「何も見ない」ようにしたいと思いつつも、「何もかも見たい」という願望に圧倒され、激しく苦悶した。それを表現したと思われる恐ろしい歌を二つ。
歌では「地平線を縫い閉じたい」、つまり世界を終わらせたいと思っているのは、姉であるが、実際には少年寺山修司だったろう。
剃刀の刃を水平にして目に近づけるとき、それは地平のように見える。そこから発想だ。見たくないもの、見てはいけないものを無理やり見るために、瞼を裂こうとするのだ。
母との「王国」は、寺山にとって、このような二重性を持ったものだった。
◆赤い糸で縫い合わせた母の写真
寺山は赤い糸で自分の瞼を縫い閉じることはなかったが、その代りに母親の写真を破ってばらばらにした。つまり、対象の方を疑似的に解体しようとした。しかし、後でばらばらになった写真を再び赤い糸で縫い合わせた。母に対する二律背反的な感情を象徴する行為だ。
■第二の傷:母親がいなくなる
◆母が九州に
そして1948年、寺山が12歳のとき。母子の「王国」は突然崩壊する。母親のはつが、福岡県芦屋の基地に移ることになった愛人の将校を追いかけて、突然三沢を去ったのだ。息子を置き去りにして。
一人残された寺山は、母方の大叔父夫妻に引き取られた。中学校も、三沢の古間木中学校から、青森市の野脇中学校に転校となった。
◆残された寺山少年
母親から捨てられたも同然の寺山はどのような気持ちでいたのだろうか。
自伝とされる『消しゴム』の「鬼子母親」(「鬼子母神」のパロディ)では、母親との別れの場面は次のように脚色されている。
ここでは大叔父夫妻に預けられた後に、母親がいなくなったことになっている。息子の学費を稼ぐために米軍基地で懸命に働く母親、もっと多くの仕送りをするために「遠くへ」行く息子思いの母親像が示されている。母との別れも感動的に描かれている。
◆小説の描写では?
短編小説「おさらばという名の黒馬」には、次のような箇所がある。
ここには、主人公である「少年」に託して、寺山の苦悩がはっきりと示されている。寺山も最初は、母親が自分のために「出稼ぎ」に行ったのだと思っていたのだろう。しかし、実際はそれが「嘘」であることに気づく。「性夢」に登場する「毛むくじゃらの男」は母親の恋人である米軍将校のことだ。
◆『家出のすすめ』では?
エッセイ『家出のすすめ』には次のような記述がある。
「二夜の旅に出た母」や「炭鉱町で酌婦をしていた」などは虚構であるが、そのあとの部分は真実だろう。次のような俳句があるからだ。
◆母がいなくなった後の寺山の歌
母が去った後に作った寺山の歌がある。
寺山の心情をそのまま表現した痛々しい歌だ。後の寺山なら絶対に詠みたくなかった歌ではないか。
◆図書館で
外から見た寺山はどのようだったのだろうか。
大叔父夫妻に引き取られた寺山は、4月19日、青森市の野脇中学校の中学2年のクラスに編入となった。ただ、転校後もすぐには学校に行かず、毎日図書館に通い、実際に登校したのは夏休み明けからだ。(久慈46-48頁)
久慈きみ代は、当時の寺山を知る人の証言を記している。
久慈は、「プライドが高く負けず嫌い」の寺山が図書館で「無防備に他人に見せることのない姿」(久慈48頁)をさらしている、と書いている。寺山にとって、母と暮らしていたときよりも、もっと辛い時期だったろう。
次のような歌がある。
これは寺山が図書館に通っていたときのことを詠んだ歌だろう。「王国を閉じたあと」というのは、母子二人の生活が終わった後、ということだろう。図書館で不意にバサッという音が聞こえてくる。それを鳥が墜落した音だと思う。鳥に自分の運命を重ねているのだ。
◆「12歳」
すでに見たように、寺山は12歳という年齢を強調している。
寺山が母と二人だけで暮らしたのは、10歳から12歳にかけてだ。寺山はその時期に見てはいけないものを見、そして母親に捨てられた。
「12歳」というのは、この時期全体を象徴的に示す年齢だ。
ここでは「十四歳のある暗い夜」となっている。だが、寺山が「家なき児」となって古間木から青森に移ったのは、12歳のときだ。
「ある暗い夜、青森駅の桟橋から眺めた、ひどく心細い海」――これが寺山の心の奥底にいつも広がっていた原風景だ。
■「言葉」によって自分を解放
◆盲目の昆虫たち
野分中学校に通うようになった寺山は、京武久美と出会い、俳句に熱中するようになる。寺山は「言葉」によって自分を解放していく。
次は、『地獄篇』第二歌の文章。
寺山はここで、自分にとって「少年純情詩篇」とは何だったのかについて語っている。「少年純情詩篇」とは、10代の寺山が作った俳句や歌のことだ。
