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言葉の宝箱 0560【生き続けなければならないのだ。過去という果実を収穫し、その甘みを味わうために】

『C’est si bon』平安寿子(ちくま文庫2011/9/10)


著者が26歳の時の仏留学を振り返って、27年後に綴られたエッセイ。
単行本と文庫本の二つのあとがきが興味深い。


・四十を過ぎた頃から、
年をとるのは山を登るみたいだなと思うようになった。
中腹から、
下の方の登り坂を経巡っていた若い頃の自分を俯瞰して見ることができる。だが、心は同時に当時の肉体に入り込み、
若さがもたらす苦さや痛みを生々しく蘇らせる。
わたしが年をとることをありがたいと思うのは、そんなときだ。
あの苦しさをわたしは乗り越えたと、実感できるからだ。
神様は何かを奪うとき、必ず、別の何かと等価交換してくれる。
そういうことも、過去を俯瞰すれば見えてくる(略)
生きていくのは、しんどい。
たまさか幸せを感じても、満ち足りた気分は一瞬で消える。
自分がどんなに恵まれていたかわかるのは、
その時が過ぎ去ってからだ(略)
生き続けなければならないのだ。
過去という果実を収穫し、その甘みを味わうために P206

・生まれ育った国で暮らす安心感は格別だ。
明らかなストレンジャーとして周囲から浮き上がる疎外感がない。
なにより、言葉で苦労せずにすむのが助かる。
安定した日常ほど素晴らしいものは、ない。
だが、安定した日常の中で、人はしばしば自分を見失う。
言葉や習慣も同じ人たちの中にいながら、激しい疎外感に苛まれる。
それが、自意識を持つ人間の宿命なのだ(略)
自他共に認めるストレンジャーになって、
ようやく人は必死で、拠って立つべき
「自分」の輪郭を手探りするのではないか。
あるいは、日常に埋没していた「わたし」が、
異空間がもたらす刺激でむっくり起き上がり、深呼吸する P218

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