シューゲイザーみてぇな小説
なんかシューゲイザーみたいだな、と思う小説がたまにある。俺はそんな小説が大好きなのだが、しょっちゅう出会える訳でもないので、ここでいくつか紹介して、あわよくば、他の人にも紹介して貰えたらなと思う。
俺の思うシューゲイザーっぽさ
俺は楽器をやった事がないし、ましてや作曲のことなんてさっぱりわからない。だから、俺の思うシューゲイザーっぽさは素人の感覚的なものだ。それをあえて言語化するなら、無時間、とか、時間が空間的に引き伸ばされて永遠になっているような感覚、と言えるような気がする。
飛ぶように走る電車やバスの車窓から、写真を撮ったと考えてみて欲しい。多分進行方向にそって引き伸ばされたみたいに、ブレブレの写真が撮れるはずだ。写真はある景色を永遠に固定するけれど、そうやって撮った写真には、一瞬の時間経過が記録されている。ノイズが混じったみたいに、あやふやな形で。そこには写実的で静的な光景はなくて、時間を伴った抽象的な情景がある。感じがする。ターナーとかモネの作品を見る時みたいな。
シューゲイザーは、ノイズが作り出す音の壁が、静的な永遠を感じさせるけど、それぞれの歪んだ音は、粒だった印象を覆い隠して、走る列車の残像みたいに、滲んで感じられる。歪んだ音が錯覚させる引き伸ばされた時間性が、集まって壁となり静的に見える構造物を形作る。結果、そこには他にはない情景が浮かび上がる、みたいな。
ちょっと俺もどう説明したらいいのか分からない。とにかくもうマイブラを聴いてもらった方が早いのかもしれない。
あるいは、走る電車から見える風景と言えばいいのかもしれない。様々な景色が絶え間なく変化しているはずなのに、一定のスピードがそこに共通の印象を与える。電車が速くなればもはやそれは空の青と街のグレーの1枚絵でしかない。でもそこには速度があり、時間がある。1枚絵の固定された永遠と、一瞬の時間経過が同時に見える感覚。無数の刹那が生み出す永遠。これが俺にとってのシューゲイザーっぽさだ。多分永遠と時間経過を同時に感じるのは、記憶や思い出もそうで、だからシューゲイザーはノスタルジーと相性が良いのだと、俺は思っている。
シューゲイザーっぽい小説
だいぶふわふわしたことを言ってしまったけれど、これを小説で言いかえるなら、次のようになると思う。場面それぞれには時間経過があるが、全体としては時間経過が希薄で、大筋に変化が少なく(ストーリー性が薄い)、全ての場面を並べた時に共通のトーンが浮かび上がる、みたいな感じだ。これがワイの思うシューゲイザーっぽい小説と言えると思う。それとなく、例を上げていく。
①『黄色い雨』フリオ・リャマサーレス
以下、あらすじ
割とどんな話かわかんないな。ざっくり説明すると、スペインの山奥の廃村で、たった一人になってしまった男が、老衰と忘却の中、ゆっくり孤独に死んでいく話で、タイトルの通り、黄色が常に印象的な小説だ。多分言っても問題ないと思うので少しネタバレすると、この黄色い雨とは、秋の紅葉で散る楓のことで、死に近づくにつれ、彼の見る景色はどんどん黄色に染っていく。あまり大したことは起こらないし、正直小説内の時間がまっすぐ進んでいるのかも怪しいくらいに変化は少なく、彼自身記憶も混濁し始め目の前の景色と記憶の中の景色の区別がつかなくなってしまう。そしてそれを、黄色い雨が覆い尽くしていく。文章がすごく美しくて、崩壊していくの黄色のイメージがとても鮮烈に残る小説だった。詩人が書いた小説、と言った感じがする。注意点としては、死んでいく男の描写がすごく丁寧なので、読んでいるとテンションが下がる恐れがある。でも、シューゲイザーっぽい小説として、読んで損は無いと思う。短いし。
②『すべての、白いものたちの』ハン・ガン
以下、あらすじ
俺が河出書房新社が好きなのがバレてしまうようだが、これも良かった。すごく短い話が連続する構成で、少しエッセイっぽさもある、掌編集みたいになっている。白にまつわる連想をくりかえしながら(韓国語には白を表す単語が2つあるそうで、結構重要なポイントである)、かつて生まれてすぐ死んでしまった、会ったことの無い姉に思いを馳せていく。先程の『黄色い雨』が死に向かう小説なら、こちらは、白と姉の死を通じて、生へと向かう小説だ。この小説もめちゃくちゃ表現が美しく、寒空のように白く澄んで張り詰めた、しかし振れればすぐに壊れてしまいそうな、そんなトーンが全体を貫いている。悲しい描写や、決して拭いえない孤独を感じる描写も多い。しかし読んだ後には、絶対的な寂しさの中で、ほんの僅かな温かさも共にあるのだと信じられるような、浄化された気持ちになること請け合いだ。
③『氷』アンナ・カヴァン
以下、あらすじ
ようやくSFが来た。しかしこれはどちらかというと幻想小説とか不条理小説に近いと思う。カフカの影響を受けているとwikiにあるが、確かにそんな感じがする。そんな本作は、常に氷と、滅びが作中を覆い尽くしている。先の二作と比べると時間経過は結構ちゃんとあるが、時折挟まる現実か幻覚かわからない陰鬱で破滅的なシーンや、登場人物たちのちぐはぐともとれる行動、視点のブレが、因果関係や直線的な時間経過を翻弄する。シューゲイザーで例えるなら、これはブラッスゲイズとかメタル系のシューゲイザーに近い印象を受ける。AlcestとかDeafheavenの感じだ。メタルは寒いとこの音楽みたいなとこあるし。
④『波』ヴァージニア・ウルフ
以下、あらすじ
もうあらすじの時点でだいぶシューゲイザーじゃないだろうか。波と言うくらいだし、Rideの『Nowhere』というアルバムを思い浮かべた人もいるかもしれない。ただ今回紹介したものの中だと、1番読破が難しい作品だとも思う。ちょっと古い作品だし。俺も何度も挫折した。結構実験的な作風で、登場人物それぞれが響き合うように独白を繰り返すことで、物語の全体像が語られる。いわゆる小説らしい、第三者による記述がほとんどないため、慣れるまで時間がかかる。ただそれぞれのキャラクターが少しづつ分かってくるにつれて、全員が愛おしく感じられる頃には、やっぱウルフはええなぁという気持ちになっている。
俺は何となくヴァージニア・ウルフはシューゲイザーっぽいなと思っている。一つの場面のなかで、様々な人の視点からそれぞれの内面を描き続けることで、単線的な流れではなく、全ての人の意識の流れが絡み合った奔流になってつねに溢れている。その様は、種々の感情が結び合う、優しくももの寂しい色彩の一枚絵をなしているような気がするのだ。それは俺の中では、シューゲイザーの印象にどこか似ている。個人的には、『灯台へ』もおすすめだ。
終わりに
ここまで読んでくれた人に、とりあえずありがとうと言いたい。だいぶ意味のふわふわした与太話だったろうと思う。正直、それぞれの本の魅力を伝えられた自信もない。しかしどれも評価が高く、実際素晴らしいので、良かったら読んでみてほしい。
加えて、俺の思うシューゲイザーっぽさは、あんまり伝わらなかったかもしれない。でも音楽の印象は言葉で伝えきれないから、音楽が必要なのだ、とも思わなくもない。もしあなたにもシューゲイザーを聴いて思い出す小説があれば、良かったら、ぜひ教えて欲しいなと思う。よろしくね。
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