「針で目を突いた昆虫たち」はすべて少年寺山の分身だ。昆虫たちは「紙片のようにひらひらと陽の中を翔け昇ってい」く。寺山は盲目の昆虫たちとなって、「陽の中」を、つまり明るい世界を「翔け昇って」いく。昆虫たちは「紙片」となって、明るい陽に照らされた世界の言葉を身に書き記すのだ。盲目である彼らは、暗い現実世界を見ることはない。
寺山の俳句や歌には「嘘」がある、それらは実生活上の心情を反映していないと批判された。だが、現実があまりにも苦しいものであるとき、自分の心情など言葉で表現したくなくなるだろう。まったく別の、明るくて、美しくて、純粋な世界をみたくなるだろう。
それを表現したのが次のような歌だ。
遠く離れたところにいる母への思い。
息子のために黙々と働く母親。
メルヘンの世界に棲む父親への思い。
澄んだ少年の世界。
明るい希望に輝く青年の姿。
寺山の「少年純情詩篇」からほとばしる涙は、万物の秩序をゆるがし、時間を混乱させる。それは「万物の輪郭」を消そうとするものだった。寺山は言葉だけを頼りに、現実を消し去ろうとしたのだ。
以下は、『月蝕書簡』の歌。
『地獄篇』の文章と比べるとはるかに穏やかだが、同じ構図がここにもある。
「われ」は「萱草」の上に寝て、目を閉じている。しかし、言葉の鳥を空に放とうとしている。想像力が生み出す言葉で世界を飛び回ろうとしている。
「とぶ鳥はすべてことばの影となれ」という命令形は、現実の実体よりも言葉が優位であるようにと「われ」が求めていることを示している。
10代の寺山はいつまでも隠れていいたい、何も見たくない、と思った。でもただ縮こまっていただけではない。想像の翼で飛翔し、言葉を使って明るい世界を創出し、現実を消し去ろうとした。
寺山は「雲雀」となって、「空のもつとも青からむ場所」に到達することを願った。
◆過去に別れを告げる
ずっと後になって、寺山は次のような歌を詠む。
「われ」はかつての自分を振り返っている。
「剥製の鳥」とは、母と二人だけの王国にいて、飛べない剥製の鳥であった自分、剥製の鳥にされて王国に飾られていた自分のことだ。銅版画に閉じこめられ、腐蝕していくばかり鳥と同じだ。
「内部のぼろ綿よ」――その鳥はもうぼろぼろになり、内部の綿が出てきている。「王国」が崩壊してすでにかなりの時間が経ち、「剥製の鳥」として生きていた頃が、もう過去となったのだ。
「言葉なき亡命」――まだ「言葉」を使って暗い現実から離れることもできず、つまり俳句や短歌によって自分を解放することができず、国内亡命をしていたということ。
「さらば」――そのようなかつての自分を思い出しつつ、あらためて「さらば」と別れを告げている。
歌全体にカギカッコがついている。カッコによって自分の過去を封印しようとしたのだろうか。
◆「私の墓は、私のことばであれば、充分」
寺山は、死ぬ3か月ほど前の1983年、『週刊読売』に「墓場まで何マイル?」という文章を載せた。よく知られているが、その中で次のように述べている。
寺山は言葉にすがり、それによって自分を大空に飛翔させた。だから「ことば」だけが寺山修司なのだ。
■おわりに
書いてみて、反省すること多し。
適当な歌や句や抜き書きを寄せ集めて、一つの虚構を作り上げただけではないかと非難されるかもしれない。論理はあまりにも大雑把すぎるし、歌や句の引用は恣意的だ。それらの解釈だって間違っているかもしれない。
でも、長らく寺山修司の歌や伝記などを読んできて、こんなふうな考えが生まれてきた。だから粗雑でも、言葉にしてみたかったのだ。
と、弁解。
■参考文献
◆テキスト
『寺山修司著作集1』クインテッセンス出版、2009
『寺山修司著作集2』クインテッセンス出版、2009
『寺山修司著作集4』クインテッセンス出版、2009
『寺山修司全歌集』講談社学術文庫、2011
『われに五月を』日本図書センター、2004
『寺山修司俳句全集』あんず堂、1999
『続・寺山修司詩集』思潮社、1992
『寺山修司詩集』ハルキ文庫、2003
『誰か故郷を想はざる』角川文庫、1973
『月蝕書簡』岩波書店、2008
◆文献
小川太郎『寺山修司 その知られざる青春』中公文庫、2013
久慈きみ代『編集少年 寺山修司』論創社、2014
田澤拓也『虚人 寺山修司伝』文春文庫、2005
長尾三郎『虚構地獄 寺山修司』講談社文庫、2002
ネット「支配する母親と囚われる息子の歪な愛憎を描く戯曲『毛皮のマリー』」、2011/06/24
https://novel.onl/kegawa-no-mary/
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