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言葉の宝箱 0756【幸せという花はどんな場所にでも咲かせることができる】

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『やがて訪れる春のために』はらだみずき(新潮社2020/9/15)

会社を辞め、都会での生活に行き詰まっていた真芽は入院した一人暮らしの祖母・ハルに頼まれ、生家の庭の様子を見に行くが、花々が咲き誇っていた思い出の庭は見る影もなく荒れ果てていた。ハルの言動を不審に思う真芽だったが、彼女の帰宅を信じ、庭の手入れをはじめる。しかし、次第にハルの認知症が心配され、家を売却し施設に入れる方向で話が進んでいく。認知症患者をめぐる家族と枯れた庭。厳しい現実の先を優しく照らす再生の物語。
この物語は「たとえ記憶が失われていこうとも、その思い出をだれかが忘れずに語り継げるように。やがて訪れる春のために P253」と終わる。

・一日動きまわり疲れたせいか、
以前のように寝つきがわるくなったりはしなかった(略)
からだは、休息を欲していた。また明日も、一歩でも前に進むために P73

・たしかに庭の手入れに多くの時間を割いた。
しかし、これは自然の力による再生だ。
余計な草をとりのぞくと、日当たりがよくなり、新芽が顔を出す。
枯れ枝を切ると、株に生気がもどり、葉が生い茂り、花を咲かせる。
それらは、彼らが持つ本来の生命力によるものなのだ P105

・庭っていうのは、
持ち主がどんな庭にしたいか決めるとおもしろいものになる。
たとえば自然を生かしたナチュラルガーデン、野鳥を呼ぶ庭、
水辺に水草を生やしたメダカのためのビオトープとかね。
庭を見るとね、かなりわかるんだよね。その庭の持ち主の趣向が P110

・認知症とは、言葉のとおり“症状”(略)病名ではない。
さらに症状はひとつではなく、さまざまだ。
物忘れなどの記憶障害や、
人や時間や場所がわからなくなる見当識障害(略)
実際には無いものが存在するかのように見えてしまう幻視……(略)
一部の脳機能が正常に働かなくなることによって起こる、
と考えられている。
脳の萎縮がひとつの原因であり、
その萎縮の部位によってさまざまな症状が出るらしい(略)
認知症とは、日常生活を行うことがむずかしくなる症状であり、
なにもかもわからなくなるわけではない。
なにかがおかしいと、多くの場合、本人も自覚しているという。
生きていれば、だれにでもいずれ起こり得るものらしい(略)
だとすれば、それはその人の人生の一部にほかならない。
人生とは、人それぞれのはず。
生き方は、本来自分が選ぶべきものではないのだろうか P148

・起きた物事には、なにかしらの理由があるはず(略)
理由から目をそらしたままでは、
それこそ他者への不信や怒りや自己嫌悪だけが、
澱のように心に積もってしまう。
逃げずに向き合うことも、ときには必要になる P169

・年月とは、あらゆるものを容易にのみこみ、
あっけなくかたちを変えてしまう P245

・やるべきことはあるし、やれることはある。
多くのものを望めはしないが(略)
与えられた場所で、
あるものを生かし、ないものは求めず、生きるために深く根を張ろう。
幸せという花は、
どんな場所にでも咲かせることができる、と信じて―― P253

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